第9話 強大な幼女


 俺たちの目の前に現れたのは幼女の幽霊だった。


 身長は120cmくらいだろうか。浮いてるからよく分からない。ふわふわの髪にドレス姿がよく似合う。人型の幽霊は生前着ていた服の魂をもとにして霊力で服を作り出すことがあるけど、こんなにはっきりと見える幽霊なんて初めてだ。俺のことを上目遣いで見つめてくるのは何故だろうか。


 そうだ。二人は無事か?


 霧島は腰が抜けて地面を這いつくばっているけど大丈夫そう。ツチノコ女の方はカメラをこちらに向けたままだ。中々に肝が据わってるじゃないか。いや、もしかして立ったまま気絶してるのか? 


 確かに、幼女の強力な霊力を至近距離で浴びたら、普通の人間は無事ではすまないだろう。むしろ、よく生きてたもんだ。


『こっち、みて』


 幼女は俺が二人を見てるのが気に入らないようだ。この幼女は一体何者なんだろうか。幽霊とコミュニケーションが取れる人がいるのは知っている。それでも話せる幽霊なんて聞いたことない。幽霊に声帯があるはずないのに、どうやって声を出してるんだよ。あり余るエネルギーで空気を振動させて声を作り出してるとか?


『あなたの中、あったかそう』


 幼女の腕が俺の霊幕を無視して中に入っていく。それどころか体全体で入ろうとしているぞ。でも、ちょっと待って!


「中にはまだ先客が!」


 制止を無視して、幼女は完全に俺の中に入ってしまった。


 こないだのおぼろの除霊が終わってないから、全然余裕なんてないのに。でも、幼女は俺の中で暴れている感じじゃない。


 てか、そんなことされたら、いくら霊幕を鍛えてるっていっても、凄まじい霊力を持つこの幼女相手じゃどうにもできないぞ。除霊なんてできないだろうし。いや、六道さんがこの幼女を預けようとしたなら、除霊しちゃダメなんだけど。


 あれこれ考えてるうちに、幼女は俺の中からぬるっと姿を現した。


『あったかかった、よ』

「そ、それはどうも」

『チクチクいたい』

「うん。ごめんね?」

『あなたの中、せまいけど、きもちよかった』


 この幼女、なんてこと言うんだ。

 恐ろしすぎる。

 誤解を生むような発言は止めてくれ!!


 これは絶対にマズいぞ。


 俺の手が、全身が震えている。冷汗が流れて体が冷たい。幼女の無垢な言葉が俺を刺してくる。いや、無垢だからこそ危険なんだ。今の言葉を他の誰かに聞かれたらどうなるだろうか。


 って、今の状況は配信されてるんじゃないのか。

 今すぐ止めないと!


 ところが、移動しようとしても動かない。幼女が頬を膨らませながら、俺の腕を引っ張ってるんだ。無理したら、腕が引き裂かれてたかもしれないくらい凄い力だ。


『いっちゃ、だめ』


 配信を止めないと社会的に死んでしまう。

 でも、幼女の機嫌を損ねると、物理的に死んでしまうかもしれない。


「おい、霧島。カメラを止めてくれ。頼む!」

「悪い、三門。腰が抜けちゃって。もうちょいかかりそうだ」


 最悪だ。どっちにしろ死んでしまうじゃないか。こうなったら、話をそらして変なことを言わせないようにしないと。


「名前なんていうの?」

『なまえ? ない、よ』


 名前がない? でも、名前の意味は分かってるんだな。

 まあ、幽霊になって過去の記憶がなくなるのはよくあることだ。


「君はだれかと一緒にいたの?」

『ん?』


 六道さんを知らないのか?

 一体どういうことだ?


 この子を預かってくれって話じゃないのかよ。でも、他には何もないし、この幼女で間違いないと思うんだけど。


『あなた、だれ?』

「俺? 俺は三門みかどかすみ。よろしく」

『ん』


 幼女は小さく首を縦に振った


「これから君はどうするの?」

『あなたに、ついてく』

「そっかぁ、ついてくるのかぁ」


 預かるってことは、一緒に住むってことだ。普通に何か荷物を受け取るだけなんて、そりゃないよな。でも、六道さんを知らないなら、俺に付いてくるのはおかしな感じだ。ひょっとして六道さんは出たとこ勝負をしたのか?


「どうして俺についてくるの?」


 幼女の眉毛が垂れていく。理由を答えられずに困ってるんだろうか。


「いや、理由がないなら無いでいいよ、別に」

『ん~ん』


 この幼女、意外に頑固かもしれない。


『あなたのなか、きもちいいから』

「なんで、そこに戻るんだよぉおお!」


 そんな理由でいいのかよ!

 いや、よくない。特に俺が。


「霧島っ。いいかげんそこの彼女を連れて逃げろ。俺はもう限界だ! こんなところにいられるか!」

「おい、三門。ちょっと待てってば」


 霧島はなんとかツチノコ女をサイドカーに乗せてエンジンをかけた。それを確認して、俺は猛然と駆け出した。


 俺が全速力で逃げても幽霊は余裕でついてくる。足はあっても走らずに、ふらふら空に浮いて追ってくる。まるで鬼ごっこを楽しんでいるかのようだ。


「ちょっと、隼人。ちゃんとまっすぐ走らせてよ。画面がぶれちゃうじゃない」


 どうやら、ツチノコ女が復活したらしい。よりにもよって最悪なタイミングでだ。さっさと腐界基地に向かえばいいのに、パパラッチのように俺と幼女にカメラを向けてきている。


 カメラを知っているかどうかは分からないけど、幼女は困惑しているように見える。それとも、ただ恥ずかしがってるだけなのか。必死で走る俺の横に移動して姿を隠した。


『カスミ』

「なに?」


『おじゃま、します』

「ぁん」


 俺はなんつー声を出してんだ。いくら幼女が急に入ってきたからって、これじゃ俺が女の子みたいじゃないか。それにしても、いきなり下の名前で呼ばれちゃったよ。どうして、この幼女は俺は懐いてくるんだよ。


 隣ではツチノコ女がギャーギャー騒ぎ始めてる。幼女がいなくなったからだろうけど、知ったこっちゃない。今は一刻も早く腐界から脱出して、こいつらと別れなくては。


 全速力で走り続けてると腐界基地が見えてきた。


 腐界は何故か元の世界よりも疲れやすいんだけど、鍛えてるから体力には自信があるんだ。二人はバイクの走行履歴から禁止区域にいたことを咎められるだろうし、憑りつかれてないかのチェックもある。


 俺は一応認定探索者プロだから受付もスムーズにできる。その時間差を利用すれば、十分に時間は稼げるだろう。ゲート前の受付まで行くと、すばやく探索者証を預けた。


「三門さん。今日は随分早いですね?」

「ちょっと気分が悪くなっちゃって」


 言ってることに嘘はない。最悪の気分だ。でも、幼女の幽霊を連れ出してもいいんだろうか、とは思う。だけど、そもそもこの幼女をどうにかできる霊能力者なんて存在するんだろうか。


 六道さんだって、この幼女の霊力と比べたらかなり見劣りする。霊力の差がありすぎて、俺の意志でどうこうできるレベルじゃないのがちょっぴり切ない。


 つまり、俺が幼女を連れ出してしまうのは、不可抗力であって、仕方のないことなんだ。そう思うことにしよう。いざとなれば政府にも顔が利く六道さんのせいにすればいいし。


 手続きを済ませて横浜に戻ってきた。入ってから一時間ちょいで帰ってきたなんて初めてだ。腐界管理局を出ると、駐車場に向かってバイクに飛び乗った。その間、幼女はずっと俺の霊幕の内側でじっとしたままだ。やっぱり、周りに人がいるから恥ずかしがっているのか。


 バイクを走らせてると、幼女がひょっこり姿を現して声をかけてきた。周りを見ると、他に走ってる車がない。俺の仮説は正しいのかも。


『どこ、いくの?』

「おれ、いえに、かえる」


 幼女は唇を内側に巻き込みながら、俺の腹を摘まんできた。


「ごめん。痛い、痛いから止めて。真似して悪かったって」


 幽霊ってのは膨大なエネルギーの塊だけど、触れればちゃんと感触があるし、小さい単位まで調べれば、僅かながらに重さも確認できる。


 でも、この幼女の幽霊の力はそんな可愛いものじゃない。幼い見た目とは裏腹に、物凄いパワーを秘めている。目を瞑っていたとしたら、つねってるのが力士だと感じていただろう。これで手加減してそうってんだから恐れ入るよ。


『どこ、いくの?』

「用が済んだから、家に帰るんだよ」

『いっしょに、あなたのいえ、いく』


 さいですか。まあ、かまいませんがね。食費もかからないだろうし。


 住宅街の狭い路地を抜け、バイクを加速させる。国道246号線に合流すると、幼女は再び引っ込んでしまった。


 これ、俺以外の霊能力者に入ってたら、絶対霊幕が破れてたぞ。六道さんはそれが分かってて俺に頼んできたんだろうか。仮に霊幕が破れたとしたら、どうなったか。


 憑りついた幽霊は、たいていの場合、宿主を自分の姿によせようとする。でも幽霊の形ってのは、死んだままの姿とは限らない。むしろそうじゃないことの方が圧倒的に多い。


 成仏できない幽霊は時間とともに力を失って消えていくから、現世に残ろうとすると他の魂や精霊と合体して異形の姿になるんだ。ところが、この幼女は幽霊なのに綺麗な人間の子供の姿そのまんま。つまり、俺は幼女になってしまうところだったんだ!


 あ、あぶね~。


 霊幕鍛えといてよかったぁ。これだけ強力な霊力を持つ幼女だ。肉体が変化するのもあっという間だろう。


 それにしても、この幼女は一体なんなんだろう。妙に人間っぽさを感じるし、普通の幽霊とは違う感じがする。今度、六道さんと会ったら聞いてみなくちゃ。帰ってくるのはいつ頃なんだろうか。


 アパートに到着すると、バイクをとめて階段を駆け上がった。


「ただいま~」

『おかえり、カスミ』

「最初だから、おかえりじゃないぞ」


 この幼女、言葉は通じるし、たどたどしいけど意思の疎通もできる。でも、日本語能力はちょっと怪しい。これから一緒に暮らすなら色々教えとかないとな。いつまで同居が続くか分からんけど。

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