CASE.1 細井慎一 3
生き残りは、たぶんいない。
一見しただけでそう思えるほどの惨状だった。
転生して2週間ほど経った今朝、魔物の襲撃を受けているという救難を受け、カーラさんと僕は山のふもとにある村へ駆け付けた。
しかし時はすでに遅く村は壊滅状態。原型を留めている建物なんて一つもなく、魔物が我が物顔で村を闊歩し略奪を行っていた。
「安否の確認は後だ。まずはこのクソったれ共を一掃するぞ…!」
そう力強く言うカーラさんに向け隠密呪文を唱える。姿を見えにくくして、魔物に対し優位を取るいつものやり方だ。後のことは彼女に託し僕は物陰に隠れた。
今回もまたいつも通りの流れ。
そのはずなのに、僕は何故か嫌な胸騒ぎを覚えていた――。
村を見渡すと、カーラさんが切り捨てた魔物があちこちに転がっていた。仕事は無事完遂されたようだ。
しかし、死体は魔物だけではない。僕はそれを直視できずに目をそらした。
カーラさんはいつもより多くの返り血を浴びていたけれど、表情はいつもと変わらず落ち着いている。慣れているといった感じで、むしろその目に冷たさすら覚えるほどだった。
しかし次の瞬間彼女の表情が驚きへと変わる。その視線の先を追うと、壊れた家屋の隙間から現れる一人の人影を見つけた。生き残りがいたんだ。
急いで駆け寄ると、そこにいたのは10歳前後の髪を二つに縛った女の子だった。
涙を流し俯きながらその体は小刻みに震えている。きっと僕よりもずっと恐ろしい体験をしたのだと思うと、胸がぎゅっと締め付けられた。
全身をよく確認すると、汚れてはいたものの幸い怪我は無いみたいだった。隠れて魔物をやり過ごしたのだと言う。
けれど、どれだけ捜しても、少女以外の生存者は一人としていなかった。
この子になんて声をかけてあげたらいい…?言葉を探して視線を彷徨わせたけれど、結局何も見つけられなかった。
少女は孤児になってしまったということなのか。残酷な現実を目の当たりにして、ショックで眩暈がしそうだった。
「孤児を預かってくれる施設とかあるんですか?」
カーラさんに問いかける。せめて少女のために僕らが出来ることを一つでも多く探してあげなければ。当然カーラさんだって同じような使命感を抱いているはずだと疑いもしなかった。
けれど、返ってきた彼女のその言葉に、僕は耳を疑った。
「馬鹿言え。奴隷に出して金に換えるんだ。」
カーラさんは僕や少女の顔など一瞥もしなかった。温度の無い目で遠くを眺めている。どこまでも、冷たい横顔だ。
聞き間違いだと思った。そう思いたかった。カーラさんがそんなこと言うはずないと。けれどその淡い期待は、彼女の次の言葉であっさりと打ち砕かれる。
「奴隷はいい金になる。臨時収入とは、今日はついてるな。」
躊躇うどころか嬉しそうな声色でそう言った。
嘘だ。カーラさんが、そんな…。
「や、やめましょうよ、そんなこと。この子はたった今、身の回りの人たちを亡くしたばかりなんですよ?その直後に奴隷として売るだなんて…やっぱり良くないですよ…!」
思考がまとまらず月並みな言葉しか出なかったが、とにかく止めなければと思った。
けれど一瞬にして、僕の必死の説得が届いていないことを察してしまう。カーラさんはきょとんとした表情をしていたからだ。
「それがどうした?孤児も奴隷も、この辺りじゃ掃いて捨てるほどいるだろう?」
実にあっけらかんとした顔でそう言った。自分がこれからしようとしていることは間違っていないのだと、少しも疑いもしない様子で。
…違う。たぶん彼女が特別冷酷という訳ではないんだ。
これがこの世界の価値観なんだ。
魔物が蔓延る危険な世界。この少女のような存在は珍しくもなく、当たり前にあちこちにいるんだろう。そして力のある者たちだって常にシビアな状況に置かれていて、自分を生かしていくためのお金や力を手に入れるのに必死だった。
弱者に手を差し伸べようだなんて、誰も考えない。それが普通なんだ。
でも、それでも僕は…やっぱり嫌だ。
見捨てるなんてことしたくない。カーラさんなら話せばきっと分かってくれると信じて問答を繰り返す。
「僕らでなんとか世話出来ませんか?」
「そんな余裕うちには無い。」
「それなら、奴隷に売らなくても一人で生きていけるように――」
「子供が一人で生きていけるわけないだろう?むしろ奴隷として仕えればそこらで野垂れ死ぬなんてことはなくなる。そして我々は金が手に入る。互いにとって最善の選択肢だとは思わないか?」
彼女の語気が徐々に荒くなる。それでも食い下がろうとしたけれど、カーラさんが我慢の限界を迎える方が早かった。
「くどい!この程度のことで狼狽えるな!お前は今まで、どれだけ恵まれた環境で生きてきた!?」
記憶がフラッシュバックする。
けたたましく鳴る目覚まし時計のアラーム音。行きたくもない会社へ向かうために無理やりねじ込まれる満員電車。あいつの怒鳴り声…。
自分が「恵まれている」だなんて、一瞬だって思ったことはない。
けれど、それでも僕は、カーラさんの言葉にどうしようもなく打ちのめされていた。
日本には魔物なんているはずもないし奴隷だって見たこともない。想像もしたことすらないような残酷な現実が、この世界には当たり前のように転がっていた。
僕は…恵まれていた…。
生まれの境遇なんて比べて優劣をつけるものではないことは分かってる。それでも愕然としてしまい一つとして言葉が出なかった。言いたいことはあるはずなのに、僕の言葉なんか何も意味を為さない気がして。
そんな僕にカーラさんは呆れたような表情を向けた後、少女の手を引き背を向けて歩き出した。
…ダメだ。助けてやれなくてごめん…。
そんな無言の謝罪に気付いたかのように、少女が泣きそうな表情のまま振り向いた。そして小さな、しかし確かな意思のこもった声でつぶやいたのは、実に意外な言葉だった。
「おにいちゃん、ありがとう。わたしなら大丈夫だから。」
覚悟は決まっている。そんな表情だった。
少女も例に漏れずこの世界の住人で、自分が置かれている状況も、これから待ち受ける未来もたぶん分かっているのだろう。
…僕は、なんて情けない人間なんだ。
胸の真ん中でふつふつと、静かに何かが沸き立つのを感じていた。
本当に情けない。逃げ隠ればかりして、自分が恵まれていたことに気付くことすら出来ず、あまつさえあんな小さな女の子に気まで遣わせてしまったんだ。あの子の方がずっと強くてかっこいい人間じゃないか。
情けないままで、言われっぱなしでいいのかよ…!?
僕は…、僕は…!
「ふざけるな…!」
溢れる思いが言葉となって、僕の意思を越え飛び出していた。そしてそれを、理不尽を押し付けようとするその大きな背中へと力任せに投げつけた。
「あんたからすれば僕は恵まれた環境にいたのかもしれない。けどな…だからってあんたの方が偉いのか…?僕だって僕なりに必死こいて生きてきたんだ。分かったみたいに上から説教垂れて、僕の意思を無視するなよ…!」
そして僕ははっきりと彼女に意思をぶつける。
「その子を、離すんだ…!」
声は震えていたと思う。けれど不思議と恥も後悔も無かった。
カーラさんは振り返りその冷たい目で僕を睨みつける。そして静かに、朗々と力のこもった声で語り始めた。
「それは失礼した。…確かにお前の言い分は正しいよ。褒められるべき善人だ。」
僕に歩み寄りながら続ける。
「ただし、ぬるい。この世界ではそういう奴ほど真っ先に死んでいった。だからあたしが間違っているとは思わないし、やっぱりこの娘は奴隷に出す。」
少女の手を離し、体を真正面に僕と向き合った。
「だったら手段はひとつ。どうしても止めたいのなら、力ずくでやってみな。それともまた、戦いから逃げ出すか…?」
凄まじい気迫。素手で来いと言わんばかりにカーラさんは斧をどすりと地面に突き立てた。その寒気のする振動が勝ち目のないことを優に語っている。
会社から逃げ、前世から逃げ、そして逃げた先でもまた逃げた。
けれどそこで目の当たりにしてしまったんだ。あんな小さな子供でさえ、対峙した理不尽と必死で自分なりに戦おうとしているその姿を。
もう、逃げるのには飽き飽きなんだ。
それからのことはよく覚えていない――。
「
女性社員の声が
デスクに座る狐島は、ボールペンを鼻と上唇の間に挟み、後頭部で手を組みながら「はい~?」と気の抜けた返事をする。
『
「この『勇者の力に目覚めるかもしれないオプション』だ。確率が『0.1%』のとこが『10%』になってんじゃねぇか!」
そう言って狐島は乱暴に書類を突き返されると、
「あぁこれ、あまりにこのお客様が悲壮なお顔をされていらっしゃるものだから、『大盛り』にして差し上げたんですよ~。」
と、さらに書類を突き返す。
「大盛りってお前、うちは定食屋じゃねぇんだよ。確率100倍はやりすぎだろうが!」
竜崎から激しめのツッコミが入る。しかし狐島は飄々と、悪びれる仕草を見せることすらなく言い放った。
「0.1%も10%も大差ありませんよ。どのみち戦う意思無き者に女神は微笑まない。私はその、ほんの手助けをしたにすぎません。」
全てを見透かすかのようなその狐目で、にやりと笑った――。
ぜぇ、ぜぇとカーラさんの荒い息遣いだけが聞こえる。
両目は腫れていて目の前の様子すらまともに見えず、かろうじて彼女のシルエットがぼんやりと確認出来るだけだった。
鼻や口から血が垂れている感覚がある。だからきっと今の僕はとんでもない顔をしているんだろう。
「どうして…倒れない…?」
呼吸音とわずかな畏れが混じった声で、カーラさんが僕に尋ねた。
そんなの僕が聞きたいですよ。
なんでまだ立っていられるんだ…?
僕の拳なんか一度も届かないくせに、彼女の固く大きな拳は何度も僕に命中した。一発一発がとんでもなく痛くて、流れているのが涙なのかそれとも血なのかすら分からない。いい加減もう諦めたい…。それなのにどこからか湧いてくる力と熱い何かがそうさせなかった。
僕は、あの子を助けたいんだ。
これが火事場の馬鹿力というやつか…。出所の分からない何かについて他人事のように考えていると、カーラさんはついに呆れたような声で言った。
「…もういい、好きにしろ。」
彼女はファイティングポーズを解いた。そして斧と荷物を抱え帰る準備をしているのが瞼の隙間からかろうじて見える。宣言通り、女の子は置き去りにして。
「あたしには子守りをしながら生き残れる自信は無い。だからこうなってしまってはもう共に戦うことは出来ん…。あたしらは、これっきりだ。」
諦めたカーラさんが最後にくれたのは別れの言葉だった。少しだけ寂しそうな声を残して、彼女はゆっくりとこの場から去ってゆく。
「死ぬなよ、ホソイ。」
そうだ。彼女だって生きることに必死で戦っているんだ。だから彼女もまた正しい。
そしてこれまで生き残れたのは、紛れもなくカーラさんのおかげだという事実は何があっても揺るがない。
「今までありがとうございました!」
遠くから背中に感謝を投げかけると、小さく左手だけ挙げて返してくれた。
さて、やっちまったな。それが素直な感想だった。
感情任せに行動した結果最も頼りにしていた人とは道を分かつことになり、これから小さな子供を世話していかなければいけない。
どうしようかと半ば途方に暮れていると、袖がちょいちょいと引かれていることに気付く。見ると少女が布を持って合図していた。僕のボロボロになった悲惨な顔を拭いてくれるらしい。
世話するはずが、世話されていた。…やっぱり僕は情けない。
でもどうしてだろう。探していた何かを見つけたみたいに、気分はどこか晴れやかなんだ。
転生して良かったのかもしれない。いや、そうでもないのか…?なんてことを考えていると、顔を拭き終わったことを少女が教えてくれた。
子供の世話なんてしたことないから何を話したらいいかも分からない…。でもまあ、とりあえず名前を聞くところからでも始めてみようか。
行き先は分からないけれど、進むのはとにかく前だ。
だって僕にはもう、逃げ道なんて残されていないのだから。
立ち上がり、僕は少女の手を握って歩き始めた。
小さな手を包み込むその右手。
そこに何やら意味ありげな紋様が浮かび上がっていることに、僕はまだ気付かない――。
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