第10話 春の息吹

「は~い」

「あっ、あの ぼく、高梨といいます」

 なーんてグッドタイミング。扉は開いた。暇にしてたし、なんでもしてあげられるし、考えごとする時間も余裕もたっぷり。私は…一瞬で…そのメガネくんに恋に落ちてしまった…。

「あの~」

「見てらんねえよ、まったく」

 お姉ちゃんと同学年の高梨さんは、高校二年生。前にも言ったけど美術部にいてこの頃は主に人物画を描いているらしい。お姉ちゃんにしつこくモデルを頼んでいたというから面食いなのかと思えば、私を一目見るなりお姉ちゃんが駄目なら私にといって、声をかけてきた。

 私はぽーっとなっていたから、どんなふうに返事をしたのかよく覚えてないけど気がついたらそういう事になっていた。

 洗面所の影から覗いていたお姉ちゃんと、勇太がいうには、何言われてもまったく上の空で見ていられなかったって……。

 でも、私にしてみれば照れるけど言ってしまえば初恋。

 いいの、いいのどんな顔してたって、ついに私にそんな季節がやってきたんだ。……

 クリスマスもバレンタインもとっくに終わって、今更告白する機会もない時期になって恋に落ちた私は、高梨さんに何を言うわけでもなく一日でも長くモデルの仕事?が続く事だけを健気に祈っていた。

 高梨さんは、はっきり言って超美男子である。初めて、これが初恋だ、と気づいたと同時に、自分が相当な面食いだったんだということもはっきり証明されたくらい、きりっと奇麗な顔をしている。でもこの人がみんなから騒がれずNOマークでいたんだから、世の中は体育系ばかりをもてはやして、いまや勇太にだってファンクラブがあるくらいな程、偏っている。

 まぁ、お陰で、私は誰からもやっかまれず、学校でたまたま会ったりするとそのまま家までいっしょに帰って、制作に励んだりしている。気が付かれてないのかも…

「ねえ、舞子、あんた高梨さんと付き合ってるの」

「付き合ってるって、そんなわざわざ言うようなもんじゃないわよ」

「でも、この頃こっそり一緒に帰ったりしてない」

「あー、それは」

「いいよね。春、春でさ。でも舞子のタイプがああいうのって、知らなかったな」

「ああゆうのなんて、失礼よ。あくまで私の片思いなんですからね」

「よく言うよ。だから、勇太にも、勇次様にも心が動かなかった訳か」

「そりゃあ兄弟だもの、心が動くって感じじゃあーサ」

「私、舞子は勇太のこと、好きなのかと思ってた」

「まあ、見てて飽きないけど。それとこれとは違うよやっぱり」

「ねえ、告白しちゃいなよ」

「そういうのだめなの。いいの、いいの、このままでサー。

 そう恋するっていいのよ。自分が可愛くなっちゃって、なんかいいよね」

 と、放課後、征子と話なんかしてたの思い出して顔がゆるんできた。

「どうしたの。ニヤニヤして」

「あ。なんでもないんです」

「舞子ちゃん、活発なのにモデルやれるってたいした集中力だよ。進んでモデルやってくれる人なんて、なかなか居なくて、いつも苦労するんだ」

「は、はい」

 進んでって分けじゃないけど。

「舞子ちゃん、すぐ返事してくれて感激だったよな」

「あ、あの高梨さん」

 突然……。

「高梨さんってモテます?」

「え…、ぜんぜん。そうゆうのには縁がないなあ」

「どうして、すっごくハンサムなのに」

「そうかなあー、僕は、子供の頃から絵が好きでね。こそこそやってると、知らず知らず一人になっちゃうんだ。それでこの頃になって、人間にも興味持たないとな、と思って人物画を描き始めたんだけど」

「そう」

 人間に…だなんて、やっぱりこの人、不器用な人なのかもしれない。

「舞子ちゃんこそ活発だからもてるんじゃない」

「え、そういうことは無いです」

「でも、谷沢君と若葉さんが兄弟になるって聞いた時、結構みんなショック受けてたよ」

「それは、勇次兄さんと愛子姉さんのことで私は全然関係ないんです」

「君もファン多いのに」

「え、またまた、心にも無いこと私、本当にもてませんから」

 自分で太鼓判押しても仕方ないんだけど、本当に私ってそういう話がないのよね。愛子姉さんみたいに誰が見ても奇麗って人は、やっぱりもてるんだけど私みたいに個性的なタイプはそうはいかない。でもいいんだ。高梨さんに会って、自分でもこんなふうに人に憧れてると思うと、それだけで嬉しくなって、生きてるって感じ。

「ねえ、今度二人でスケッチ旅行へ行かないか」

「え!」

「ああ、旅行と言っても、日帰りだけど」

「ええ!」

『夢みたい。憧れの高梨さんとスケッチ旅行だなんて…』

「春休みにゆっくりこのあたりを回りたいなぁって思ってたんだ」

「はい!」

「無理しなくていいよ、舞子ちゃんにも予定があるだろうから。よかったらね」

「行きまーす。絶対、あの……」

 と、言いかけたけど、どさくさにまぎれて告白するのもどうかと思って言葉を飲んだ。

 私達は、絵を描きながら、スケッチ旅行の計画を立てたりして、春休み前の静かなひとときをすごしていた。

 モデルを一方的に断った姉さんは、始め高梨さんに会うと、ばつが悪そうにしていたけど、この頃は私達が仲よさそうにしているのを見て、無罪放免になったとでも思っているのか、時々私達の周りを様子を見ながらうろちょろしている。妹がこんなにしおらしくしているのが気になるのだろうなあ。今までになかった事だから……。

 この頃仕事が一段落して暇にしている母さんが、私達の為にサンルームを開放してくれて、冬も葉を落とさない樫の木の木漏れ陽のなか、今まで生きてて一番ゆっくり時間が流れてる。そんな実感を味わっていた。

「なあ、舞子、この頃、お前おとなしくしてるけど、ひょっとしてあの高梨って奴にどうかなってるのか」

「どうかなってるのかって。いやあね、恋してるのかとか、何か、それらしいこと言えない訳」

「じゃあ、やっぱり恋してるのか」

「うん、初恋…」

「きっぱり言うねえ。あいつ高二だろう、今度三年だぜ、受験とかで忙しくなって、お前寂しい思いするぞ」

「え……」

「捨てられるぞ……」

「勇太って嫌な奴ね。軽蔑するわ」

「妹のことを心配して悪いかよ」

「妹……」

 そういえば、前に優子が、妹がどうのって…

「妹って、」

「お前9月生まれだろう、俺8月だからギリ兄貴なんだよ」

 ガアァーン、それだけで妹だって思うわけ。なんか複雑。

「まあ先の事は、解らないよ。勇太も恋したら解るよ。今しかないんだよ。今しか」

「そいつに言ったのかよ、好きだとか何とかサ」

「言ってない」

「じゃあ、妹みたいに思われてるって事もあるな」

「……。あるかも…。

 何よ、妹、妹って勇太あんたそれ前に優子に話したでしょう。私笑われたんだから、何の事かって思ってたら……」

「ちょっと調べてみるか!付き合ってるのがいるかいないかくらいは解るだろうな」

「ま、待ってよ。勇太いいのよそんなことしてくれなくたって」

「気にするな、兄貴にまかせろ、兄貴にな」

「やだぁそんなおせっかい。もしもよ、私のはかない恋が消えちゃったらどうするのよ。泣くよー」

 勇太は、兄貴顔して余裕で笑っていた。一目慕れを目撃した、その時の私の様子を見てかなり危ういと思っているらしい。だけどデイトって言ったって、我が家のサンルームなんだし、あの出入りの激しい部屋で健全なお付き合いをしてるのよー。あ、お付き合いまでも行かないか。

 今のところはモデルのお仕事みたいなもんなんだし、今度のスケッチ旅行だって、長いことお付き合いしてくれてって、お礼のつもりかもしれない、よく考えてみたら。その上、付き合ってる子がいるなんて言う衝撃、私受け止められないよー。

 次の日からお節介にも勇太は、美術部の子に声をかけたり、高梨さんの周りをうろちょろしたり、探偵まがいの不審な行動をとっていた。

「ひぇー、すごくでかい家。ここが、あの舞子の、王子様の家かよ。どうしたらこんなでかい家に住めるんだ。絶対何か悪いことやってるぞあいつの親父。大体さぁ虫が好かないと思ってたんだ。落ち着いててさ」

「何か用かね」

「え!」

「わしのうちに何か御用でもおありか」

「うちって、ここ、じいさんの」

「さよう、わしのうちじゃ」

「それじゃあ、じいさんはあの高梨の」

「ははん、入門したいのじゃな。この高梨道場に」

「ど、道場?」

「さよう、開祖以来脈脈と続いた鎌倉武士の末裔。わしが当代当主の高梨源左衛門と申す」

「へえ、」

「おや、どうやら道場とは知らないでここにいると言う事かな?

 すると、我が家に何のようじゃな」

「……?……用だなんて今、その知ってる奴がこの家に入っていったもんだからちょっと覗いて、その、」

「良かったら、上がってお茶でも飲んで行かないか」

「?……?」

「年寄りは退屈なんじゃよ、身体がむずむずして、今も一っ走りジョギングをしてきたところだ。この後お茶を飲む。一緒にどうじゃ」

「は、はあ、」

 …潜入操作?も有りか…

「よし、では行こう」

「……ってな訳で、遂にあの高梨家への潜入に成功したって訳よ」

「潜入って、断れなくて附いてったって感じじゃない今のじゃ」

「くっ、くっ、」

「なんだよ!」

「なによ!」

 と、勇太と私は同時に、笑った勇次兄さんの顔を見た。

「ああ、悪い悪い。でも聞いてくれたら、あそこの家が代々剣道だか憲法だかの家元で、高梨もそうとう強いって僕知ってたよ」

「げっ、兄貴に聞き込みするの忘れてたぜ。でもよー、本人は嫌がってるらしいぜ。じいさん残念がって嘆いてたもんな」

「ふーん」

「今日の収穫はこのくらいだ。今のところ色気のある話はないなぁ」

「もういいよー」

「舞子、あいつ、いい奴だよ。子供の頃から目立ちたく無かったらしくて控えめにしてたけど、中々たいしたやつだと思うよ」

 中々たいした奴。勇次兄さん、止めてよそんな仲人口聞くの。だけど、

『中々たいした奴』

 結構良き響きじゃない。

 やっぱり男同士って良いね。認め合うとこ素直に認め合って。

 高梨さんを褒めてもらってちょっと良い気になって勇太を見た。おじいさんの言ったことにこだわっているのか何だか気に入らないように口をとんがらせて不機嫌な顔していた。 

 その後、勇太の調査も行き詰まってはっきりしないまま、私と高梨さんの初めてのデイトの日は、何のトラブルも無く順調にやってきた。

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