資料9「医者」

資料9ー第1話

 〝至高の果実〟とは、なにか。


 溢れる果汁? 蕩ける果肉? どれも違う。


 真に〝至高の果実〟はそう、開胸された人体の前でメスを持ったとき、現れるのだ。




     ***




 人外の正体はすぐにわかった。ワシは生まれつき耳がいい。明らかに〝呼吸〟が普通ではない人間が二人いた。


 彼らを尾行してみると案の定だった。ワシの心は踊った。数十年と現れることのなかった〝至高の果実〟が今、再び実り始めた。


 十一号室の扉に耳を当て、中の様子を伺う。


「《跪け。そして服従を宣誓しろ》」

「わ、わたくし、イレーネ・エンリケ・フェリシアは…………」


 なるほど。彼らにも階級のようなものがあるらしい。中でもエリックは上位の存在、言うなれば〝王族〟の血を引く人物のようだ。王族の血を持つ人外は特殊な周波数で他の人外を従わせることができるとは、面白い。この主従関係は遺伝子レベルで刻み込まれているな。




「何をしている?」




 顔を上げると扉の隙間からエリックがこちらを見ていた。


 しまった。つい考え事に夢中になっていた。


 バレてしまっては仕方ない。急いで次の手を打たねば。

 ワシはを浮かべた。


「無礼をお詫び申し上げます。ワシは心を奪われてしまったのです。あなた様の王たる風格に。その佇まいは普段メディアで拝見するよりもはるかに神々しい——。あなた様の正体は理解しておりますが、この心に嘘をつくことはできません。エリック様、どうかワシをあなた様の下僕にさせてください」


 ワシは頭をフル回転させてこれ以上にない言葉を並べた。あたりは沈黙し、緊張の糸だけがピンと張り詰める。


 やがて彼は口を開いた。


「遺言はそれだけか。——なら、死ね」

「お、お待ちください、エリック様!」


 彼の腕からニュースで見た触手——硬くて先端が鋭利な触手が出てきたとき、部屋の奥にいたイレーネがワシの前に立った。


「なんの真似だ、イレーネ?」

「お、お言葉では、ございますが。彼は我々に協力を申し出ております。これを承諾すればより確実に奴らを殲滅することができるかと……」


「延命のための申し出かもしれん」


「し、しかし、彼は医者でございます。社会的地位がございます。すでに検死にて彼らから信頼も得ております。内通者としてはこれ以上にない人材にございます。それに、ここで彼を殺しますと、容疑がわたくし達に向く可能性が高いかと」


「《よく我の前で長々と高弁を垂れることができるな》」


 彼の眼光が増した気がした。イレーネの顔は真っ青になり、慌てて膝を床につける。


「も、申し訳……ございません」


 震えながら頭を下げるイレーネを前にエリックはしばし思考すると、

「わかった」と言って部屋にある椅子に腰掛けた。


「何をしてる。中へ入れ。誰かに見られたらどうする」


 ワシは部屋に入った。イレーネは膝をついたままワシの前から動こうとしない。


「《邪魔だ。のけ。我への謁見を阻もうというか》」

「し、失礼いたしました……」


 か細い声とともにイレーネは部屋の隅へ退いた。ワシは考えるよりも先に自身の膝を床につけ、そっと首を垂れた。


「フン、アレックス・コリヤダ。貴様の意気込みを買おうではないか。我らの信奉者として貴様を任命する」


 心の枝に実った〝至高の果実〟の糖度が上がった。


「ありがたき幸せにございます」

「浮つくでない。これはまだ仮任命の段階だ。貴様にはこれより試練を課す」


「試練……でございますか」


「今より夕餉が始まるまでに一人、殺してこい。刺殺、毒殺、絞殺……殺害方法は問わん。人を殺し、その証拠を我に献上せよ。さすれば貴様を正式に信奉者として任命しよう」


 イレーネが何か意見しようとしたが、エリックの視線によって硬直してしまった。かなりの難題だ。普通の人であればクリアすることは不可能だろう。


 ——そう、普通の人間なら。




     ***




 さて、誰を殺すか。


 もちろん、誰でもいいわけではない。殺害現場を誰かに見られてしまっては、せっかくの楽しみも台無しになってしまう。しかし、密室に呼び出して殺害することは至難の技だ。


 夕食まであと一時間。さて、誰を殺すか。


 思案を巡らせなながら階段を降りていくと、一人の少女を見つけた。


 フードを被り、マスクと眼帯を身につけた少女。


 そうだ。彼女にしよう。彼女はまだ誰とも関係が構築できていない。むしろ自分から閉ざしている。殺したところで発見されるまで時間がかかるだろう。それに——


 トイレに入ろうとする彼女と目が合う。ワシは咄嗟に周囲の状況を観察した。


 誰も見てない。

 誰も聞いてない。


 状況は整っていた。


 心の中で舌なめずりしたつもりが、笑みとして表出してしまう。

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