第3話 警戒音
「そうでしたか。マリーシャ様はいつもお休みも取らずに練習をしていたので、心配になってしまいました。無理はしないでください」
「ありがとうございます。いつも教えてもらっているのに、全然うまくならなくてごめんなさい」
彼は立ち上がって、何故か眉を下げ困った顔をした。
「いえ、いいんです。……マリーシャ様の努力が報われてほしいと、心から願っています」
何故かすごく労わられてしまった、と申し訳なく思っていると、近くで断続的なトトト……というかすかな音が聞こえる。
「……これは」
私は呆然と呟いた。
急に前世の記憶がまた蘇ってくる。そして、今も次々と思い出されていく記憶。
死に直面したときの絶望に、感情が引っ張られていく。
もうこんな気持ちには二度となりたくないのに。
どうしてまた急に思い出してしまうの。
私は目を瞑って、震えそうになる身体をぎゅっと抱きしめる。
「マリーシャ様、大丈夫ですか」
再び気遣う声が聞こえ、私は過去に沈みかけていた自分を取り戻した。
彼は、ハインリヒの部下だ。どんなに優しくても、婚約者候補として弱い部分を見せるわけにはいかない。
内心の動揺を隠して、笑みを浮かべる。
「ええ、大丈夫です」
「マリーシャ様、申し訳ありませんがちょっと用が出来てしまいました。私は少し外しますので、ここの護衛がいなくなってしまうかもしれません」
微笑みながら伝えられたファラウズの言葉にはっとなる。
今、かすかに聞こえるこの音。
前世では馴染みのあったこの音で、私は過去の事を思い出したに違いない。
これは王族に危機が迫った時になる警戒音だ。
ファラウズから聞こえてくる。
魔術訓練所に居た人々は、涼しい顔をして次々と外に出ていく。王城にある魔術訓練所に居るのは、こういう事態に収集される人ばかりだろう。
緊急事態だという事を感じさせない自然な態度だ。
「なにかあったのですか?」
「いいえ、少し呼ばれてしまいました。心配するようなことは何もありませんよ。ただ知っての通りここは結界が張ってありますので、何か不安があればここからは出ないようにお願いします」
私は不安になってファラウズを見たが、彼は私を落ち着かせるように優しく微笑んだだけで、何も教えてはくれなかった。
「わかりました。時間までここに居ようと思います」
ここでしつこく聞いてわがままを言ったと報告をされるのは困る。私は何も気が付かないそぶりで頷いた。
「では、失礼いたします。ご無理はしないように」
ファラウズも何でもない様子で出ていき、広い魔術訓練所には私一人が残された。
……まだ、手が震える。裏切られるのは、悲しくて苦しい。
駄目だ。今日はこの後ハインリヒに会うのだから泣いたりしてはいけない。
目が赤くなれば、彼も心配してしまう。
今日はカノリアも居ない。ハインリヒと二人きりだ。
二人きりなら、彼は私の事を婚約者として扱ってくれる。
厳しい教育の中でお茶会は、私の唯一の楽しみの時間なのだから。きっと甘い言葉をささやいて、手をとってくれるはずだ。
この後の時間を考えると、少し気分が上向いてくる。
意識的にゆっくり息を吐き、目を瞑った。緊張したときは呼吸に集中するといいと教えてくれたのは、誰だったか。
すっかり集中していると、突然ドンという大きな音が鳴り響いた。その音に、私は咄嗟に魔術防御の結界を張っていた。
前世を思い出す以前の私には、構成を描くどころか思い浮かべる事すらできない代物だ。
前世で使ってきた。なじみがありすぎる、防御の結界。
「まったくこんな結界、完璧すぎるわ」
周りに人がいなかったのは幸いだ。
こんな魔術を使っているのを見られてしまえば、それだけで大騒ぎになってしまう。
私はサッと手を振り結界を消した。
「マリーシャ様!」
ため息をついていると、慌てた様子で訓練場にファラウズが現れた。
「ファラウズ様、何かありましたか?」
「いいえ。何の問題もありません。今の音は訓練場で少し問題があっただけですので」
「そうでしたか。……ハインリヒ様は無事でしょうか」
「ええ。危険はありませんよ。ただ。念のため私が部屋までは一緒に行きましょう」
ファラウズが警戒を感じさせない笑顔で言うが、普段なら案内は侍女がしてくれるので問題があったのだろう。
でも、きっと今の私はこの王城内で一番安全だわと思いながら、ファラウズについてハインリヒの私室へと向かった。
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