CASE.2 佐倉美桜 2
『モテる』って案外面倒なのね。
美人に転生して3日。私は計29人目のナンパ君に断りを入れながら、嬉しさ交じりのため息をつく。せっかくのショッピングが全然捗らないわ。
そう小言はつぶやきつつも、正直悪い気は全くしていなかった。
今までのブサイクな私なら考えられないような勢いで男たちから声をかけられるんだもの。ようやく念願が叶ったのだから、有頂天になって天を衝く勢いで浮かれて当然よ。
私はやって来たこの新しい世界で『モテ』を満喫していた。
今のところ私好みのイケメンから声をかけられてはいないけれど、それも時間の問題だろう。完全無敵のこの容姿ならいつか素敵な人と巡り会えることを確信している。
けれど、私は注意深くもなっていた。調子に乗って痛い目に遭うなんて寓話の定番だもの。そんなエンディングには絶対させないわ。
『外見実力主義社会』
狐島さんはこの世界をそう言い表していた。そして美人になった私にとって最高の舞台でもあった。
ここは私がいた世界とはほとんど変わらない『パラレルワールド』の日本。違うところがあるとすれば、人々の胸元には必ずアルファベットの記されたバッヂが付いていることだ。
それはその人の『容姿ランク』を表していて、それが高ければ高いほどこの日本においては優遇される。
例えばこの水色のきれいなワンピース。値札を見ると、値段が容姿ランクによって可変する形式になっている。中間の『Cランク』の容姿の人なら47,000円で買えるけれど、最低の『Fランク』の人は129,800円も出さなければいけない。
私はこのワンピを手に取った。ついでに隣の色違いのピンクとグレーも気に入ったので買うことにしよう。迷いも躊躇いもあるはずはない。これだけ買っても3着で合計5,100円しかしないんだから。
私の胸元で燦然と輝いているのは『S』と記された金色のバッヂ。
美男美女はモテるだけじゃなく、あらゆる場面において得をするのがこの世界の価値観だ。それは元の世界でも多少はあったことだけれど、ここではその比じゃない。
今までのブサイクだった私がこの世界に産まれていたら…。そう考えると背筋が寒くなる。
「お姉さん、ちょっとお話いいですか?」
雑踏の中で一人の男性に呼び止められる。またナンパか。でもタイプじゃないな、などと考えていると、その人は小さな紙きれを差し出した。見るとそこには『芸能事務所』の文字。
「モデルのお仕事とか興味ありませんか?」
…これはいわゆる、スカウトってやつ…?噂には聞いたことがあったけれど、実際に存在した現象だったんだ。
そこで私は瞬時に考える。イケメンからナンパされるのを待つよりも、芸能界へ入った方がもっとレベルの高い男性と出会えるのでは…!?
「興味…あります…!」
人生が転機を迎えるその音が聞こえていた。
「今日から佐倉さんのマネージャーとして付く
あれからさらに数日後、とんとん拍子に話は進み、私は一流の芸能事務所に所属することとなる。
マネージャーの岩田さんは身長2mは超えそうな恰幅の良い巨漢で、四角い顔に仏頂面を携えて低いトーンで自己紹介をしてくれた。年齢は私と同じくらいか、少し上と言ったところだろうか。スーツの襟元には『D』と記されたバッヂを付けている。
これから円滑に仕事をしていくためにも、とりあえず私のことを好きになってもらおうと愛想の良い笑顔を振りまきながら挨拶を返した。
「至らないところもあると思いますが、これからよろしくお願いしますね!」
これでつかみはバッチリ。と思ったのだけれど、岩田さんは無表情のままで言った。
「…はい。」
いや、反応うすっ。むしろ「自分はあなたと仲良くするつもりは無い」と無言で拒絶するような雰囲気すら感じる。
なんなのよ。これから一緒に仕事していこうっていうのに、先が思いやられるわ。本当にこの人で大丈夫かしら…?
そんな不安を抱きつつも、私は芸能界へと足を踏み入れたのだった。
それからの時間はまさに華々しい日々と言えるだろう。
いろいろな服を着て撮ってもらった写真には、自分でもうっとりしてしまうほど美しくてキラキラした私が写し出されていた。そしてたくさんの人たちが私の容姿を褒めたたえ、そして羨んだ。こんなこと少し前までの私には考えられないような夢のような時間だった。
慣れないモデルの仕事はなかなかに大変だ。けれど意外にも岩田さんはマネージャーとして私を良く支えてくれた。相変わらず愛想は無いものの仕事はとても出来る人で、彼のマネジメントや手助けによって私は相当救われている。
コミュニケーションがいつもぎこちなくなるのは気になるけれど、あくまで仕事であり無理に仲良くなる必要もないと割り切ってモデル業に励んでいた。
そして私の噂はあっという間に広がっていった。
新進気鋭の美人モデルとして話題となり、新たな仕事が土砂崩れのように舞い込んできている。テレビの出演が決まったと岩田さんから聞かされた時は耳を疑った。
すごい…!転生してから何もかもが上手くいく。これが『美人』のパワー…!
幸せへと続く高い階段をものすごいスピードで昇っていくような感覚だった。
「電話番号とかって聞いちゃってもいいですか?」
テレビ番組収録後の楽屋。スマホを取り出しながらそう聞いてきたのは、共演者である若手俳優の
きた、きた、きた、きた!これよ私が待っていたのは!
水無瀬君といったらドラマや映画にひっぱりだこの一流イケメン俳優。襟元には私と同じ『S』のバッヂ。断るわけないじゃない…!この上ないチャンスに浮かれながらも、私は平静を装いながら彼の申し出を受け入れようとした。
すると次の瞬間、コンコンとノックする音が楽屋に響き扉が開いた。入ってきた岩田さんは手帳に目を落とし、何かを確認している様子だ。彼はいつも通り仕事の打ち合わせをするつもりだったのだろう。私に何かを言いかけたけれど、すぐに水無瀬君の存在に気付き状況を察して黙ってしまった。
気まずい静寂。すぐに岩田さんは「失礼しました」と言い残し踵を返して出ていこうとする。
しかしそれは鋭く呼び止める声に首根っこを掴まれて阻止された。
「おい、待てよ醜男。」
ぶおとこ。彼は、水無瀬君は確かにそう言った。
私はその言葉を知らなかったけれど、良くない意味であるということはすぐに分かった。彼の声は低く冷たく、そしてその目は理性を失った獣のように岩田さんを睨みつけていたから。
「俺らSランク同士が仲良くやってんのにさ、Dランクの分際でなに邪魔してくれちゃってるわけ?」
彼は荒々しい口調で続けた。さっきまでの優しい笑顔なんて面影すら無い。私は何が起こっているのかすぐには飲み込めず、岩田さんはただうつむいたまま謝罪をするだけだった。
そして水無瀬君はまるで水を得た魚のように、饒舌に岩田さんをまくしたてる。
「お前みたいなブサイクはな、視界に入るだけで不愉快なんだよ。俺のこの美しい瞳が汚れるだろうが。Sランク様の目に映っちまったことを詫びて今すぐ土下座しろ!」
それを聞いた岩田さんは地面に這いつくばり、土下座をしてしまった。
そして水無瀬君は高笑いしながら私に同調を求めるように言う。
「Dランク以下のブサイクに生きる価値なんて無いんだよ。誰だって汚いモノなんて見たくねぇだろ。佐倉さんもそう思いますよねえ?」
確かに、汚いものなんて見たくない。
私は飲みかけのペットボトルを手に取り、キャップを勢いよく外して中に残っていた水を全部ぶちまけた。
今まさに世界一醜悪な顔面をしている水無瀬とかいうガキの頭めがけて。
水を打ったような沈黙が流れる。いや、実際水は打っているのだけれど。
水無瀬君はすっかり水の滴るいい男と化して固まってしまい、岩田さんも正座のまま目を丸くして開いた口が塞がらない様子だった。
やば。やってしまった。
今の汚い言葉、まるで私が言われているような気がしてしまって…つい。
水無瀬君は何も言わずに勢いよく出ていった。取り残された岩田さんはのっそりと立ち上がり「すみません」とばつが悪そうに言う。
「…どうして土下座なんてしたんですか?どうして…何も反論しなかったんですか?」
私は起こったことがいまだに信じられず問いかける。どう考えても二人とも普通じゃなかった。
すると岩田さんは「なにを当たり前のことを?」というような不思議そうな顔をしながら言った。
「低ランクの僕たちは立場が弱く、高ランクの方々の意向が絶対じゃないですか。水無瀬さんを怒らせれば会社に報告が行って職を失う可能性だってありますよね。ですから、ああするのは至極当然…と言いますか…。」
『外見実力主義社会』の言葉が脳裏をよぎった。そうか。ここでは美男美女が優遇される。では容姿に恵まれなかった人は…?
「…もしかして、今のような差別ってよくあることなんですか?」
何が蠢いているか分からない石の裏を恐る恐る覗くような、そんな気分だった。
「ええ、そうですが…?」
岩田さんは私が何故それを知らないのか疑問に思いながらもそう答えた。
ショックだった。この世界は天国だと思っていたけれど、それは一部の人間にとってのものでしかないんだ。
そしてつい、聞いてしまった。聞かなくてもよいことを。
「もしかして…。岩田さんが私に不愛想なのって、高ランクの人たちに差別を受けてきたから…ですか?」
ぎくり。そんな音を立てたかのように岩田さんは動きを止めた。答え合わせなんかしなくても分かってしまったけれど、彼は目を逸らしさっきよりもさらにばつが悪そうに言う。
「…すみません。」
私は岩田さんを差別したことなんてない。だからそんな風に嫌われる筋合いは無い。
けれど私には彼を責めることなんて出来なかった。だって私もそっち側の人間だったのだから。
外見を揶揄されたことは数えきれないし、見ず知らずの美人を見ては羨んで、時には恨めしいとすら思える日もあった。彼の気持ちは分かる。分かってしまう。
やるせない気持ちだけが取り残されて、かける言葉も見つからない。
私はこの世界の暗闇の一端に触れ、ただ呆然とするしかなかった――。
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