第11話 幼女と女子大生


 月曜日、陽が真上に昇る寸前に起床した。溜まっていた疲労のせいなのか、随分寝過ごしてしまったみたいだ。今日の講義は全休になっちゃったけど、お腹の痛みはだいぶ治まってきてるから、もうすぐ除霊が終了しそうなのが救いだ。


 昨日、疲れていた俺は幼女との会話もそこそこに、飯も食わないで日が暮れる前に早々と眠りについた。寝てた間に幼女がどうしてたかは知らないけど、今は眠ったように動かない。幼女を起こさないように静かにベッドを降りると、昼食の準備を始めた。


「残り物を使ってチャーハンでも作るか。あとはテキトーにスープでもあればいいだろ」


 幼い頃に家族を失った俺は、祖父母の元に預けられることになった。そこで厳しく育てられて今の俺がある。小学校卒業までの六年間、祖母からは家事を教わり、祖父からは霊能力者として鍛え上げられたんだ。


 それまで霊能力者の修業なんてしたことがなかったから、最初は自分の霊力を感じられなかったし、幽霊の姿をきちんと捉えられなかった。それが霊力の扱いが上手な祖父母と暮らすことで、徐々に感じられるようになっていった。


 もともと三門家は江戸時代から霊能力一家として地域を守ってきたそうだ。他の霊能力者の修業は知らないけど、厳しい修行だったと思う。霊力ではなく身体能力を高めるために肉体をいじめ抜いてきたし、格闘技も色々習った。幽霊相手にはあんまり役に立たないけど、体捌きで攻撃を回避するのは得意になった。


 たぶん、二人は自分たちの死期を悟ってたんだと思う。霊能力者だから自分の霊力が弱まっているのを実感してたんだろう。厳しく接してくれてたんだ。


 テレビをつけてご飯を食べてると、気になるニュースがあった。それまで毎日何回もあったゲートの発生が、昨日の午後から今朝まで一切なかったらしい。タイミング的には幼女が腐界に現れたのとぴったりだ。


 残念ながら六道さんとはまだ連絡が取れてないから、本当のところは分からないけど、幼女がこの件に関係してるだろうと自然と思ってしまう。


 ベッドで眠る幼女を見ると、普通の子供ように見える。この幼女がいったいどんな意味を持つのか。関りを否定するには、あまりにもタイミングが良すぎる。


 でも、この幼女は悪いことしたわけじゃない。政府から引き渡し要求とかあるんだろうか。それも幼女の意志次第ってとこだろう。幼女の前では、現代兵器なんて通じないだろうし。


 現代兵器が幽霊相手に通じないって意味じゃない。効果が小さいってことだ。例えば銃弾にだって精霊が存在してるから、幽霊に当たればダメージを与えられる。でも腐界の幽霊は現世の幽霊よりも強力だから霊力の差が大きすぎるし、ましてやこの幼女相手じゃいくら撃っても全然効果がないんじゃないかって思う。


 それにしても本当によく眠っているな。寝る子は良く育つなんていうけど、幽霊も成長するのかな。昨日話した印象だと知識の蓄積はできるみたいだから、なんらかの記憶媒体があるのかもしれない。


「お~い、起きろ~。そろそろ大学に行くぞ~」


 幼女のほっぺたをぷにぷにとつつく。幽霊なのに柔らかい。おかしな感覚だ。霊幕と霊力で弾力を再現してるのだろうか。どうでもいい考察だな。


 幼女は寝ぼけているのか、俺の指を甘噛みすると、それに驚いて目を覚ました。どうにもこの幼女、10歳くらいの見た目に比べて幼い感じがする。


『カスミ。どこ、いくの?』

「大学だよ。塔子先輩たちと会って色々話さなくちゃならないからさ」


 名前を決める必要もあるしな。ところが幼女は俺のシャツの裾を掴んで離さない。


『いっちゃ、だめ』

「じゃあ、みんなをこの部屋に呼ぶか」

『よんじゃ、だめ』


 この幼女、力も強いが意志も強い!


 イヤイヤ期かなぁ。それとも、人と会うのが恥ずかしいのか。いずれにしても、俺にはやるべきことがあるんだ。今の状況を説明しなくちゃいけないし、幼女を説得せねばならない。昨日伝えることができなかった想いを倫子ちゃんに伝えるためにも。なんだか子育てしてるみたいだなぁ。


「みんな優しい人たちだから、会いに行こうよ」

『ん~ん』


 う~ん、まだ駄目か。


「女の子ばっかりだし、きっと大丈夫だよ。倫子ちゃんなんて特に優しいから」


 きっと仲良くなれるはず。


『りんこ、だれ?』

「倫子ちゃんは俺の後輩だよ」

『カスミ、にやけてる』


 俺の秘めたる想いを嗅ぎ取るとは中々やるじゃないか。


『わかった。だいがく、いっしょに、いく』

「そっか。んじゃ、着替えるから待ってて」

『ん』


 なんで気が変わったのか分からないけど、まあいいや。着替えを用意してパンツに手をかけた。幼女はこっちをじっと見つめている。着替えに興味があるのかな。減るもんじゃないけど、レディは慎みをもたなきゃだし、教えておくとしよう。


「俺の着替え見たいの? えっち」

『ん~!』

「ちょっと、まくら投げないでっ。冗談だからっ」


 幼女はぷいっと背を向けてしまった。


「それじゃあ俺一人で行こっかな」

『だめ。いっしょに、いく』


 う~ん、幼女の相手は難しい。最初は行かないって言ってたのに、心変わり激しいな。どう接すればいいのか、さっぱり分からん。


「んじゃ、いってきま~す」

『いって、きます』


 自室を出ると、幼女は俺の中に入っていった。おそらく隣人の姿が見えたからだろう。でも、今はこの方が都合がいい。余計な騒動にしたくない。


 ガソリンスタンドで給油したわりには、思ったよりも早く部室についた。幼女は中に誰もいないのを確認すると、俺の背中から飛び出して、落ち着かない様子で部室を観察し始めた。みんなはまだ講義を受けているのだろう。


「この部屋から出ちゃダメだから」

『ん』


 釘を刺しておけば、たぶん大丈夫だと思う。この幼女は俺と一緒にいようとしてるから。俺の中が「あったかくて、きもちいい」からって言ってたな。ってことは、俺よりも条件のいい人間を見つけたら移ろうとする可能性もあるのか?


 その人間の霊幕は幼女の力に耐えきれなくて破裂しちまうぞ。一応「知らない人についていっちゃだめ」とは警告しておいたけど不安は残る。


『カスミ。だれか、いる』


 幼女が俺の後ろに隠れてから少しして、ノック音が聞こえてきた。塔子先輩だったらそのまま入ってくるだろうし、倫子ちゃんかな。


「はい、どうぞ~」


 ドアが少しだけ開き、倫子ちゃんが中をのぞいてきた。何やってるんだろう。


「あの、三門にゃん先輩。この部屋に入ろうとすると凄くお腹がぞわぞわするんですけど、大丈夫なんですか?」

「えっ? ああ、大丈夫大丈夫。何も問題ないから入ってきなよ」


 そうか。倫子ちゃんは幽霊が見えるんだったよな。きっと幼女の霊力を感じ取って警戒が強まってるんだ。倫子ちゃんが恐る恐る中に入ってくると同時に、幼女も俺の中に入ってきた。


「おじゃましま~す」

「いらっしゃい、倫子ちゃん! と、久坂さん」


「なんか、めちゃくちゃ温度差を感じるんですけど?」

「この部屋閉め切ってたからな~。窓開けていいよ」

「比べてるのは廊下とじゃないんですけどね!」


 まったく、久坂のヤツは面倒くさがりだな。招待客じゃないんだから、次からはセルフでお願いしますよ。


『カスミ。だれ?』


 幼女は俺の背中から飛び出して、何やらこっそりと二人を観察している。


「優しそうなお姉さんが倫子ちゃんだよ。ショートカットの方が久坂さん」

「なんで私は見た目の特徴なんですかねぇ?」

「響ちゃん。それより、ほらっ、女の子が隠れてるよ」


 迂闊っ。幼女だからといって、かくれんぼが得意なわけじゃない。可愛いもの好きの女子大生に見つかってしまった。幼女を正面から見ようとしてるのか、倫子ちゃんが目を輝かせて向かってきた。幼女は俺の陰に隠れて逃げてるから、二人が俺の周りで鬼ごっこしてる。


「えっ、えっ、この可愛い子、浮いてるじゃないですか。幽霊なんですか? 抱きしめてもいいですか?」


 倫子ちゃんがいつもより早口になって迫ってくる。俺にじゃないけど。幽霊でも、可愛いなら問題ないんだな。ひとつ勉強になった。


「おさわりは厳禁です」

「そんなぁ」


 圧倒的な霊力を持つ幼女と触れ合ったら、倫子ちゃんの霊幕が破れるだろうからな。この幼女が力を抑えてくれるか分からないし。


「ちょっと倫子、それじゃ怖がるって」


 久坂の助言に、倫子ちゃんは二歩後ろに下がってから中腰になった。


「ごめんね。自己紹介もしないで。私、梶中倫子です。よろしくね」

『ん。りんこ、しってる。カスミ、にやけてた』


 幼女は俺の肩口まで登って顔を覗かせた。倫子ちゃんはようやく対面できて嬉しそうだ。つづいて、次は自分の番だとばかりに久坂が一歩前に出た。


「私は久坂響。よろしくね」

『カスミ、言ってた。しらないひと、はなしちゃだめ』

「ええぇぇ!?」


 幼女は、呆然とする久坂から逃げるように、俺の中に隠れてしまった。律儀に言いつけを守ろうとするなんて、素直ないい子じゃないか。

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