CASE.1 細井慎一 1

「希望する転生先は『異世界』…。予算が…『30万円』。」


与えられた用紙に必要事項を記入してゆく。

最後に『細井慎一』『25歳』と書いたところで、スマホが鬱陶しく震えた。

電話の内容は出なくとも分かる。会社を無断で早退し、その足のままこんな所に来ているからだ。



仏田ほとけだ転生店 新宿支部

転生を求める多くの客で賑わう店内…その受け付けの一つに僕は座っていた。当然、人生のやり直しを買うために。



あいつからの着信をスマホの電源ごと切断すると、奥から担当者が歩いてきた。

縦ストライプの派手なスーツにオールバック、身長180cmは超えるであろう長い手足の男がカウンターの向かい側に腰掛ける。

「お待たせいたしました、今回ご案内をさせて頂く狐島こじまと申します!」


ハキハキと喋る圧強めの担当者は、まさに狐のような細長の目でにっこりと笑っている。そして記入したばかりの用紙を受け取ると、その目でじっくりと内容を見渡した。

ごくりと生唾を飲み込む。

いよいよ転生の手続きが始まったんだ。



「あのう…僕、予算が30万しかないんですけど、それでも転生出来ますか…?」

まずは気掛かりだったことを恐る恐る質問した。噂に聞く転生の相場は100万200万は安い方で、ウン千万払って転生する人もザラにいると言う。


「もちろんです!我が社では最低10万円からのプランも扱っておりますので、細井様にもいくつかのプランからお選びいただけますよ!」

狐島さんは笑顔を顔に張り付けたまま朗らかに答えた。


その言葉にほっと肩を撫で下ろすと同時に、若干の胡散臭さを覚える。安価なプランでする転生…いったいどんな内容なんだろう。そもそも転生屋に来たのすら初めてで何も勝手が分からない。


本当に幸せな人生のやり直しなんて出来るのだろうか…。


「では早速、転生プランのご紹介をさせていただきますね!」

僕の不安をよそに話は本題へ入ってゆく。そして狐島さんは水を得た魚のようにいくつものプランを紹介してくれた――。






「…決めました。このプランで転生します…!」

僕は決意を告げた。


狐島さんから飛び出したいくつもの転生プランは、どれも魅力的で目移りしてしまうほどだった。激安プランであるがゆえのデメリットや自由度の低さはあれど、不安に考えていたほどではなく、むしろ自然と笑みが零れてしまうほどわくわくするものばかりだった。

その中でもひときわ僕の心を惹きつけてやまないプランがある。


『剣と魔法の異世界で満喫するドキドキ冒険ライフ』


そう銘打たれたプランは、RPG好きな僕にはたまらない内容だ。

タブレット端末に映し出された現地の映像はまさに王道ファンタジー。どこまでも続く大自然、見たこともない動物、人間を含む様々な人種…。

この世界に転生して冒険出来るだなんて未だに信じられないけれど、お金を払えば行くことのできる現実なんだ。



僕は次の人生の舞台をこの異世界に決めた。

…迷いも恐怖もある。だって後戻り出来ないのだから。それでも僕はもう、こんな世界はうんざりなんだ――。


サービス残業にパワハラ上司。ブラック企業の役満みたいな会社で必死になって働いてきたけれど、それでも一向に溜まらない貯金額。かといって転職する能力や勇気すら無く、気づくと僕は見違えるほど痩せこけてしまっていた。

そして今日、いつものようにあいつから怒鳴られた瞬間僕の中で何かが決壊し、気づくとここに逃げて来ていたんだ。


生きることすら諦めかけたけれど、先に向こうへ行った母が悲しむと思うと何も出来なかった。

僕のような弱い人間にとっては『転生屋』が最後の非常口なんだ。



「転生のご契約、ありがとうございます!」

狐島さんは一層の笑みを浮かべて喜んでくれた。そして一枚の紙をぺらりと取り出し署名するよう促される。


『転生契約書』と題されたそれは、僕が人生の中で記入してきたどんな書類より重かった。

緊張で手が震えたけれど同じくらい大きな嬉しさもある。やっと、やっとこんな世界から逃げることが出来るんだ。僕は自らの意思を確かめながら、そこにしっかりと名前を記した。



署名し終えると狐島さんが声を潜め、何故か内緒話のトーンで言った。

「実はまだ、こちらのプランに付けられるおすすめのオプションがございます。

この『0.1%の確率で勇者の力に目覚めるかもしれないオプション』が今ならなんと…!1万円で付けられちゃうんです!」


…商売上手め。そんなもの、付けるに決まっている。0.1%なんてガチャみたいな確率、当たらないことは分かりきっていた。

けれどお金を余らせても仕方がない。だって僕は今から転生するのだから。



どんな未来が待ち受けているんだろう。

不安と希望は半々。でも憧れた異世界へ行けるんだ。きっと幸せな人生が見つかると自分で自分を励ます。


お別れの時間がやって来た。

この世界で出会った仲の良かった人、嫌いな奴ら、クソみたいな会社、その全てに。



バイバイ、現世――。






…風が両脇を駆け抜けるのを感じた。

気が付くと僕は、スーツ姿のまま草原に佇んでいる。

鼠色の鬱屈とした直方体なんて一つも建っていない見晴らしの良い青空。遠くに見えるあのどうやって形成されたのかよく分からない岩山…。転生屋で見せてもらった現地の映像と同じだ。


…今日からここで生きていくんだな。

鼻から一気に新しい世界の空気をいっぱいに肺へと送り込む。

僕の革靴が新しい人生の第一歩目を踏み出した。



しめて299,800円。

僕はお金で『転生』を買った――。







-転生者概要-


転生者氏名  :細井慎一


転生プラン名 :『剣と魔法の異世界で満喫するドキドキ冒険ライフ』


プラン基礎料金:\249,800


転生先    :異世界


転生方式   :トリップ型


追加オプション:言語習得オプション×1(\0)

        魔法習得オプション×1(\40,000)

        0.1%の確率で勇者の力に目覚めるオプション×1(\10,000)


備考     :魔王・魔物付き物件


合計金額   :\299,800

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