第2話 ど真ん中のストライク


 麗らかな日差しの下、俺は芝生の上で寝転がっていた。


 ここは神奈川県厚木市内にあるM大学のサークル部室棟前。現在は壮絶な新入生争奪戦が繰り広げられている。新たな生活を夢見る一年生と新戦力を確保すべく積極的に声掛けする上級生たちで広場は溢れんばかりだ。


 本来であれば、所属するオカルト探求部のために俺もどんどん声をかけていくべきだろう。なにしろ、メンバーはたったの五名。そのうち三名が幽霊部員というありさまで、活動してるのが俺ともう一人だけ。にも拘わらず、俺は忙しなく動き続ける他の学生をのんびりと見つめていた。


 そんな俺の視線は突然遮られることになる。目の前に、猫の着ぐるみ姿の塔子とうこ先輩が現れたからだった。


三門みかにゃん、何やってるの?」


 塔子先輩はオカルト探求部の創設者であり、代表でもあるエライ人だ。そして勉強面での俺の恩人でもある。


「ふて寝です」


 昨日、腐界から成果なく戻ってきたおかげで気分は最悪だし、まだまだ体の中で幽霊が暴れてるから体調もそんなに良くないんだ。


「ひょっとして昨日は横浜腐界に行ってた?」


「そうなんです。聞いてくださいよ。せっかく民間人を助けたのに、横浜ゲートから入ってないっていうんですよ。恐らく保険にも入ってないだろうって。完全に無駄骨です」


「大変だったねぇ」


「たぶん、自宅とかに固定化されたゲートを報告しないで隠してたんでしょうね。こっちは商売あがったりですよ。おかげで、しばらくは腐界に行けなくなっちゃったし」


 塔子先輩は気怠そうに相槌を打つと、指先を新入生の方に向けた。


「勧誘しないの?」

「しませんよ。ただでさえ狭い部室なんですから」


 今はそんな気分じゃない。それに勧誘しないのは塔子先輩も同じだ。バイトで睡眠不足なのだろう。大きなあくびが聞こえてきた。塔子先輩が俺の隣に寝転んで丸まっていく。


「新人がいなかったら、三門みかにゃんの代は部室がなくなっちゃうよ?」

「あと二年使えればそれでいいっす」


 塔子先輩は「ふうん」とテキトーに返事して寝返りを打った。


「なんか、猫の着ぐるみだと様になってますね」

「素足で土を踏むのは、体内の静電気を放出するのに効果的なんだよ?」


 塔子先輩は、「そんなの常識だよね?」とでも言いたげだ。だったら着ぐるみを脱いで裸足でやればいいのに、と思わないでもないけど、口に出したりはしない。暖簾に腕押しなのをこの一年で十分に理解してるからだ。俺は視線を再び賑やかな部室棟前に戻した。


「しっかし、ここは平和ですよね~。横浜とはえらい違いだ」

「横浜もだいぶ元通りだけどね」


 約一年前のカタストロフの時、大量の幽霊が世界中に出現した。


 腐界からやってきた幽霊が植物に憑りつき、爆発的に成長したことで、地上や地下がぐちゃぐちゃになり、電気や水道が使えなくなってしまったんだ。携帯電話の基地局が破壊されて通信不能になったのも混乱に拍車がかかった一因だろう。建物に憑りついた幽霊は24時間ポルターガイスト現象を引き起こした。


 世界各地が腐界からの侵入を許したけど、もちろん日本も例外じゃなかった。特に横浜は人口密集地ということもあって、世界最大規模の被害となった。


 人間が憑りつかれることは稀だったけど、その分、多くの昆虫が憑りつかれて巨大化した。巨大化した虫はそのまま大きくなったわけじゃないから、体のバランスが悪くてすぐに死んでしまう個体もいたけど、そこを強引にクリアした個体は強力だった。


 拳くらいの昆虫があたりを飛び回るのは恐怖でしかない。巨大化に伴って雑食の昆虫なんかは人間を捕食しようとしてたみたいだし。まあ、結局は虫に変わりないから、住民の避難が終了した段階で、殺虫剤を散布して退治したわけだけど。生態系に影響を与えたのは間違いない。


「でも、ほとんどの幽霊が消えちゃったのは残念だったね。せっかく幽霊が見えるようになったのに」

「いやいや、見えない方が幸せだと思いますよ」


 世界が一変して、多くの人たちが幽霊を見えるようになった。霊力の強い幽霊を見ることができるようになったんだ。背後霊みたいな弱い幽霊が見える人はあまり多くはないけど、テレビ局は大変だったらしい。


 それまで幽霊を見ることができなかった人たちが見れるようになってしまい、その結果、テレビ番組にも幽霊が映ってしまっていたことが分かったからだ。シリアスなドラマの最中に幽霊が映ってホラーに変わったなんて認められないだろう。


 それは過去の映像も同じで、結構な数の番組に映ってるから、批判がもの凄かったそうだ。過去のものはどうにもならないけど、現在では、霊能力者が撮影に協力して、幽霊が現場に入ってこないようにしてるらしい。


「そうかなぁ。見えた方が絶対面白いよ」


 塔子先輩が幽霊を見えるようになったのは一年生の終わり頃と聞いている。つまり、見えるようになってからまだ一年ちょっと。新鮮なんだろう。でも、子供の頃から幽霊と関わってきた俺にしてみれば、見飽きた日常に過ぎない。


 だからといって、いかにも浅そうなオカルト探求部に入る意味がないわけじゃない。むしろ十二分にあると言っていい。入学早々除霊してたところを塔子先輩に見られたのはアクシデントだったけど、勧誘されたのは幸運だった。


 大学構内にゆっくりできる場所があるのは大きいし、塔子先輩からいろいろ教わったおかげで、俺の成績表は”優”と”秀”の二文字だけ。平凡な成績表だった高校時代が嘘みたいだ。


「お~い、三門にゃん。考え事してる場合じゃないよ。ほら、誰かこっちにきてるよ。入部希望者じゃない?」


 塔子先輩の言葉に我に返った。つい考え込んでしまったけど、俺にとって重要なのは、近づいてくる見知らぬ女性だ。


 セミロングの髪を後ろで纏めてるだけなんだけど、ゆったり歩く姿がどことなく上品に感じる。まだ大学に染まってない感じが高ポイント。ほとんど化粧をしてないだろうに、輝く個性が俺の狭いストライクゾーンを通過していった。見たことないから新入生だろう。


「あの、オカルト探求部の方ですよね?」

「そうです、そうです。入部希望の方ですか?」


 募集はしてないが、来る者は拒まず。素敵な人物なら猶更だ。


「いえ、そういうわけじゃないんですけど」


 思わず倒れこみたくなる衝動をこらえる。もちろん笑顔も崩さない。こんなことでくじけてられますか。


「他の方から聞いたんですけど、その、霊能力者の方がいるって本当ですか?」


 ちょっと前だったら、幽霊の話をリアルでしたら変な目で見られただろう。でも今は違う。それが当たり前になってきてるし、霊能力者の地位も上がった。俺の収入はそんなに変わらないけど。


「うん、俺がそうだよ」


 女性は安心したのか、大きく息を吐いた。


「良かったぁ。ちょっと話を聞いてもらえませんか?」

「それじゃあ、部室の方で聞こうか」


 ちょっと騒々しいから、ここで話すのは良くないしな。俺たちは部室棟に入って、二階の奥の狭い部屋に向かった。中はきれい好きの塔子先輩のおかげで、いつも整理整頓されている。


「それじゃあ、テキトーにソファに座って」

「ありがとうございます。私、文学部史学科一年の梶中かじなか倫子りんこっていいます」


「あっ、俺も同じとこ。二年の三門みかどかすみ。こっちの着ぐるみの中の人が三年で法学部の角鹿つぬが塔子とうこ先輩」


 塔子先輩は学部が違うのに、俺より遥かに豊富な知識量がある素晴らしい先輩なのだ。今は何故か招き猫みたいに突っ立って手を挙げてるから、そうは見えないだろうけども。


「実は私、幽霊が見えるようになったのって、つい最近なんです。地元にいた時は全然見えなかったんですけど、受験でこっちに来てから感じるようになったんです」


 地方から出てきて見えるようになった人の話は聞いている。師匠の六道ろくどうさんが相談を受ける機会が増えたって話してたし、やはり腐界の影響は大きいということだろう。


「下見の時はなんともなかったんです。でも、こっちに来たらアパートに幽霊っぽいのが住みついてて。今のところ、何か悪さするってわけじゃないんですけど、自分ではどうにもならなくて」


 塔子先輩が倫子ちゃんに近づいていく。かわいらしい着ぐるみとはいえ、どアップの距離まで詰められたらちょっと怖そうだ。


「幽霊と一緒に住めるなんて楽しくない?」

「楽しくないです」


「え~、可愛いじゃん」

「可愛くありません」


 塔子先輩の問いに、倫子ちゃんは即答していく。語気は強くないけど、はっきりと否定している。こりゃ、相当まいってるのかも。


「引っ越したばかりだし、こっちに頼れる人もいなくて。霊能力者の方を探したんですけど、ちょっと怪しい人たちばかりで。それでどうしようか悩んでた時にオカルト探求部の噂を聞いたんです」


「どんな噂?」


 倫子ちゃんはなにやら言い淀んている。ここは助け舟を出すべきだろう。


「別にいいじゃないすか、噂なんて」


 どうせ碌なもんじゃない。塔子先輩が悪魔召喚しようと、意味不明な呪文を唱えてたとかだろう。幽霊の存在を多くの人が知るようになったのに、オカルト探求部に新入部員が増えなかったのはそのことが影響してると踏んでいる。


「それなら、三門にゃんが見に行ってあげれば?」


 さすが、塔子先輩!


 俺から言い出したら、下心丸見えだもんな。

 先輩なら、そう言ってくれると思ってましたよ!


「うちは代々そういう家系なんで任せてよ。やばい奴じゃなきゃ、大丈夫だから」

「ホントですか!? ありがとうございます」


 倫子ちゃんの表情がパッと明るくなった。やはり俺の目に狂いはない。素直ないい娘さんだ。


「あっ、でも、本物のプロの方なんですよね。お金とかそんなに出せないんですけど」


 確かにそこは気になるところだよな。神社とかでは五千円くらいからお祓いやってたと思うけど、出張だと高くなるのかな。でも、倫子ちゃん相手にそんなことしないさ。そうだな、お礼にデートしてもらうとかいいかも。


「ええぇぇ!?」


 倫子ちゃんが急に叫び出した。どうしたんだ?


「三門にゃん」


 心なし、猫の着ぐるみが呆れたような視線を送ってきた。


「また心の声が漏れてたよ。欲望ダダ洩れの」

「ええぇぇ!? 俺、またやってましたか!?」

「うん」

 

 なんてこった。せっかくの先輩のアシストを無駄にしてしまったのか!


「でも、三門にゃんの面白いとこなんだから、そのままでいいよ」


 全然よくな~い!

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