第8話 横浜腐界
やばい。寝坊した。
倫子ちゃんとの買い物デートがなくなってできた心のダメージを癒すためなのか、だいぶ寝過ごしてしまった。十一時を過ぎ、予定していた出発時刻は過ぎている。
悠長に飯を食ってる時間はない。顔を洗ってタオルで拭くと、チーズ味の携行食糧をポケットに詰め込んで、玄関から飛び出した。飲み物は途中で買うことにしよう。
愛車のクノイチに跨って、地図を確認しておく。道を間違うと大きなロスになるからな。目的地は横浜市緑区にある腐界へのゲートだ。
ゲートは世界中に点在していて、先進国ではほぼ100%が各国政府によって管理されている。腐界はいくつもあって、離れたところにあるゲートに入ると、別の腐界に繋がるようになっている。
カタストロフが落ち着いたころ、いやそれより前からだと思うけど、各国は腐界の土地と資源を得ようと動き出していた。そこで各国首脳が集まって協議した結果、腐界はそれぞれの国で管理することが確認されたという。
日本は島国だからなのか、他の国の腐界と繋がっていないので問題にならなかったけど、大陸では別の国のゲートが同じ腐界に繋がってて調整やらもめごとで大変らしい。貧困国や腐界を探索する余裕がない国は、腐界の権利を譲って金銭的な支援を得ようとしてると聞いたことがある。
俺がこれから向かう横浜と繋がっている腐界、つまり横浜腐界は、世界最大規模の広さだと推測されている。空は真っ暗で奥は全然見えないし、ドローンからの映像でもまだ判明していない場所の方が遥かに広い。
腐界基地から離れると強力な幽霊が機械に憑りついてきて、思うように調査が進められないからだ。そのため、比較的安全な基地周辺ばかりに人がいるんだ。
ただ、奥に進む道は判明している。俺は一度だけ行ったことがあるけど、坂道を下っているのになぜだか上ってるような不思議な感覚に襲われる場所だった。たどり着いたエリアは腐界基地がある層よりも強力な幽霊がいるのが分かっている。
ゲートを囲うコンクリートの建物が見えてきた。低層住宅の一軒家が立ち並ぶ中、無骨な建物は少しだけ目立つ。バイクを駐車場に停めて中に入ると、腐界管理局のお姉さんが寄ってきた。
「こんにちわ~。あれっ、三門さん。今日は救助依頼は出てないですよ?」
「今日は普通に制限区域の外側を巡回するだけなんで」
「そうですか。ありがとうございます。では、受付にどうぞ」
ゲートには自衛官もいるけど、管理してる人たちは派遣されてきた普通の公務員だ。管理している腐界は、日本だけでも横浜以外に数十か所あるから、自衛隊員だけじゃ足りないらしい。どうせ自衛隊は腐界の奥にはいかないから調査はできないんだけど。
「お願いします」
「はい、お預かりします」
腐界に入るには探索者証が必要だ。十八歳以上で幽霊が見える人間は、講習を受け、式神を使ったテストに合格すれば入ることができる。でも、俺の探索者証は特別製だから関係ない。国から指定された霊能力者は、認定探索者として登録されているから、一般探索者のようにエリア制限を受けることなく行動できるんだ。
「ところで、六道さんってどれくらい前に入りました?」
「六道さんですか? 申し訳ありません。そういった個人情報は伝えられないんです」
「ああ、そうでしたね。すみません」
「いえいえ、それではお気をつけて」
厳重に警備された部屋には歪んだ空間があり、そこを通れば、すぐに腐界側の基地に移動できる。境目には巨大な通信機が設置されており、二つの世界をまたいで存在することで腐界でも通信できるそうだ。詳しい原理とかは分からない。
「おじゃましま~す」
これで腐界に入るのは何十回目だろうか。移動するときに少しだけ気持ち悪くなった記憶があるけど、それも懐かしい記憶になってしまったな。
腐界に到着すると、職員に会釈して預けた荷物の受け取りに向かった。腐界基地の広さはだいたいサッカーのグラウンドくらいはある。基地には日本から持ち込んだ大型の発電機なんかがあるから、スペースの余裕はない。そんな中、認定探索者は専用のロッカーが用意されてるんだから、荷物を少なくしてやってこれるんだ。
その代わりってわけじゃないけど、政府に依頼されて色々手伝ったりもあるらしい。だけど、霊力の弱い俺に依頼が来たことはなく、前回のように人命救助したり、電波が届かないエリアを巡回するのが主な仕事だ。
「お疲れ様で~す。どうでした?」
「今日は良くないね。小さいのが一つだけだよ」
腐界基地を出発するグループが、戻ってきた民間人のグループに声をかけていた。腐界には霊能力者じゃない普通の人たちもこうして入ってくる。
彼らは腐界で何をしてるかっていうと、腐界資源、つまりは幽霊の回収だ。
幽霊は高密度のエネルギーであり、日本とアメリカの共同研究で活用方法を発見したそうだ。幽霊の魂を的確に攻撃してエネルギーを封じれば結晶化できる。その結晶を利用するらしい。環境汚染の心配もないクリーンエネルギーってのが
原子力に代わる新たな資源として注目されていて、日本政府も研究に力を入れ始めている分野だ。おかげで戦略物質にあたるとして、国外に持ち出せないようになっているし、腐界から出るときには売るか売らないかに関わらず、一旦全てを預けなくてはいけない。
ただ、霊能力者じゃない普通の人は、幽霊を結晶化させるなんて消耗品であるお札を沢山使ってもできるかどうか、しかも命の危険が伴うのでそれだと割に合わない。稀な例だけど、先日俺が遭遇したように危険な動物もいるしな。
ところが、腐界には活動を終えた幽霊が結晶化したモノが普通に転がっていることがあるので、それを拾い集めに腐界に来るんだ。サイズが小さくても、ゼロが五つ以上で売れることもあるってんだから、そりゃ群がるよなって感じだ。
俺はまだ見つけたことない。それに俺の能力だと結晶化させるのも難しい。
腐界基地周辺の安全が確認されたことで、日本ではバイト感覚で腐界に入る人もいる。クリスマス前なんかは若者を中心に結構賑わったらしい。
逆に、お金に困ってる人でも人間型の幽霊を相手にするのが嫌で探索者にならないって人もいる。俺は昔から地縛霊の除霊とかやってきたから今更躊躇することはないけど、そういう人たちの気持ちが分からないわけじゃない。
元々、日本政府は腐界内に民間人を受け入れる予定はなかったと報道されていた。財閥企業と協力して探索を進める予定だったらしい。
ところが政府は突然方針を180度転換して、民間人に開放することにしたんだ。いきなり腐界探索を勧めるようなCMを見た時はびっくりした。式神を配布して身を守る手段ができたから、とは聞いたことあるけど本当のところは分からない。
過去にどっかの民間企業が派遣労働者を大量に送って、人海戦術で探索したことがあったけど、資源の独占に反発する声が上がったことで法律が改正された。他の民間人を強引に排除する様子が撮影されてたんだから当然の流れだろう。
その名残で現在はソロや小さなグループでの探索が多い。ついでに配信しようって探索者も結構いる。
もちろん、民間人を腐界に入れることに対して反対派はいたけど、幽霊資源が欲しい経団連の後押しがあったとかなかったとか。どっちにしろ突然ゲートができちゃうこともあるし、民間人が入ってくるのを拒むのは無理だったと思うけどね。
結晶以外に価値のあるものは、今のところ見つかっていない。木とか昔の家らしきモノものも普通にあるんだけど、持ち帰っても地球にある物質と成分は変わらないそうだ。普通に空気とかもある。見えないくらい小さなゲートから腐界に送られてる、という仮説を聞いた覚えがある。
公式では幽霊のことを「プラズマ生命体」と呼んでいる。いや、明らかに人間の幽霊だろって姿のヤツもいる。けど、そうなると誰の幽霊だ、家族に所有権があるんじゃないのかって、ややこしくなるのを避けるためだと思う。
姿が誰々に似ているってのも偶然で切り捨ててるらしい。まあ、実際に別人の魂やら精霊やらが混じっちゃってるから、100%本人とは言えないとは思う。
「師匠が指定したのは、ここらへんだよな?」
現在位置は、腐界基地から西に10キロくらい進んだ場所だ。方向によってはもっと調査が進んでいる。救助ばかりで全然調査に貢献してない俺がいうのもなんだけど、民間人が主体の日本の腐界調査なんてこの程度だ。
磁力があるわけじゃないから方角があるのか分からないけど、腐界基地を中心にして便宜上そう呼んでいる。地図アプリを確認するときもその方が便利だしな。
俺が今いるのは安全が確認されてない未踏エリア。腐界基地から離れて、ライトは手持ちのだけなのでかなり暗い。比較的安全なエリアには埋め込み式のライトがあって一般探索者の活動範囲を制限しているけど、そのラインはとっくに超えている。
電波はもうちょっと遠くまでつながるけど、突然切れる可能性があるので、配信したい探索者が行く理由はないだろう。
ここは既に俺たち霊能力者以外は入っちゃダメな場所だ。つまり、ここで何かを受け取るってことは、それだけで六道さんが俺に渡したいモノが、人に見せたくないモノなんだなと分かる。
「あれっ、三門じゃん」
声をかけてきたのは霧島だった。それともう一人女の子がいる。例のツチノコ女だろうか。サイドカー付きのバイクを降りると、自撮りしながら、仲良さげに腕を組み始めた。
制限エリアを超えた場合、警報が鳴る機能がレンタルバイクには付いてるはずだけど、もしかしたら故障してるのかもしれない。
でも二人がいつまでもここにいるのは危険だ。二人の肩にはそれぞれ鳥のような姿をした式神が乗っているけど、あくまで保険なんだから絶対無理は駄目だ。
「なんで、ここにいるんだよ。霧島は入ってきちゃだめだろ」
「えっ、ここ禁止区域なのかよ?」
「そうだぞ。危ないからさっさと帰りなさい」
「ねぇ隼人、この偉そうな人、誰?」
「おっ、俺が偉そうだと?」
そんなこと初めて言われたぞ。失礼な奴め。というか、勝手に俺を映すなよ。
「こいつは俺の同級生の三門。認定探索者だから、
ツチノコ女は興味なさげに返事をすると、明後日の方向を指さした。
「ねぇ。なんで、あそこ光ってるの?」
「ホントだ。どうしてだろうな?」
釣られて二人の視線を追うと、空間にひびができてて、今にも裂けようとしていた。これって、六道さんが俺に預けようとしてたモノが出てくるのか?
それにしてはデカすぎるぞ。でもとりあえずは、こいつらをどうにかしないと。
「お前ら、ここは危険だ。離れろ!」
「三門の言う通りにしようぜ。なんかやばいって」
「駄目っ! 凄そうなことが起きるんなら絶対配信しなくちゃ。これで底辺配信者は卒業よ!」
まじかよ、この女。命の危険を顧みず、この場に留まるつもりか。
っていうか、俺もやばい。こんなに手汗が出るなんて初めてだ。俺の全身が恐怖を伝えてきてる感じだ。
「うわっ、まぶしっ」
何かが破裂したような音がした直後、まばゆい光が襲ってきた。
思わず目を瞑ってしまったけど、
強大な霊力が出現したんだと。
それなのに、どうして俺たちは無事なんだ?
恐る恐る目を開いていく。
裂けた空間から出てきたのは、ふわふわと空中に浮いている小さな女の子だった。何故だか、至近距離で俺のことを観察している。
『あなた、だれ?』
それは俺が聞きたい!
というか、なんで幽霊が普通に喋ってるんだよっ!?
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