1-5

「——やあ」

 河川敷。昨日と同じベンチに彼は座っていた。

「待ってたよ」

 結局、ぼくは昨夜レッドさんに連絡をした。

 不安な気持ちはあれど、それでもどうしても昔からの自分の体質というか、特性が気になっていたし、それにすぐに没収されてしまったが⚪︎×商事は別に普通の会社だし、レッドさんがそこの係長の「車崎」さんであることもわかっている。もちろん名刺が偽造されたものである可能性もあるものの、しかしそれを補ってあまり余るほど生まれたときから接していた鬼哭アルカロイドと昨日の見えない壁には説得力があった。

 とにかく、今日これからぼくは陰陽連合のアジトとやらに連れて行ってもらうことにした。もしそこで、“あれ”が何なのかが詳しくわかったら一番いいし、簡易型結界以上の対策方法をマスターできればなによりだ。それに——。

「メンバーって、何人ぐらいいるんですか?」

 同じ悩みを共有する仲間に出会いたい、という願望もあった。

「この辺一帯のエリアが自分たちの担当だって言ってましたけど」

「うん、そうだね」と、レッドさんは説明を始めた。「いまのところ、隊員は全部で八人だよ」

 “隊員”ですか。しかしそれ以外にも注目すべき点はあった。

「八人?」

 世界的組織の一部隊にしてはやけに少ないようにぼくには思えた。

「そ。ま、歩きながら話そうか」

 と、レッドさんはおいでと言いながら先導した。ぼくはレッドさんの横に並んで彼の話を聞く。

「まあ八人って言っても、今現在いるのはオレを入れて三人なんだけど。他のメンバーはちょっといまいなくてね。それで、トキオが入隊することによって四人になるけども」

「はあ。どうなるかわかりませんけど」

「はあ、先月まで小学生だったとは思えないほどクールでドライだねぇ。よく言われない?」

「あんまり感動しないタチだとは言われます」

「それでもなにか好きなものとか、お気に入りのものとかあるんだろ」

 頭に浮かんだのがバナナケーキだったのがぼくはなんだかみっともない気がする。もうちょっと他にはないのだろうかと我ながら思うが、特に熱中している趣味や突出した特技などはない。バナナケーキとブラックコーヒー以外になにかないだろうかと逡巡しているぼくをレッドさんの瞳にやや同情心を見出したのはぼくの考えすぎだろうか。

「まあトキオも中学生になったばかりだ。人生これからだよ」

「そうですかね」

「そうとも。十代二十代前半の頃なんて、綺麗事でも嘘偽りでもなく無限の可能性に満ち満ちているのだよ」

「そうかなぁ」シンプルな疑問だった。

「ということに十代二十代前半の頃は気づけないんだよねぇ」

 うんうんと頷きながらしみじみと言う。やや興味が湧いたのでぼくは質問した。

「三十代になると無限の可能性はなくなるんですか?」

「体にガタが来始めるからね。やっぱ体が資本だよ。なにをするにしても」

 言わんとしていることはわかる。

「レッドさんは“ガタが来始め”てるんですか?」

「三十二歳はまだ全然元気なんだけどね。“まだ若い”とかじゃなくて、普通に若いんだけど、やっぱアラフォーになってくるとキツいみたいよ。食べるものが変わったとか、量が減ったとか。すぐ疲れちゃうとか」

「それで可能性が有限になる?」

「そうだね。それに、常識とか、世間様の慣習とかが板についてきてしまうから、どうしても若い感性のままではいられなくなる」

「若い感性ねぇ」

「世界を変えるのは若者、よそ者、馬鹿者——ってことさ。それが無限の可能性の根拠のない根拠だ」

「ふうん」

 と、ぼくはそのままなにも考えず直進しようとしたが、そのときレッドさんがちょっと待ったと制止した。

「こっちだよ」

 と、そこにあった看板の後ろ側を歩き始めた。なんでまたこんなところでわざわざ遠回りをするのだろう。

「霊道がこっちにできてるから、こっちからじゃないとアジトに行けない」

「霊道?」

「そう。まあそうだね、そのルートを歩くこと自体が一種のパスコードというか」

 下水道とか天井裏に“霊道”ができていたらどうするのだろう。

「はあ」

 しかしわざわざ異論を挟む余地もないのでぼくはレッドさんに従い看板の後ろまで回って、そしてまた道に戻った。

「それで、無限の可能性の話だったね」

「ああ、はい」

「ま、さっきも言ったけど、無限の可能性に満ち溢れている頃は自分には無限の可能性なんてないと思い、年を取ってきたらきたであの頃の若々しい健康な体を懐かしむものなのさ。だからせっかくだしトキオはいまそれを自覚しておいた方がいいよ」

「はあ」

「日本昔話において、金持ち老人と貧乏な若者が、それぞれに富と若さを交換するっていう話があるんだけど、若者は金持ちになりたいっていうんだけど結局は財産がある“だけ”の人生になっちゃって、老人は貧乏にはなったけど若い体で自由に飛び回るようになった、っていうね。要するに富と若さはイコールなんだよね。例えば夢にまっしぐらなときなら貧乏生活も苦じゃないみたいな」

 名梨と同じことを言っている。

「でも三十二歳はまだ若いんでしょう?」

「それにしても社会人として責任ある立場になったりすると何でもできるとか何にでもなれるとかいうことはなくなる。もちろん個人差のあることなんだけどね。しかしいずれにしても体にガタが来始めてくると、ちょっともう無限の可能性は有限の可能性になってしまうのだよ」

「ふうん」

「まあオレも、三十二歳はまだ老獪する年齢などではないのだけども。それにしても二十歳離れたおっさんのアドバイスでした」

 しかし、そうは言っても、それはそうだとは思うけど、それでもぼくは自分に無限の可能性があるようにはどうしても思えなかった。中学生なりに(先月まで小学生だったが)忙しいし、忙しない日々を過ごしていると思ってるし、さらに自分は成績が殊更にいいわけでもなければ運動神経も並だし、顔だって不細工ではないというぐらいの自信はあるものの決してイケメンなどではない。バレンタインは単なる二月十四日でしかない人生だ。自分に無限の可能性があるようにはどうしても思えなかったし、感じられなかった。

 あるいは、例えば学校でいじめられたりしないように気をつける、みたいなことは生活をしていく上で非常に重大な問題だ。決して無視してはならないことだ。それを無視して自分には無限の可能性があるのだからと自由に振る舞うことなどは到底できない。……しかしその一方で、くだらない注意のように我ながら思えるというのも事実ではある。そんなことより考えなければならないこととか、あるいは楽しまなければならないことは山ほどありそうだと思う。だが、それでもクラスでハブられたり暴力を振るわれたりするわけには絶対にいかないし、それは十代なりにとかじゃなくて人間として切実な悩みだと思っている。しかしそれでも学校の中でいちいちいじめなんていうくだらない暴力を心配しなければならない自分が浅いという気持ちもやはりある。しかしそれでもそれを心配し注意していなければ絶体絶命の事態に陥るとわかっているのなら、そうしない理由はない。たとえそれがくだらないことだとわかっていても。

 意味のない自問自答で意味のない悩みだとわかっていても、それでもそれに悩まされているのが今現在の自分だ。その自分自身の素直な気持ちを捻じ曲げでまで自分には無限の可能性があるのだとはどうしても考えられなかった。

 という話をレッドさんにしてみたら、彼は再びしみじみと言った。

「トキオはまだ子どもだからね。どうしても思考が二者択一なんだよね」

「二者択一ですか」

「そ。生きるべきか死ぬべきか——みたいなね。それより、とりあえず生きるの方を選択して、どう生きるかを考えた方が建設的だ。しぶとく生きるとか、楽しく生きるとか、適当に生きるとか、図々しく生きるとか、生き方の選択肢はいろいろある」

「選択肢ねぇ」

「思春期青春期はどうしても一生懸命で、猪突猛進で、二者択一で——絶体絶命だ」

「はあ」

「ということに“いま”気づけたら、少しはなにかが変わるかもしれない。自分に押し寄せてくる世間様の波に、自分の意思を少しは反映させられるかもしれないよ」

 でも結局、それは若さを失ったからこそ理解した者の言葉で、いまこの瞬間十代前半のぼくには、ピンとはくるけどパッとはしない、というか……。

 でも、何となく思う。あるいはぼくは、と思っているのかもしれない。大人の含蓄ある言葉に、いちいち自分を左右されたくない——みたいな。そして、それがまあ、要するに、子どもであり、ガキである、ということなんだろうな、ということは、いまちょっと思いついた。

 そんなことがぼくの頭によぎったと知ってか知らずか、レッドさんは、ふふ、と柔らかく微笑んだ。

「ま、例えばね、そうだね。世の中には、多種多様な職業がある……とか、そういう“普通”のことを理解しておくだけで、だいぶやりやすくなるとは思うよ。着いたよ」

「え?」

「ここ」

 河川敷を出て、しばらく歩いた住宅街の中に“アジト”はあった。

 だがぼくの頭に疑問符が浮かぶ。

「ここは……なにもない空き地だったような」

 だったようなもなにも、ここは空き地だったはずだ。しかしいまぼくの目の前には奇妙な建物がある。和洋折衷をとことんまで突き詰めたような一軒家がそこにあった。

 レッドさんは答えた。

「力のない者には認識できないし、あったとしても霊道を潜り抜けなければここにこの家があることはわからない」

 その言葉を聞いて、ぼくは正直——“わくわく”し始めた。

 なかなかファンタジーな方向に話が進んでいるようで、自分が“何者”かになれるような、そんな子どもらしい情熱が、ちょっとばかり生まれ始めてきていた。

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