第一輪 シュタレア

 男をベッドに横たえて、グレイヴはそっと椅子に腰を下ろす。


「聞いた、ことがある。魔法使いの墓場……魔蝕を抑えきれなくなった魔法使い達にとって最後の安息地たる場所。あるいは、死にゆく魔法使いと契約を交わした精霊との別れの場、とも」


 低くうめくように発された言葉に、グレイヴは窓の景色から男の方へと視線を落とした。

 雨は、当分止みそうにない。


「一つ、私と賭けでもしてみますか」

「……賭け?」

「そう。最後の、暇つぶしです」


 濡れたタオルを手に取り、グレイヴは男の額にこびりついた土を拭う。


「賭けましょう。雨が止むまで、墓守の無駄話にあなたが付き合っていられるかどうか」


 §


 あの日も確か、こんなふうに雨が降り止まない夜更けだったように思う。


「おい、落ちこぼれ」


 いつものように花を眺めていた私の背に、空からよく聞き慣れた言葉が浴びせられた。


「まだ墓守なんぞやってんのか。さっさと相手の一人でも見つけねーと、本当に一生この島から出られずじまいだぞ」

「ちょっと、ライ。そんな言い方はないんじゃないかしら。ごめんなさいね……不器用だから、この子」


 乱暴な精霊の頭をなだめるように撫でながら、年老いた魔法使いはゆっくりと地に足をつける。


「ようこそ、花幻島へ。通称——」

「魔法使いの墓場、でしょ。知ってるわ。ライに聞いたの」

「……そう、ですか」


 よく見れば、魔法使いの四肢には既に魔蝕の進行した跡が絡みついていた。よくもまあその状態で、こんな辺鄙へんぴな島までたどり着いたものだ。


「俺だって、好きで案内したわけじゃないさ。こんな暗くて陰気な場所に何度も来たいやつがいるもんかよ」

「ライ」


 頭を杖で弱々しく小突かれ、ライは耐えきれないように顔を伏せた。何百年生きようと関係ない。別れというのはいつも、私たち精霊にとって慣れない感情を呼び起こさせるものらしい。


「場所の希望などありますか、光の魔女様」

「トットでいいわ、可愛らしい墓守さん」


 そうねぇ、と宙を見上げて、トットは何かをひらめいたかのように微笑んだ。空はいまだ、重苦しい灰色の殻にこもったままだ。


「いつも温かくて、寂しくない。陽だまりのある所がいい」


 §


 ここまで話し終えて、グレイヴは一つ小さくため息をついた。


「君は、精霊だったのか。ならばどうして……」


 契約している魔法使いがそばにいないのか。なぜ、こんな場所に一人、居座っているのか。

 飛び出しかけた疑問の出口を塞ぐように、グレイヴは人差し指を男の唇に添える。


「どこを選びますか。あなたなら」

「……当てたら、僕の質問にも答えてくれるのかな」

「それであなたが満足するのなら、いくらでも」


 男はしばし黙りこくって、窓から曇り空を見上げた。


「小屋の屋根、は、どうだろう。この島の中で最も太陽に近い。周囲に同胞の花も咲いている。条件に近いのでは?」


 そう得意げにグレイヴを見やると、彼女はわずかに口角を震わせて「なるほど」と呟いた。それが意地の悪い微笑みだったと気がついたのは、少し上擦うわずった声を聞いたずいぶん後のことだ。


「では、話の続きをしましょうか」


 §


 トットの言葉を聞いて、私はどんな顔をしていたのだろう。少なくともライは、駄々をこねる子供のような表情を必死に押し殺していたように思う。


「それは無理だ、トット。前も言っただろ。この島は極端に天気が荒れやすい。だからこそ、空の飛べない墓荒らしどもが侵入することはほぼ不可能に近いわけだが……」

「そうね、そうかもしれない。でも」


 顔を背けたライに優しい眼差しを向けながら、トットはおぼつかない足取りで杖をつく。


「少しでもライを感じられる場所で咲きたいっていうのは、そんなに我儘わがままなお願いかしら」


 暗くじっとりと冷たい風が頬に張り付いた。闇の中で、ライの体だけが灯篭とうろうのように眩しく揺れている。


「一つだけ」


 不意に発した声に、私以外の二人はピクリと肩を震わせた。


「一つだけ、思い当たる場所があります。……ご期待に添えるかどうかは、わかりませんが」


 わずかではあるが、雨の勢いが弱まった気がした。はるか遠く海の向こうで、雲の端がほのかに赤みを帯びている。


「日の出と日の入の一瞬、たった一瞬ではありますが、ほら」


 指し示した先、小屋の扉の一部が、薄い朝焼けの色に輝く。


「温もりに関しては、毎日握る私が保証しましょう。寂しさの方については……少々、力不足かもしれませんが」

「いいえ、十分じゅうぶん。本当に、十分すぎるほどだわ」


 ライに支えられながら、彼女はふらつく体を扉に預け、そっとドアノブに手を伸ばした。




 シュタレアは、小さく半透明に淡い、一見 はかなげな星の花だ。

 その一方で、日中は常に太陽の方角へと食らいつき、夜は蓄積した光を何倍にもして放つという習性を持つ。たとえそれが、雨の日であっても、ほんのわずかな日光であったとしても捉えて離さない。

 そのことを伝えれば、少しはライの気も晴れるだろうか。少しは泣き止んでくれるだろうか。わからない。


 最後に二人が交わした会話がどんなものだったのか。落ちこぼれの墓守ワタシに、それを本当の意味で知るすべはない。

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