第三輪 エレンダール
窓を震わせていた風が、ようやく少し落ち着いてきた頃。息も絶え絶えな男を
「そろそろ、止みそうですね。雨」
男はただ黙って、浅い呼吸を繰り返すばかりだ。
「そういえば、最初に聞くのを忘れていましたね。あなたがどちらに賭けたのか」
グレイヴの言葉に、男は
「最後にちょうどいい小話をしましょうか。私がまだ、この島に来たばかりのころの話」
§
精霊と魔法使いは、はるか昔より手を取り合って暮らしてきたのだという。
その寿命に差はあれど、魔法使いは魔力を分け与えることで、精霊は逆に魔力を魔法に変換した際に生じるエネルギーを糧にして。
そうやって、お互い生き延びてきた。そう周囲からは教わった。
「じゃあ、魔法使いと契約できなかった精霊はどうなるの?」
まだ幼かった私は、何の気もなしにそう聞いた。少し考えさえすれば、その答えはわかったはずなのに。
「大丈夫。魔法使いが亡くなったあとには、必ず何かの花が咲く。魔力に満ちた、決して枯れることのない、人の手には余る花。一つでは十年と持たないかもしれないけれど、
そう答えた精霊の顔は、少し引きつっていたように思う。
なぜなら、精霊が契約できないことなど、本来はあり得ない話だから。誰も考えつかないような、無に等しい可能性でしかないから。
生まれてから今の今まで、一度も契約を結べていない私が、異端の落ちこぼれでしかなかったから。
そこで初めて、私は墓場の存在を知った。本来使われるはずのない、私のような哀れな精霊にとってはおあつらえ向きの土地。交代で墓場を守っていた精霊たちは、同情と侮蔑の眼差しを隠そうともしなかった。
「あなたのパートナーが見つかるまででいいの。任せっきりになるのは申し訳ないけれど……どうか、よろしくね。グレイヴ」
こんな隔離された場所でパートナーなど、見つかるはずもないというのに。墓守という地位は、私の一生を縛る呪いそのものだった。
それからは、天気がいい時だけ花に水をやり、時折来る墓荒らしを撃退し、あとは眠って起きるの繰り返し。同じような毎日は退屈という感情よりも、たった今、自分が本当に生きていると言えるのかという疑問ばかりを運んできた。
そんな時だった。魔法使いが墓場を求めて、この島にやってきたのは。
「君が、新しい墓守か。精霊たちがよく、君の噂をしているよ」
中年というほど歳をとっているようには見えないが、落ち着きのある声はどこか経験豊富だと思わせるような力がある。
彼は自らを「能無しの魔法使い」と名乗った。
「グレイヴと申します。ところで、契約している精霊は、どこに」
「言っただろう、私は能無しだと。精霊がいなければ、飛ぶ以外のことは何もできやしない。……魔法使いというのはなにぶん、不便な生き物だね」
その言葉を聞いて、私は自分の耳を疑った。
精霊と契約していない魔法使い。それは私が求めてやまないものに他ならない。死にかけているとはいえ、一度でも契約を結べたのならば、私は墓守という立場を捨てられるかもしれない。
どうしても、そんな希望を抱かずにはいられなかった。
「ならば、この私と契約してくださいませんか。たった一度でいい。死ぬまでの
「……ごめんね、それはできない」
ああ、やはり。無表情を務めていても、落胆が自然と顔に出てしまう。
「勘違いしないでほしい。君だからじゃない。私はもう、他の誰とも契約をする気はないんだ」
不意に頭を撫でられ、冷え切っていた心に一滴の温もりが落ちる。見上げれば、彼はなんとも言えない表情で、ぎこちなく笑ってみせた。
「かつては私にも、パートナーと呼べる精霊がいた。精霊の一生は長く、反対に魔法使いの寿命は短い。ゆえに私は、その生涯を共にすることを当たり前のように思っていたんだがね」
返す言葉もなかった。私たちの方が先にいなくなってしまう場合もあるのだという驚きと、それほどまでに愛し愛されたものへの羨望が胸の中で入り混じり、どうにも上手く言語化することができない。
「魔法使いというのは、不便な上に短命だが、その分いくらか恵まれている。こんなに綺麗で立派な墓があって、パートナーの精霊にも
「だから、他の精霊と契約は出来ない、と。そういうことでしょうか」
「……もちろん、ただの自己満足でしかないんだけれどね」
日が傾くにつれて、彼の体からは徐々に生気が抜けていく。
「そろそろ潮時かもしれない。空いている場所に案内してもらえるかな?」
「……かしこまりました」
緑の広がる丘に腰を下ろし、彼はそのまま仰向けに寝転がった。
「そうだ。最後に、墓守の君にお願いがあるんだ。契約を断った手前、悪いんだけど……」
「問題ありません。そういったことも、私の仕事の内ですから」
「はは、そうか。助かるよ」
彼はまた、口角を
後には人の影もない。ただ真っ赤に揺れるエレンダールの花弁が、いつまでもいつまでも鮮やかに焼き付いて離れなかった。
§
「エレンダールというのは、とても長命なことで有名な植物なんです。無論、この島にある花はみな、枯れることを知らないのですが」
男はもう返事をしない。窓を打つ雨の音も、いつの間にやら聞こえてこない。
「それでもやはり、内に秘める魔力量には個体差がある。シュタレアが十とすれば、エレンダールは百」
雲間から差す日光は、ガラスにこびりついた
「あなたも知っているのではないですか? 魔法使いが死してなお残る花……それを口にしたものは、不老不死となる。そういった、お伽話のような伝説を」
グレイヴの手元には、あの赤い花があった。丘から一輪抜き取った、美しく鮮烈な思い出の残り香。
「特別にお教えしましょう。遺言とはなんなのか」
——私のような魔法使いが再びここに辿り着いたその時は、私を食わせて再びお願いしてみるといい——。
グレイヴの手からこぼれ落ちたひとひらの花弁は、男の口へするりと流れ落ちていった。
「雨は止みました。もしもまだ、生きる意思がおありなら——私と、契約してはくれませんか?」
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