1-3

 夕飯を終え、ぼくは自室のベッドに寝転がり、さっきから何度も見ているレッドさんの名刺を眺めながら昼間の対話を思い返す……。


「オレや君みたいな特殊な力を持った人間っていうのは古今東西たくさんいてね。それがいつしか世界的な組織になったんだ」

「陰陽連合がいつから発足したのかはよくわかっていない。中国から日本に陰陽五行説が輸入される過程でできたんじゃないのか、という説はあるんだが、詳細はよくわからない」

「世界中にオレたちみたいな力を持った人間がいる。君がずっと見続けてきた“あれ”を、なんとかできるようにするために設立されたのが陰陽連合。英語名はY2N」

「言うまでもなくさっきの壁はオレが作った。訓練すればそういうこともできるようになる。もちろん君もね。ああ、ところで君の名前はなんて言うんだい」

 ここでいよいよぼくは自己紹介をしなければならないことに気づいた。まだ一抹の不安はある。しかし、先ほどの不思議現象と“あれ”で、レッドさんの言っていることにはリアリティを感じた。

「葛居時生です」

「トキオか。いい名前だ」

「どうも」

 春の爽やかな風が吹いた。桜の花びらが舞い散る。この舞い散って、地面に落ちた花びらたちは自治体の職員さんたちが掃除をする。それと関連して、ふとぼくは疑問を口にした。

「“あれ”って、放っておいたらどうなるんですか」

 そこでレッドさんは、うーん、と、ちょっとぼくの想定外の反応をした。

「それはちょっとわからないというか」

 ぼくはてっきり、そのまま放っておいたら世界が滅びる、的なことを考えたのだが、そういう絶体絶命の緊急事態にはならなさそうなのだろうか。

「見解は人それぞれ違うんだよね。世界が滅びちゃうって意見の人もいれば、“あれ”のおかげで現状の世界が維持できているみたいに考えてる人もいるし」

 この回答で、ぼくは再びレッドさんに不安を覚えた。その二つの意見は真っ向から対立しているようにぼくには思えるのだが。世界的組織の割には意思疎通ができていないのだろうか。共通の目的のために活動しているわけではないのだろうか。

「うん」と呟き、レッドさんはゆっくりと説明を始めた。「オレとしては、“あれ”をどうにかしようって発想は、実はあんまりあるわけじゃなくて」

「と、おっしゃいますと」

「うん。君みたいな、困ってる子どもたちを救いたいって気持ちの方が強い」

 困っている、と言えば、困っているとは言える。それは、さっき襲われたということももちろんあるが、それよりも他の人には見えないものが見える、という自分自身の現実の世界の在り方そのものに困っていると言える。確かに日常生活に支障はない。でも、他の人たちとある一つの話題をすることは絶対に避けなければならない毎日、と言うのは単純に疲れてしまう。嘘を吐いたり、隠し事をしたりしている、という時点で、ぼくは子どものときから困っていたと言えるだろう。

「救うって、具体的にどうするんですか」

 救われたい——というほどの切実な願いがあるわけではない。だが、“どうにかしたい”とは、これはずっと思っていたことだ。

 レッドさんは答えた。

「見えたり触ったりだけじゃなくて、祓う力を与えてあげたい」

「祓う、というと、倒すみたいな」

「そうだね。さっきオレがやったみたいにね。でも」

「でも?」

 レッドさんは微笑んだ。

「自分と同じような人が周りにいる、っていうのって、救われるんじゃないか」

 確かにこの時点でぼくはレッドさんに安心感を覚え始めていたし、陰陽連合という組織にも興味が生まれてきていた。

 レッドさんは続けた。

「この辺にオレたちのアジトがある。そこには君やオレみたいなやつらがちらほらいる。みんな、君と同じように“あれ”に困らされていた。もっともどういうふうに困っていたのかは、さっき言ったみたいに人それぞれ違うんだけど」

「そうなんですね」

「一度見学においで」

 と言われて、ぼくはちょっと困った。

 だからと言って、謎の組織の一員になるのは、怖い。

「トキオの不安はよくわかるよ。昔のオレも君と同じだった」

「同じですか」

「ある日、“あれ”に危機意識を覚えて、陰陽連の当時の先輩がオレを発見してくれて、それでもそれだけで、そうだね、知らない人にホイホイついていけるほど世の中のことを何にもわかってないわけじゃないし。謎の組織に入るのは怖かったよ。いくら自分が特殊能力の持ち主であることを知ったからって、それだけで見える世界が変わるわけじゃない」

「そうですよね」

「自分と同じような人だから安心安全だ——ってこともないしね」

「じゃあレッドさんは、どうして陰陽連合に入ったんですか」

「うん。そうだな」

 ちょっと考え込み、やがてレッドさんは話してくれた。

「メリットデメリットを考えたとき——それでも興味の方が強かった」

 知らない人についていくメリット。そしてデメリット。その二つを比べたとき、それでも興味の方が強かった場合。

「まあ、急かせるつもりはないよ」

「はあ」

「ただ、さっきみたいに襲われることは、またあると思う。君の霊力はそれほどまでに高い」

 霊力ときたか。

「はあ」

「しばらくはオレの力で君に結界を張れるけど、効果はじきになくなる」

「結界ねぇ」

 ふふ、と、レッドさんは冗談っぽく笑った。

「最低限、君に結界術をいまここで教えることはできるんだ。すぐレクチャーするよ。ただ、その効果は一時的だ。だから毎朝起きたときに結界を張る、をすればいいんだけどね。それで危険は回避できる」

 しかしそれだけで済むなら陰陽連合はいらないのだろう。

 それだけでは足りないから、組織化されたのだろうと、ぼくは考える。

 レッドさんは微笑みながら、それでも真剣な眼差しでぼくを捉えた。

「その日々を繰り返した先で——もしオレたちが出会えたなら、それは素敵なことだ」

「出会えなかったら?」

「それは仕方のないことだ」

 メリットとデメリット。

 ……シンプルに言えば、いまのぼくはレッドさんたちに興味が湧いている。

「ところで、あのう」

「なんだい」

「“あれ”、名前とかあるんですか」

「ああ」

 そして、レッドさんは答えた。

「“あれ”をオレたち陰陽連は——鬼哭きこくアルカロイド、と、呼んでいる」


「鬼哭アルカロイド、ねぇ」

 回想を終え、ぼくは独りごつ。

「幽霊とか妖怪とか精霊とか悪魔とかいろいろ呼び名はあるんだけど、うちでは鬼哭アルカロイドと呼んでいる……ねぇ」

 要するに、世の中の不思議現象怪奇現象は“あれ”——鬼哭アルカロイドが原因である、ということなのだろう。ぼくはそう解釈した。

 名づけがされている現象である、というのは安心できる要素である。それだけ古今東西ありふれた現象だということだからだ。精神疾患なんかと同じで、最初の頃は妖怪の仕業だの狐に取り憑かれただのといった正体不明の現象でも、時代が進んでそういう人が世界中に一定数いることがわかり、調査分析していくことで脳の障害だと判明して、その過程でなんとか病とかなんとか障害とかなんとか症候群とか名づけがされれば、それで点と点が結ばれ一本の線になり事態は明確になる。なにが起こっているのかが把握できるし、方向性が定まれば解決策も生まれる。名づけというのは、バカにできない。

 しかし、誰の命名なのかは知らないが、いくらなんでも厨二病すぎやしないか。

 鬼哭アルカロイド、ねぇ。

「……」

 名刺を見つめる。

 レッドさんのレクチャーを思い出す。

 ぼくは寝転んだまま、右手の人差し指に力を込める。集中。精神統一。指に熱が帯び始める。そして宙に五芒星を描く。

 簡易型の結界だがこれだけで一日分の効果はあるという。

 ひとまずは、一安心と言える。

 ……でも……。

「興味はある」

 そして、その結果面倒なことになったら。

 その可能性を考えて——それでも興味があるのなら。

「……」

 ぼくは腕で目を覆った。

 事態は明確になったが、複雑である。

 解決策自体は、もう、わかっている気がするけれど。

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