第二輪 エーテルフラウ

 簡易な造りの暖炉にマッチを放り、二人分の湯を沸かす。


「と、言うわけで。残念でしたね」


 一人コーヒーをすするグレイヴに対して、男は何も答えずただ天井を眺めるばかりだった。


「……おや、もしかして。もう死んでしまったのですか」

「は、馬鹿な。死に損ないなことくらい、花になっていない時点でわかるだろう」

「それも、そうですね」


 湧いては消える透明なあぶくを見つめながら、グレイヴは冷めきったコーヒーの苦さに顔をしかめた。


「——落ちこぼれ」


 不意に男の口から漏れたそれを、嫌でも耳が拾ってしまう。


「僕も、そう呼ばれていた。自分でもその通りだと思った。だからかもしれないな。君の話を、最期まで聞いていたいと思えるのは」

「それは、励ましているつもりですか」

「そんなことが出来るほど、余裕があるように見えるのか?」

「……わかりきった答えを求めることほど、愚かな行為はありませんよ」


 飲み干したコップの底には、島の外から持ち込まれたエーテルフラウの粉末が、黒い三日月を描いていた。


「雨が止むまで、という話でしたから。もう一つ、このコーヒーを置いていった方のことでも話しましょうか」


 §


 とある嵐の過ぎ去った夜。波打ち際に壊れた船と、ボロ雑巾のような服をまとった女が月明かりを浴びて転がっていた。


「……またか」


 稀に、魔力を持たない一般人がこうして島に迷い込んでしまうことがある。と言っても、そのほとんどは花を狙う墓荒らしだ。

 自業自得。むしろ、トドメを刺してくれるだけありがたいと思って欲しい。

 海に送り返そうと思い近づくと、壊れた船の方からほんの一瞬、甘い香りがした。間違いない、花の匂いだ。

 慌ててそのみなもとを辿り、穴の空いた紙袋を船底から発掘する。


「何これ。……粉?」


 それは、おそらく花びらの粉末だった。この香り、月の光を吸い込んで鈍くオレンジ色に輝く姿。覚えがある。


「そうだ、エーテルフラウ。こんな毒草、一体何のために」


 別名、やまいばな。一度生えれば周囲の草木から栄養を奪い尽くし、毒の花粉を介して弱った人間の体にさえも寄生するという。まさに人類の天敵とも言える植物だろう。


「み、水……」


 微かに聞こえた声に振り向けば、女は乾いた唇でうわごとのように、そう繰り返し呟いていた。その体からはわずかに植物のつるのぞく。


「寄生、されているのか」


 実際に見たのは初めてだった。どうせもう、長くない。最後の情けくらい、かけてやるべきだろうか。そう思った。


「ほら、水です。大丈夫ですか?」


 差し出した器を女は震える手で受け取り、何度も感謝を口にした。

 そして、それを思いっきり頭から被った。


「はー! 生き返りますー! 本当に、本っ当に! ありがとうございます!」


 先ほど死にかけだったのが嘘のように、女はみるみる元気を取り戻していく。


「粉末を届ける途中で嵐にあってしまいまして。いやー、危うく干からびるところでした! あなたはまさしく、命の恩人です!」

「あ、あの、元気になったのであれば帰っていただいて……」

「いえいえ、そんなわけにはまいりません。ぜひとも何か恩返しをさせてください!」

「いや、しかし、ですね」


 困惑する私を見て、女は何かに気がついたようにハッと口を抑え、共感するように目尻を下げた。


「そうですよね……。この体から生えた草を見れば、恐れるのも当たり前ですよね。でもですね、ご安心ください! ほら、まだ蕾なんです。蕾のうちに摘み取って加工してしまえば、決して移ったりしませんから!」


 体からいくつか草の塊をちぎり取って、女はそれを海水につけた。すると蕾はすぐにしなびて、カラカラに乾き色褪いろあせていく。


「この島の生態系についても問題ありません! エーテルフラウは極度に海水を嫌うんです。だから、こういった小さな島には生えませんし、いっぱいあるお花が枯れることも……あれ? なんでこの島、こんなにたくさんお花があるんですか?」


 まずい、やはり殺すべきか。後ろ手に用意したナイフを、きつく握りしめる。


「……まあ、そんなことはどうでもいいですよね! それよりも恩返し! ちょうど新しい材料も手に入りましたし、よかったら水と火を貸していただけませんか?」


 呆気に取られる私を差し置いて、女は元気よく小屋の方向へと走っていく。

 私は無論、慌てて追いかけ、なんとか追いついて、追い返そうと試みた。

 ……結局は、その強情さに根負けして小屋の中に入れてしまったのだが。


 §


「それは随分と、なんというか。破天荒な人だな」

「ええ、私もそう思います」


 金属製の鍋に粉末をさらさらと流し入れ、炒るように火にかける。


「今のが、その粉なのか」


 男の問いに答えることなく、グレイヴは黒く変色していくエーテルフラウを鍋の中でただもてあそんでいた。


「エーテルフラウの毒性というのは、どうやら海水と加熱に弱いらしいのです。それに気がついたあの方は、自身の病を逆手に取って商人になったのだとか」

「その商売道具が、いわゆるコーヒーになると? 本当に?」


 焦げ切った粉末を二つのカップに分け、先ほど沸かした湯を均等に流し入れる。湯気からは、ほろ苦さを秘めた甘い香りがほのかに立ちのぼった。


「どうせ、人生最後です。信じられないのなら、一度でも召し上がってみては?」


 そう言ってグレイヴが差し出した黒い液体を、男は喉を鳴らして恐る恐る飲み込んだ。


「……美味い」

「でしょう。今でも時々、届けに来てもらっているんです。悪い方ではありませんし、エーテルフラウ以外の花に興味もないお人ですから」


 満足げな顔でコーヒーをたしなむグレイヴを、男は不思議そうに見つめる。


「……生きて、いるのか?」

「死んだなんて、一言も言っていませんが」

「しかし、花に寄生されている、と」


 ああ、と今更思い至ったような顔をして、グレイヴはにこやかに目を細めた。


「確かに、弱った人間に寄生するとは言いましたが……寄生された人間が死ぬとは、言っておりませんよね?」


 だから、あなたも。そう言いかけて口を噤んだグレイヴの瞳は、暗くコーヒーの色に揺らめいて、微量の憂いを含んでいるようだった。

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