第5話 婚約者が好きなのは義妹
ハインリヒはカノリアを見送ると、何事もなかったように私に笑いかけてきた。
「今日は早いねマリーシャ。今日は君の好きな苺尽くしで用意したよ」
にっこりと笑い、私に用意してくれたお菓子の説明をしてくれる。
年は私よりも一つ上の十七だけれども、金色の長めの髪の毛に切れ長の目は、彼を大人っぽく見せていた。
かなり顔は似ていても、前世のヴァーラシス殿下とは違い、彼はいつでも私にまっすぐと優しく笑いかける。
テーブルにはケーキや焼き菓子が並び、部屋はバターの香りと紅茶の香りが広がっている。
赤い苺に合わせて、テーブルセットは同系色でまとめられていて、可愛い。
私の為に用意してくれているお茶会は、ふたりきりでとても華やかでいつも心が温かくなった。
しかし、テーブルの上のお菓子はカノリアと二人で食べていたようで、減っている。
今日は私の為に用意されたのではないのかもしれない。
こんな風に優しいはずの彼を信じられないのは悲しい。
それでも、このテーブルの残骸を見た私は、問題を先延ばしにすることにした。
信じる時間が欲しくて。
「あの……、先に殿下に報告することがございます」
「マリーシャ。どうしたの? そんなに暗い顔をして。いつもみたいに笑ってくれないと、悲しいよ」
甘い声で囁き、そっとハインリヒは私の手をとった。そして私を椅子に座らせると、隣に座って愛おしそうに私のくるくると巻いた深い赤の髪の毛を触った。
いつも、ことあるごとにハインリヒは私の髪の毛を撫でたがった。やっぱり、二人きりの時の彼は優しい。
私の事を愛おしそうに見るこの瞳と髪をなでる大きな手は嘘だとは思えない、
カノリアの事は、きっと気のせいだ。
ああ、私に勇気がないばかりに、彼に嘘をつく。
でも、少しだけ信じる時間をください。
ハインリヒの愛情を感じてうっとりしながら、私は考えたセリフを口にした。
「あの、私、先程爆発音に驚いてしまって……」
「ああ、あれね。あれは驚いたよね。でも、大きな問題ではなかったから大丈夫だよ」
優しい口調だけど何故か圧を感じるハインリヒの笑顔に、この件はこれ以上聞かないようにという拒絶を感じた。
その事は問題がないと伝えたくて、私は彼に身体を預けた。
温かな体温と髪を撫でる彼の手を感じて、息をつく。
「今日爆発音があって驚いて、そのあとから……魔術が使えないんです」
「……本当に? マリーシャ、魔術が使えなくなったって本当なのか?」
ハインリヒは驚いた様子でばっと身体を離し、私のことを見た。
いつも優し気に細められていた目が、検分するよう冷たく変わる。
いつもの態度と違いに驚きつつも、私は彼の目線から逃れたくて下を向いた。
「ねえ、本当なの?」
そうして、ハインリヒはそっと私の肩に手を置き、髪の毛にふれた。
先程と変わらない愛情を感じる仕草に、私は安心と勇気を得て、呟いた。
「……はい。使おうとすると、構成が霧散してしまうのです」
これは、まれにある話だった。
魔術分離症という病気で、原因はわかっていないがそのまま魔術が使えなくなる人が大半だが、すぐに回復する場合もある。
どうするか決めるまでの間、その病気のふりをしようと決めていた。
魔術が使えないというのは致命的だけれど、少しの間だけならきっと待っていてくれると信じて。
「構成が霧散……それは」
「あっ。でも、爆発に驚いたためなので、きっと一時的なものだと思うのです……」
優しい彼をだますことに後ろめたさを感じ目を伏せると、頭に鋭い痛みが走った。
「この魔力をたたえた美しい髪の毛は、ただの髪の毛に成り下がってしまったのだな。残念だ」
信じられないことに、ぞっとするほど冷たい目で、ハインリヒが私の髪の毛を引っ張っていた。
ぶちぶちと髪の毛が切れる音が聞こえる。
「いたっ……ハインリヒ様……っ」
「魔術があるから魔力が美しいのだ。君にはがっかりしたよ」
「いたいですっ。おやめください」
何が起こったかわからないまま、引っ張られる髪の毛を庇おうと頭に手を伸ばす。
もがく手を煩わしそうにしたハインリヒは、無造作に髪の毛を離し、私はそのまま床に倒れ込んだ。
頭がずきずきと痛み、自然と涙が溢れてくる。
「ハインリヒ様……どうして」
「どうして? 私が君と婚約していたのは、君の魔術の能力に期待してだ。それがないのであれば、君はただの侯爵令嬢でしかない」
「で、でも……治るかもしれませんし、好きだって言ってくれたのに……」
「好きなのは魔術が使える君だ。魔術分離症は治る可能性がかなり低い。君との婚約は解消しよう。まあ正式発表もまだだったが、今となっては良かったかもしれないな。……もし魔術が使えるようになったら、また来てくれ」
「そんなこと……」
「そもそも、カノリアの魔力がもう少し高かったら君とは婚約にならなかった。カノリアと会うのに君は都合が良かったが、彼女はその事にも傷ついていた」
「どうしてここでカノリアの名前が……?」
「私はカノリアの事が好きなんだ。……魔術がなければ君などと一緒にいるはずがない。だが膨大な魔力は魅力的だったから君と婚約した。無駄な時間を過ごしてしまい、残念だ」
ハインリヒは冷たく言い放ち、私の事を見もせずにそのまま去っていった。
床に倒れたまま、私は信じられない気持ちで、彼の背中が遠ざかっていくのを見た。
いつも髪の毛を優しくなでてくれたのは、髪の毛には魔力が宿るからだった。
彼が好きだったのは、私の魔力だったんだ。
いや、そもそも彼が好きなのは私の義妹のカノリアだったみたいだ。
信じたくない気持ちと、ふたりの仲のよさそうな会話が思い出され、本当なのかもしれないという気持ちがぐるぐるとする。
ずきずきと痛む頭が、これが現実だと教えていた。
ハインリヒの愛情を、信じていた。
魔力の多さで婚約者候補に選ばれたとはいえ、いい関係を築きたいと言ってくれていたのに……。
きっと本当は魔術が使えると言えば、彼は喜んで私の事を受け入れるだろう。
以前の私とは比べ物にならない強い魔術だ。
……でも、それでは前世と変わらない。
前世のように利用されて、捨てられる。
ハインリヒには私に対する愛情などないのだから。
私は冷えた心で考えた。
魔術を使って大事にされるが利用されるのか、魔術を使わないでゴミみたいに扱われるのか。
前世を思い出した時とは別の絶望が私を襲った。
今度こそ、騙されたりしない。
誰も信じないで、頼らないで、自分の力だけで生きていく。
自分だけの為の人生を手に入れる。
冷たい床が前世の最後のようで、私は必ずそうすると決意した。
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