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ようやく、その日がやってきた。


約束の時間は十八時半。


俺は、自前の古びた軽自動車に乗り込むと、指定された面接地に向かって車を走らせた。自宅からだと大体三十分ほどの距離だ。



面接地は、郊外の山の中腹にあるらしい。山といってもほとんど車で頂上付近まで登れてしまうような低い山で、地元では一応、観光名所にもなっている。


小学生くらいまでは、両親に、その山の上にある公園やプールへよく遊びに連れていってもらったものだ。


山裾には、神社や昔ながらの古民家が立ち並び、車で山道を登っていくと途中にはモーテルがひっそりと人目を避けるように数軒建っている。


幼い頃から代わり映えしない、田舎の山ではよくある景色だった。



俺はとりあえず、その山の上の公園にある広めの駐車場に一旦車を停めることにした。


ゴールデンウィークも終わり、時期的に中途半端というのもあるが、さすがにこの時間から観光地巡りをする人もおらず、駐車場はまばらにしか車がなかった。



車から降りると、眼下には麓の街並みが一望でき、夕陽が視界を茜色に染めていた。さらに遠くには高い山々のシルエットが映し出され、俺はしばしその神々しい眺めを堪能しながら、深く息を吸った。



ここからは少し徒歩で山の中に入らねばならない。


五月も中盤になると、この時間でもまだかろうじて明るかったが、帰る頃にはすっかり陽も落ちているだろう。


スマホの地図アプリには、それらしき箇所にマーカーが印されていたが、山の中ということもあってか、詳細なルートはなく、あまり役に立ちそうに思えなかった。とはいえ、他に頼るものもないので、俺は、仕方なくそのマーカーが指す方向にゆっくりと歩きはじめた。



駐車場脇に並んだ土産物屋は、どの店もとっくにシャッターが閉まっており、寂れた風景をより際立たせている。


その土産物屋の店先が途切れた角を曲がり、道なりに進むと、やがて前方が山の斜面で閉ざされた場所に辿り着いた。


よく見ると、山の斜面の片隅に、車がどうにか一台分通れる程度の隙間があって、脇には "登山道"と書かれた看板が立てかけられていた。


その登山道は、ハイキングコースとして足元は土で固められており、幾分か整備はされていたが、やや緩やかなS字を描いてカーブしていて、道の奥まで見通すことはできなかった。



空はもう薄暗くなりかけていて、今からここに足を踏み入れることに少々躊躇いはあったものの、ポツンポツンとではあるが、等間隔で街灯も設置されていたため、明かりにも不自由することはないと判断し、俺は思い切って先に進むことにした。



左側は山の斜面に沿って植物が密生し、少し高い位置から上に向かって順々に生えた木々の枝葉が、行く手の頭上を覆い尽くしていた。恐らく昼間でも、太陽の光は、重なり合った葉の隙間から木漏れ日のように届く程度だろう。



右側は道のカーブに沿って木製の柵があり、その柵の外側には、再び下に向かって山の傾斜が繋がっていて、そこにも鬱蒼とした木々が立ち並んでいた。


標高二二七メートルで、慣れ親しんでいる地元の低山とはいえ、一歩道を外れると遭難の危険は十分にある。



しばらく歩いていると、ふいに道が二股に分かれた。


俺はどちらに進むべきか迷って立ち止まり、もう一度、地図アプリのマーカーを確認した。


すると、見たところ目当ての場所は左側の道の奥を指しているようだったが、ここにきて、まともに信じていいものか、今更ながら俺は思案した。ここで道を間違えたら、確実に遅れてしまう。


スマホを見ると、時刻は十八時十三分を指している。


俺は考え倦ねた末に、手に持ったスマホで、そのまま面接先に電話をかけて道を尋ねることにした。


番号をタップし終え、スマホを耳にかざして、顔を上げたときだった。



左の道の遥か遠くから、僅かな光がチラチラと揺れながら、生い茂る木々の合間を縫ってこちらに近づいてくるのが見えた。


山の奥には吊り橋や洞窟などもあるので、観光客が下山してきたのかと思った。


徐々にその明かりが大きくなり、次第にその姿が明らかになってきて、俺は目を見張った。



それは、いわゆる"人魂"だった。



(ああ、またか)


俺は、どういうわけか、物心ついた頃からこうしたモノが"視える体質"なのだが、取り立てて害もないので、今まではあまり気に留めたことはなかった。


それに、この手のものは、発光細菌に寄生されたユスリカの蚊柱だったという例もあるので、一概に"視えている全てのモノ"が、怪奇現象だと闇雲に騒ぎ立てるのも恥をかく。


こういうのは何事も無視するに限るのだ。


そうすれば、問題なく終わる。



俺はその場で息を堪えてじっとしながら、それの動きを静かに見守った。


その"人魂"は、ゆらゆらと尾を引きながら、俺の正面を通り過ぎると、やがてスーッと跡形もなく暗闇に消えていった。



辺りは何事もなかったかのように戻り、ふと我に返ると、下ろしていた手の中のスマホから、何度も返答を催促する声が響いていた。

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