第12話 それぞれの出発
四月に入った。ママの新作も絶好調。サンルームは、編集の人や、取材の人が出たり入ったりの大忙しで、家事はもっぱらおばあちゃんまかせ。
なのに、おばあちゃんたら、文句も言わないで、毎日料理の本とにらめっこしたり、このごろ家に出入りするようになった魚屋さんと懇意になって、魚のさばき方だとか、煮付けの仕方とか、楽しそうにやっていた。
勇太はようやく手の骨折も全快して、今までぐずぐずしてた分を取り返そうと、春休み合宿に、意気込んで、出かけて、今日、明日中には、帰ってくるはず。
勇次兄さん、愛子姉さんは、三年生に進級してそろそろ、受験に突入。と、思っていたらそうでもなさそうで、二人は一学期の間にある、アメリカだか、カナダだかの留学に出ようと狙っているらしくて、レポートを書いたり、講習に出かけたりして、そっちの計画に没頭していた。
私はって言うと…春休みに入るとすぐ、高梨家に通うようになった。また少し心境が変わって、ますますおしとやかになっちゃったかなあ…?自分でも信じられないくらいしおらしくしている。
高梨のおじいちゃんは、いつ行っても素振りをしたり、ジョギングをしたり何かしら動いている。今日も、おじゃましたとき中庭でむっつりと、かなり、気合いの入った稽古をしていた。横を通ったとき小さく頭を下げると私の顔をじっと見ただけで、返事もしないでまた真剣な顔になった。
「おじいちゃん気合い入ってるね」
「そうだな。いつも舞子ちゃんが来る時間は稽古の最中だから、あんな顔をしてるな」
「おじいちゃんこわいの?」
「そりゃあ練習の時はこわいよ。孫だって手加減してくれないからな」
「ふーん、うちのおばあちゃんもかなりこわいらしいよ。勇太がしごかれて、まいっているから。私にはとっても優しいおばあちゃんだけど」
「僕もしごかれたな、毎日、素振り、素振りで。手に豆が出来た。幼稚園の頃は楽しかった記憶もあるんだけどな」
「今はどうしてるの?」
「毎日やってるよ。ただもうたこができているから痛いとか言うのはないんだ」
そう言って、高梨さんは掌を広げて見せてくれた。手は、大きくて、竹刀だこができていて、絵を描く人の手とはイメージの違うごつごつした感じだった。
「わ~」
「けっこうごつい手だろう。小さいときはずかしくてさ、人に見せたくなっかったな」
「……」
「嫌かい?こんな手」
高梨さんは、私の顔を少し寂しそうな、いたずらっこそうな目でのぞき込んだ。
「ううん」
「それは良かった。ホッとしたな。コンプレックスだったりして」
「そんな、せっかくのたこなのに……」
「せっかくのたこか……。そう言ってくれる舞子ちゃんがいてよかった」
二人の間にうんと優しい時間がホワホワと流れて、とても照れくさい。私は目の前に差し出された掌に、触ってみたかったけど、高梨さんの大切な手に触るのってまだ早い?気がして、でもいつか、そっと触ってみたいなって思った。
高梨さんの絵は、はっきり言ってすごく奇妙。デッサンの段階でどんな絵になるかって楽しみにしてたけど、習作の時の感じとは全然違って。大きなキャンパスに描き始めたのは、明るい色が跳びはねてるみたいな絵で、私がどこにいるかなんてさっぱりわかんない様な、絵から伝わってくるイメージが私なんだろうなって感じるようなもの……。本人も人物の大作は初めてだって言ってたんだし、かなり力を入れて描いているのは解るから、私がどこにいるのか解らないなんて聞けなくて、これからどうなって行くのか楽しみにしようと思っている。
でも誰にでも頼めるって言うモデルじゃないなって改めて思った。もっと美しくて、麗しい肖像画になるんじゃないかと想像してたんだけどそう言うのとは、まったく縁が遠いみたい。
「よ、珍しいな今日はひとりか?」
「あら、」
勇太も合宿から怪我もなく帰って来て、新学期が始まった。
「三年生は実力テストだから、その間、絵画制作はお休みなの」
「そっか、」
「勇太こそクラブは?」
「今日は自主トレ。帰ってマラソンでもしようかと思ってサ」
「へえ、はりきってるじゃん」
「久しぶりだな」
「え、」
「一緒に帰るのサ」
「そ、そうね。お互い忙しいから」
「お前、何組みになったんだ」
「私、三組。あ、優子と同じクラスになったんだ」
「田代と」
「勇太と小学校同じだったんでしょ。いろいろ教えてくれるわよ」
「何を?」
「小学校の頃は小さくて、前から二番目位だったとか、頭が坊主で可愛かったとかね」
「ろくな話じゃないな」
「小さいくせに馬力があってけんかばかりしてたって」
「ちぇ、情けなくなるなぁ。もう少しいい話を聞かせてもらえよ。正義感の強い勇太君が弱虫の友達を助けた話とかさ」
「そんなことあったの」
「そりゃいっぱいあったさ、ただ、目立たないところでコツコツやってたからみんなにはわかんなかったかもな」
「ふーん」
「ねえ、田代さんて、頭いいだけじゃなくておもしろいよね。私、勉強教えてもらったりして良い人だなあって思うよ」
「お前なら誰だって良い人だって思うんじゃないの、単純だから」
「えー、そうかなあ」
「まったく、お前を見てると人が良いからハラハラするよな」
「あら、そうかしら」
「そうそう、本当はもっと心配してやりたいんだけど、俺は兄貴だからな……」
「え、」
「そう言うことだ」
「そういうこと?」
「まあ、それ以上は解らなくてよし」
「へんなの」
家に帰ると、勇次兄さんと、愛子姉さんが、二人並んでソファーに座ってしょぼくれていた……。
「どうしたの」
「留学試験だめだったの」
「ええ!二人とも学年トップクラスなのにどうして」
「今回の留学は、みんな狙っててさ、かなりの倍率で始めからむずかしいって言われてたんだ」
「そっか、なんでも楽勝って訳にはいかないんだね」
こういう落ち込んだ二人の顔はめずらしくってそんな時もあるのかって思った。
「たまには挫折も必要なんだよ。何でもうまくいくって言うのも味気ないだろ。俺みたいに当たって砕けろの人生もやってみると案外楽しいもんだよ」
「勇太は打たれ強いよな。なんたって小さい時から、はい上がりながら生きてるって感じだもんな」
「今回はいい勉強になったってとこかな」
「でも、みんなが狙ってるって感触よかったよね。ちょっと緊張して」
「いつもトップにいるってプレッシャーだったりするよな」
「私は運動神経とか抜けてる方だから、だめなことも多いけど、勇次なんて何でも出来る方だから、本当に気が抜けないかもね」
「さて、次はどうするかな」
「そうそう、まだこれからだよね。受験勉強も本格的にスタートしないといけないし」
「二人同じ家に暮らしてるんだから、協力してやるとよかったかなあ」
「そうね今度はそうしよう」
「なんだ、二人で深刻そうにしてると思ったら、実は作戦会議だったんだ」
「終った事をくよくよしてる暇ないよな」
二人とも今回のことは、少し悔しくて、残念な事だったみたい。でも、私から言わせればどってことないわよって感じ。留学だっていつかはきっと叶えられるんだろうなって。あの二人なら何処へでも行けそうな気がする。 私はどうするんだろう。もう三年。進路も決めなくっちゃいけないし、いつまでも高梨さんにポーッとなってるだけでいいわけないし本当にやりたいこと見つけてやっていかなくちゃ、どんどん不安になってみんなにおいていかれそう。
「おばあちゃん、私って何になるといいと思う?」
「えっ、舞子ちゃん?そうだねぇ、以外とお嫁さんがいいかもよ」
「お嫁さん?」
「そうそう。家庭的だもの、食べるの好きだし、おばあちゃんみたいな老人にもやさしいし」
「お嫁さんか~」
「最近は、お嫁さんに行きたがらない人多いけど、家の子は三人とも良いお嫁さんになれそうな気がするよ。これからはそういうのも貴重な存在になるかもね」
お皿を磨きながら、それもいいかなぁと思った。もっといろんなことおばあちゃんから教えてもらって、腕を磨こうかな……。
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