CASE.1 細井慎一 2

仏田ほとけだ転生店では、今日もいくつもの『転生』が売りさばかれていた。


賑わう店内のその奥にはデスクに向かう男が一人。

狐島こじま』と書かれたネームプレートを付けた狐目の社員は、一週間前に異世界転生した『細井慎一』という者の名が記された書類を眺めている。


「まだご存命でしょうか…」


誰にも聞こえないほどの小さな呟き。

そしてその表情は影っていて、読み取ることは出来ない――。







イノシシとライオンを足して2で割ってさらに直立二足歩行させたような、身長2mは優に超えるであろう化け物がきょろきょろと辺りを見渡している。両手には棘のついた巨大なこん棒と、危害を加える気まんまんといった殺意を携えて。

そして歩くたびにずしりと地面が歪み、その質量を暗に伝えていた。


化け物の息遣いに身の毛がよだつ。僕は奥歯ががちがちと鳴りそうになるのを堪えながら、木陰を利用して奴の視線から必死に逃れていた。



RPG好きだからという理由で選んだファンタジー異世界への転生プラン。現代から逃げ、冒険することに憧れて転生したのはいいものの…


激安プランがゆえに、この世界にはが出る。


この手のゲームは得意で戦い方の定石も分かっていた。けれどいざ魔物を目の前にすると、恐怖で足がすくんで動くことすら出来ない。これはゲームではなくどうしようもない現実なんだと、寒気を以って認識の甘さを思い知らされた。


いけると思ったんだけど…、全っ然ダメだぁ~っ…!

泣きたくなんかないのに恐ろしさで涙が滲む。両手で口を塞ぎ些細な音さえも殺して、こっちに来ないでくれと必死に念じていた。



そんな僕の頼みの綱は下級の『隠密魔法』。

転生プランに追加したオプションの一つで、狐島さんにおすすめされるがままに付けたものだった。


「オプションを購入して頂ければ、こちらの魔法の中から一つ習得した状態で転生することが可能です!」

前の世界、転生する直前に転生屋でしたやりとりが思い出される。狐島さんから提示された資料には『攻撃・回復・隠密』と3種類の魔法が書かれており、僕は一番性に合っていそうなものを選んで転生した。


とはいえ大それたことが出来るわけではなく、せいぜい魔法にかかった者の姿を認識しにくくする程度の力しかない。けれど魔物から隠れるためには効果的で、これがなければすでに僕は物言わぬ屍と化していたかもしれなかった。


転生してあれから一週間、僕は一度も戦っていない。

装備は整えてある。けれど活用出来たのなんて身を隠すためのフードくらいで、腰にぶら下げた小さな剣はただのお飾りと化していた。

それでも生き残れたのは魔法オプションと、があったからだ。



あとはあの人がなんとかしてくれるのを待つしかない――

そんなピンチに実にタイミング良く、聞きなれた声が朗々と響き渡る。


「どこを見ている?デカブツ…!」


金属が何かを切り裂く気味の悪い音。そして液体が飛び散り、重いものがどしりと倒れる。魔物が地に伏せるその情景が、見えなくとも音と振動で伝わってきた。


助かった…。僕は生き返ったみたいに深く息を吸い込んだ。

けれどすぐに立ち上がることが出来ない。恐怖がべったりと両足にこびりついて力が入らないのだ。


「ホソイ、そこにいるのか?」

声の主が木陰にへたり込み動けなくなった僕を見つける。そして子供を安心させるかのような声色で、仕事が終わったことを教えてくれた。

「全員片付いたぞ。」

現れた長身の女性は一つにまとめた朱色の長髪をなびかせながら、巨大な斧を片手で軽々と肩に担いでいた。その腕は筋肉の影がくっきりと浮き出るほどに逞しい。

そして左目の眼帯では隠し切れないほど大きな古傷の痕が、彼女がどのような人生を送ってきたのかを想像させる。



彼女の名前は『カーラ』

転生した直後、右も左も分らないまま立ち寄った田舎町で出会ったエルフで、今まで親切にしてもらっている。戦いに慣れた熟達の冒険者でもあり、その斧に救われた回数はもはや数えきれない。


「すみません、また何も出来なくて…。」

いの一番に申し訳なさを伝えるとカーラさんは少し困ったように微笑みながら言った。


「何を言う。お前の隠密魔法があったから、今回もほとんど敵に気付かれることもなく仕事を終えられたんだ。」

そしてへたり込んだままの僕の左手をぐっと掴み、力強く引き寄せながら立ち上がらせてくれた。

「頼りにしているぞ。」

その温かい言葉に不覚にも少しだけ目が潤んでしまう。



彼女と僕は共に仕事をこなすパートナーになっていた。

カーラさん単独でもめちゃくちゃ強いのに、僕の魔法でその姿を認識しづらくするだけでまさに鬼に金棒。

だから魔物を討伐する類の仕事はどれも危なげなくこなせている。「怪我ひとつしなくなった」とカーラさんは嬉しそうに言っていた。

そして僕は転生して間もないのに、仕事や生活に困ったことがない。なぜなら彼女はちゃんと分け前をくれるからだ。魔法をかけた後は隠れているだけのこんな僕に。


こんな人にもっと早く出会えていれば…。

前の世界にいたときの上司は、ただ難癖をつけて怒鳴りたいだけのろくでもない人間だった。そう分かっていながら僕は謝ることしか出来なかった。

抵抗も出来ず、かといって生活のためには辞めることも出来ず、なぜ自分がこんな目にと何度も世界を恨んだ。


けれどそれはもう僕には関係のない世界の話だ。

今は「必要とされている」という充実した感覚で仕事が出来ている。こんな幸せな気持ちで仕事が出来る日が来るなんて思わなかった。


戦いは怖くて出来ないけれど、それでもやっぱり転生して良かったと思えたんだ。

ここでなら僕は幸せになれる。



こんな日がずっと続けばいいのに。



そんな温かい思いを胸に秘め、僕たちは今日も仕事を終えた。

「降り出す前に町に戻るぞ。」

そう言うカーラさんが見上げた空には、黒く大きな雲が空を覆い始めていた――。

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