第6話 謎の青年

 ハインリヒの部屋から、私はそっと外に出た。

 侍女もいない。


 このまま待っても、きっと彼は誰も手配してはくれないだろう。

 幸いに道はわかっているし、城を出れば家の御者が待っている。


 それでも一人で王城を歩くのは初めてで、広くて豪華なこの城の中は心細い。


 馬鹿みたいだ。

 前世の魔術に舞いあがって、魔術さえつかれば他に問題はないと思っていた。


 あのまま信じて、彼に何もかもを打ち明けていれば私はまだ彼の婚約者でいられた。

 ……何も知らないままで。


 私は首を振ってその考えを振り払った。

 それは、嫌だ。


 前世なんて、思い出さなければよかった。でも、あのままでも遠からずハインリヒとは婚約破棄になり、彼はカノリアと結婚になったのだろう。


 ぐるぐると、どうすれば良かったのかという考えが次々と浮かんでは消える。


 流れる涙を抑える事ができないまま私は一人馬車に向かっていたが、気が付くと全然違う場所をひとり歩いていた。

 ぼんやりとしているうちに道を間違え、裏庭の方に出てきてしまっていたようだ。


「ああもう、嫌になるわ……えっ、わっ」


 慌てて引き返そうとすると、何かに引っ掛かり転んでしまった。びっくりして顔を上げれば、木の陰に蹲った男の人が居た。


 陰に隠れていて全く見えなかった。


「えっ。ごめんなさい!」


 私は慌てて立ち上がり、謝る。

 蹲った男の人はブルーグレーの髪の毛がさらさらと揺れ、顔は見えないものの服装は高価な宝石と生地が使われ、高位の貴族だということが分かる。


 私は王城に頻繁に出入りはしているものの、見たことがある人ではなさそうだ。

 誰だろう。


「こんなところでどうされたのですか? 大丈夫ですか?」


「これが大丈夫に見えるのか?」


 不機嫌そうな声で、俯いていた男が顔をあげゆっくりと立ち上がった。

 精悍そうな顔が、苦痛に耐えるように歪められている。

 彼は立ち上がるとかなりの長身だったが、その身体を木に寄り掛からせて背中を丸めた。


「……見えないです」


「よく見たら、君も酷い顔をしている」


「……そうですけど、女性にそういう事言うのは良くないですよ」


 私が慌てて涙をごしごしと手で拭きながらそう抗議をすれば、男は楽しげに笑った。


「確かに申し訳ない、お嬢様」


「……許しましょう」


 芝居がかった口調に同じように返す。くつくつと笑い声が聞こえた後、大きな身体がふらりと揺れ私に倒れ掛かってきた。


「わっ……」


 そのまま体重に押され私も一緒に地面に倒れ込んでしまう。

 でもギリギリのところで彼が転がって、私の上には倒れ込んでこなかった。


 私はしりもちをつき少し服が汚れただけで済んだが、彼は無理に避けたせいで倒れ込んでしまった。


 身体を打ってしまったようなのに、彼は顔をあげ私の顔を心配そうに見た。


「……すまない。大丈夫か」


 彼のその声の弱弱しさに動揺してしまう。よく見れば、顔色もかなり青白い。

 私は心配ない事を伝えようとさっと身体を起こし、彼が立ち上がるのを手伝った。

 握った手があまりにも冷たくて、心配になる。


「……嘘でしょう」


 どこかに怪我をしているのかと鑑定を行うと、彼は呪いにかかっていた。しかも、かなり質の悪いものだ。

 魔力の塊ができていて、徐々に広がっている。魔力は血液と同じで、循環しなければ身体が動かなくなってしまう。


 このままでは一日と持たずに死んでしまうだろう。


「よくわかったな。鑑定もちか」


 私が呪いに気が付いたことがわかったのか、彼は自称気味に笑う。彼も自分が呪われてしまっていることに気が付いているようだ。


「服装からして高位の貴族のご令息ですよね……? 呪詛破りはどうしたんですか?」


 そもそも呪いはかけた呪術者よりも高位のものでしか解けないし、解呪には時間がかかる。その間に亡くなってしまう事もあるぐらいだ。


 その為、身代わりになる魔導具を高位の貴族は必ず持っている。

 それなのに。


「……呪いをかけるぐらいだから、用意周到って事だ。油断した」


「そんな。ハインリヒ殿下は無事だったのに」


 王城の中で、こんな事が起こる事にぞっとした。

 確かに先程王族に対する警戒音と争ったのか爆発はあったが、それに彼は巻き込まれたのだろうか。


 警戒の対象であるハインリヒは気にした様子もなかったから、大きな問題ではないのかと思っていた。

 彼に兄弟はいない。


 私が考えこんでいると、彼は自分の顔を隠すように手で覆い自嘲気味に笑った。


「そうだな、王族の問題に巻き込まれたようなものだ。……生き延びるためにこの地を離れたというのに、俺の死は残念ながら利用されるな……」


 諦めの混ざった彼の言葉に、私は何故だかかっとなった。

 彼の手をぐっと掴み、顔をまっすぐと見つめると、彼はたじろいた。


「死すら利用されるだなんて、絶対に駄目よ。そんな事思わないで。あなたはまだ生きているのよ。最後まで頑張ってよ!」


「俺だって! そんな風にされたくない。命が消える時まであがくつもりはある……!」 


 彼は目を背け手自分の手をぎゅっと握り、悔しそうに叫んだ。

 その声は震えていて、弱弱しく、私ははっとなった。


「ただ……ただもう、楽になってもいいのかもしれない……そう、思っただけだ」

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