CASE.2 佐倉美桜 3

「えっ!?あの転生プラン売ったんスか!?」


お昼時の定食屋。仏田ほとけだ転生店の社員たちがランチタイムを楽しんでいる。そのうちの一人の小柄な男性社員、猫橋ねこはしは驚いた拍子に箸で掴んでいた焼き鮭を取りこぼした。


「あの『外見実力主義社会』の…要注意物件のやつっスよね…!?」

グラスの水で口を整え改めて聞き返す。テーブルの向かい側に座る先輩社員の狐島こじまは猫橋の動揺など気にも留めず、実に旨そうに味噌汁を啜っていた。そして目の前の生姜焼き定食を嬉しそうに見つめたまま質問に答える。

「たしか2か月ほど前でしたかねぇ。」


狐島は生姜焼きを一口、次に米を頬張った。あっけらかんとしたその様子に猫橋は若干引いているようなそぶりを見せる。

「僕だったら…あのプランは売る気になれないっスね…。かなり特殊な価値観のパラレルワールドですし、あそこに転生させるのはちょっと酷な気がしてしまって。」


ようやく狐島が猫橋の方を見た。しかし彼の細い目の奥は、相変わらず何を考えているか読むことが出来ない。そして「これは私の持論ですが」と前置きをしながら語り始める。


「『容姿』だけが全てだと思い込んでしまうのはその人の心が未熟な証拠だと考えます。それならば、必要だってあるはずです。」


その意味深な言葉に猫橋の顔が輝いた。

「なるほど…!お客様のことを考えてあえて厳しい環境へ送ったってことスね!?すげぇ…さすが先輩っス!」

狐島は目をさらに細くしてにやりと笑う。後輩に褒められたからではなく、全てを見透かすような笑みだった。


「きっと彼女なら這い上がってくるはずです。私の見立てが正しければ、ですが。」








私が転生して得た『美人パワー』は、まさに天井知らず。


モデルやタレントとしての活躍の舞台はどんどん大きくなり、この間収録したテレビCMが明日から放送されるらしい。これからはコンビニに行くときでさえマスクとサングラスは欠かせなくなりそう。

夢のような新しい人生…。たった2か月間の出来事とは思えないほど濃密で刺激的な体験だ。



けれど、それなのに…。それなのに私は、辟易としていた。

人々が抱く価値観に嫌気がさしていたからだ。


このパラレルワールドの日本では、容姿に恵まれなかった低ランクの人たちへの差別が横行している。この2か月間でその現場を幾度も目にすることになった。

今日入った飲食店では、『Eランク』の女性店員が『Aランク』の男から「汚い顔を見せるな」と怒鳴られていた。そんなことが起こっても周囲の人々は、「いつものこと」と我関せずを決め込むだけ。

差別に遭遇するたび私は仲裁に入った。どの言葉も私が言われているような気がしてしまって見過ごすことが出来なかったから。けれど都合のいいことに、たいていの奴は私の『Sランク』のバッヂを見るだけで退いていく。とにかく容姿で上下がついているのだ。


だからこの世界では少しでも容姿ランクを上げるために美容整形をする人が非常に多いという。そして歳をとっても容姿ランクが下がらないように、若さに必死でしがみついている老人もいるのだとか。


これが『外見実力主義社会』。美男美女だけが得をして、それ以外の人は損するばかりか差別に晒される。

高ランクと低ランクの間にある見えない壁。それが岩田さんが私に対してよそよそしかった理由だ。そしてあの水無瀬君との一件があってから、私と岩田さんの間には前よりも深い気まずさがずっと流れていた。



あぁ、取り巻く空気そのものにモヤモヤする。今まで過ごした世界との価値観のギャップが心を重くしていた。

私は悪いものを追い出したくて頭を振る。せっかく手に入れたこの美貌を、華々しい人生をただ楽しむことだけに集中していたい…。


対岸の火事であるならまだよかった。

けれど、それでは済まされないような、火がゆっくりと忍び寄るような感覚がどうしても拭いきれなかった。







「どうでした?私のリアクション。」

岩田さんにそう問いかけると「良いと思います」と必要最低限の淡白な言葉だけで返してくれた。


生憎の曇天の中、私はグルメロケの撮影で数名のタレントさんたちと東京の街を巡っていた。ぶっちゃけ食レポなんてよくわからない。なので私は「美味しいものを食べてかわいい笑顔をひけらかす」という、課せられたミッションをひたすら愚直に実行するだけだった。慣れない仕事で大変だけれど、放送後にエゴサをするあの快感を思うとといくらでもやる気になれる。


相変わらずこの世界を取り巻く空気は変わらないし、岩田さんとの間の溝は埋まらない。しかし今日はそれに加えて、別のものが背中にべったりとこびりついている感覚があった。


じっとりと見つめられる誰かからのだ。


気味が悪い。見られる商売ではあるものの、今まで感じたことのないそれは違和感として残り続けていた。幸い次の店でロケは終わる。今日はさっさと帰ってすぐにお風呂にでも入りたい。

そんな風に心の中でぼやきながら、移動するため演者やスタッフと共に店から歩道へと出る。



しかし次の瞬間、悪寒で鳥肌が立った。

気味の悪い何かがさっきまでよりずっと近くに居る。そう直感した。

そして私の意識はそれに吸い込まれていき、時間がスローモーションのようにゆっくり流れているような気がした。


野次馬の中に居たのは、フードを目深にかぶった目の黒い女。

女が鞄の中からずるりと何かを取り出すのが見えた。


そして重心を大きく前へと傾けて、私めがけて突進してくる。その顔にはめいっぱいの『憎しみ』を携えて。

知らない人だった。見ず知らずの人にそんな顔を向けられる覚えなど当然ない。でもこの感覚…、あの時と同じだ。高ランクというだけで、岩田さんから嫌われていると知ったあの時と同じ…。


女はを振りかぶった――。






…女の叫声が聞こえる。


いつの間にか私は地面に座り込んでいた。何が起きたのかすぐには理解できず、寝ぼけたみたいに意識がぼんやりする。

ゆっくりと顔を上げると、女が数人の男性から取り押さえられている様子が目に入った。


「お前らのっ…お前らのせいでなぁ、私はっ…!ゴミみたいに扱われてぇ!ふざけんなよ!死んじまえ!」

罠にかかった猛獣がもがくように女は暴れ喚き散らしている。その胸元では『E』と記されたバッヂが鈍く光っていた。


茶色の瓶がこちらにごろりと転がって来る。そして中からは何かの液体が零れ落ちていた。

そこでようやく私はおおむねの状況を察して、体中から冷や汗が噴き出すのを感じた。焦って自分の状態をくまなく確認する。

しかし見つかった変化と言えば、転んだ際についたであろう掌の擦り傷だけ。いったい何がどうなったの…?


その時、女の声に紛れてかすかなうめき声が聞こえた。私の左前方にあった大きな背中。その苦しそうな声の主は数人から介抱を受けており、ただごとでないことは後ろ姿でも分かる。


「くそっ、くそっ!あんたもあたしと同じ側だろ!なんでそんな奴をっ…!」

耳鳴りと共に女の声がだんだんと遠くなる。恐怖と混乱で何も考えられない。

どこか遠くでいくつかのサイレンが聞こえ始めていた――。







「人気俳優の水無瀬卓也容疑者が逮捕されました。」


垂れ流したニュース番組が見知った顔写真を映し出している。あの日私を襲撃した女をそそのかし、薬品を渡した犯人なのだと言う。人気タレント同士のいざこざという、いかにも脂の乗った事件。それを伝えるキャスターはテンションが高くどことなく嬉しそうに見えた。


自分がこのニュースの当事者なのだといまだに信じられなかった。信じたくなかった。

自室で一人、閉じこもって1週間ほどが経っただろうか。外に出る気になんてなれるわけない。ここは私が思うよりずっと怖い世界だったんだ。



ピンポーン。

チャイムの音に全身が硬直する。今は相手が誰でも話をすることすら恐ろしい。

居留守を使おうとしたけれど、来訪者は一向に呼び出しをやめなかった。仕方なく重い腰を上げインターホンに出る。そしてチャイムの主が名乗った。


「佐倉さん、僕です。岩田です。少しお話出来ますか…?」



二人分のお茶を用意してテーブルへ運ぶ。岩田さんはその大きな体を丸くして、出来るだけコンパクトに正座しようとしている感じだった。彼とはあの事件の日以来初めて会う。私も岩田さんもかける言葉を探して、しばらくの沈黙が続いた。


「…大丈夫ですか?」

そして二人は同時に、同じ質問を相手に投げかけていた。

けれどその問いはそれぞれ意味合いが違っている。岩田さんは私の心を案じて、そして私は彼の体を心配して出た言葉。


岩田さんの顔は右半分だけしか見えなかった。


顔の左側の大部分と左手が、包帯やガーゼで覆い隠されているからだ。痛々しく残っていたのはあの事件の痕跡だった。

「命に別状は無いとのことですが、完全に元通りになることはまずないそうです。」

岩田さんは淡々とそう言った。


私の顔を溶かすために用意されたあの女の薬品は、岩田さんが自らの体を盾にして防いだのだ。


「どうしてそんなことを…。」

つい思いが言葉として漏れていた。マネージャーはボディガードではないし、そもそも彼は私を嫌っていたのに。私を庇わなければそんなことにはならなかったのに。



「僕も自分でしたことに驚いています。」

少しの間を置いて岩田さんが話し始めた。


「僕はずっとあなたに嫌悪感を抱いていました。あの犯人の女と同じように、あなたが容姿に恵まれた人間だからという理由だけで。」

それは分かっていたことだけれど、改めて言葉にして伝えられるとやるせない思いが湧いてくる。


「ですが佐倉さんは、今まで出会ってきた高ランクの人間とは誰とも違っていた。あの日水無瀬さんからかばってくれた時、僕は初めての経験で驚いてしまい何も言えませんでしたが、改めて言わせてください。ありがとうございます。そして、いわれのない嫌悪感を押し付けてしまい、申し訳ありませんでした。…ずっと言わなければと思っていたのですが、なかなか切り出せず…。」


驚いた。岩田さんは大きな図体の肩を落とし、しょんぼりとした表情をしていた。これまでは無機質な機械のように見えていたけれど、今はきちんと温度の通った人間なのだと思える。

「僕と同じような目に遭っている人を助けている姿を何度も見ました。僕らからすればあなたは特別なんです。だから、護らなければと思った。これ以上この社会の悪意であなたの心を曇らせたくなかった。」

訴えかけるような必死の表情で岩田さんは続けた。


「僕は…あなたのその美しい心を護りたかったんだと思います。」



そんなことを言われたのなんて初めてだった。それに岩田さんがそんな風に思っていてくれたのだという事実に、驚きと同じくらい大きな嬉しさを感じていた。そして彼は絞り出すように切望する。

「だから、だからどうか、佐倉さんには立ち直ってほしいんです。」


すぐに「はい」とは言えなかった。岩田さんの思いは十分に伝わったけれど、失われてしまったものがあまりにも大きすぎる。『D』だったはずの彼のバッヂは、最低ランクの『F』へと置き換わっていたのだから。それを見ると胸がぎゅっと締め付けられてしまう。

「…ごめんなさい。私が水無瀬君から恨みを買ったせいで、岩田さんを巻き込んでしまって…。」

彼もまた清い心を抱いているからこそ、私は申し訳なさでいっぱいになってしまう。


すると岩田さんが見せたのは意外な表情だった。半分しか見えないけれど、確かに彼は笑っていた。

「佐倉さんが無傷だったのなら、僕はそれだけで嬉しいんです。だから気にしないで。もともとDランクだったのだから、僕なんかどうなってもいいんですよ。」



どうなってもいいわけない。容姿に恵まれなかった私達だって、幸せに笑ってもいいはずだ。

「…そんなこと言わないで。」

素直な思いと涙が零れ落ちていた。


「あなたの心だってそんなに美しいじゃない。だから、「僕なんか」なんて言わないで。容姿だけで人の価値は決まらないわ。」


私はずっと容姿だけが人の全てだと思って生きてきた。もともといた世界でも美男美女は得をして、ブサイクな私は損ばかりだったから。だからその言葉に自分で驚いてしまった。

『容姿』が支配するこの世界だからこそ、その人の一番奥深くにあるものがよく見えたのかな。岩田さんへかけた慰めの言葉は、かつての私へと向けた言葉でもあったのかもしれない。


「容姿だけで人の価値は決まらない…。僕もそう思います。でもそれなら、僕がFランクになったことも大した問題ではないですよね。」


彼はそう言ってまた笑った。

なんて愛おしい笑顔だろうと、私は心からそう思った――。








「短い間でしたがお世話になりました。」


私は事務所で退所の手続きを終え、お世話になった方々に最後の挨拶をして回っていた。たくさんの人たちに引き止められたけれど、意思は固い。モデルの私はこれでもうおしまい。


また襲われるのが怖いからというのもある。でも一番大きな理由は、岩田さんと話したあの日以来容姿に対する執着が減り、モデル業自体に熱が入らなくなったから。

これからは少しでも低ランクの人たちが差別を受けなくするため、メイク術などを教える家業を開こうと思っている。私なら目をいくらでも大きく見せる方法を知っているし、効率的なダイエット法にだって精通しているんだから。


転生してから本当にいろいろなことがあった。

どちらかというと悪い出来事の方が心に強く残っている。けれど気分は澄んでいた。本当に大切なものが何なのか、前世からずっと求めていた何かを見つけられたような気がするから。



下向きの矢印を押し、帰りのエレベーターを呼び出す。この事務所へやって来ることももうないだろう。夢のような時間をありがとう。


感傷に浸りながらエレベーターを待っていると、横に人が立つ気配がした。

「お疲れさまでした。」

声の方を見上げると、まだ顔に包帯を残した元マネージャーが佇んでいた。


「まだ療養中だと聞いてたんですが、もう復帰されたんですか?」

「佐倉さんが今日で辞められると聞いて来ました。」

二人の間で他愛もないやりとりが交わされる。それは今までにも増して二人ともどこかぎこちない会話だった。


エレベーターが到着する。最後の挨拶をして扉をくぐる…。

けれどどうしてだろう。何かやり残したような、言わなければいけないことがあるような、そんな胸の疼きを感じていた。

すると少し慌てたような調子で岩田さんが言った。


「あ、あの、もうマネージャーではありませんが…また連絡してもいいですか?」


その問いに私も慌てて返事を返すけれど、扉は閉まってしまった。ちゃんと聞こえていただろうか。

心臓がいつもより速足だ。容姿に執着なんか無くなったはずなのに、今更になって前髪の角度が気になった。



胸の疼きが強くなる。

心がじんわりと温かくなるような、明日が楽しみになるような、そんな感覚。


その正体を、私はよく知っている――。

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