三門霞、許すまじ!

犬猫パンダマン

第1話 腐界で人助け


 吸い込まれそうな薄っすら暗い空。

 どこまで続いているか見えない広大な大地。


 俺は今、腐界ふかいに来ている。


 腐界ってのは俺たちの世界と繋がっている異世界のことだ。ずっと昔からあったとされているけど、詳しいことは判明していない。


 今から一年ほど前。聞いた話だけど、雲一つない晴天に雷のように空気を裂く音が響いた直後に空間が歪んでいき、腐界と繋がって次々と幽霊が飛び出してきたという。


 幽霊に憑りつかれた動物は姿を変えて暴れまわり、爆発的に成長した植物は人間の世界を破壊していった。人々は幽霊の存在を感じられるようになり、生活が一変していく。最初に事象が発生した国の言葉を使用して、日本ではこの惨事のことをカタストロフと呼ぶようになった。


 世界中で復興作業が始まると同時に、軍や警察、霊能力者が中心となって狂暴化した動植物を抑え込み、異世界との境目・ゲートを制圧して事態は収束した。


 とりあえずの平穏を取り戻した先進国の首脳陣は、自らの安全のため、そして新たな領土や資源を求めて、腐界ふかいへと進出を開始していく。




 で、俺がそんな腐界で何をしているかと言えば、全速力で駆けていた。追いつかれないよう必死で逃げているんだ。


 俺を追ってくるのは幽霊じゃない。ワニのような姿をしたバケモノだ。ワニってのは、大きな口を持ち強靭なあごで獲物を捕食する生き物で、種類によっては時速45km以上で走り、トップアスリートの最高速度を凌駕する。


 だけど、俺は追いつかれない。


 身体能力には自信があるけど、特別な能力によるものではない。ワニの姿が完全ではないためだ。後ろ足がまるで犬のような形をしており、体のバランスが悪くて速度が出せなくなっているんだ。次第に小さくなっていくワニもどきを見て、ようやく速度を緩めることができた。


「あっぶね~。あんなの相手にしてらんないよ」


 ワニもどきが諦めたことを確認して俺も一息つく。水分補給をしながら、スマホの画面をのぞき込んだ。表示されている腐界の地図には、現在地と目的地が点滅している。


「よし。まだ電波は繋がってるな。アクシデントはあったけど、すぐ近くまで来れたみたいだ」


 俺が腐界にいる目的は、救難信号を発信している人物を救助すること。


 腐界の出入り口は国が管理してるけど、それとは別に、時折小さなゲートがふっと現れては消えてしまうことがある。


 その場に誰かがいれば、吸い込まれて腐界に迷い込んでしまうことがあるんだ。いわゆる神隠しってやつ。今のワニもどきも、たぶんそうだろう。どこかの動物園でワニが突然消えたって報道されてたし。


 もう一つの可能性としては、正規の入り口から腐界に入り込んだ民間人が、自力で脱出できなくて救助を待つ場合だ。いずれにしても、助け出せれば普通にバイトするよりも割のいい仕事になる。貧乏大学生の俺にとっては大事な収入源だ。


 前者の場合には国からお金をもらえるし、後者の場合でも、民間人が自らの意志で腐界に入る場合に徴収される入場料には保険料が含まれているので、そこから救助費用が支払われることになっている。


「なんとか、逃げきれたんで捜索を続けます」


 俺のおでこにはヘッドカメラが装着されていて、現在はライブ配信の真っ最中だ。撮影用ドローンを使えば、もっとマシな映像になるだろうけど、現在の資金力では生活費を切り詰めても絶対無理。画面が揺れてるせいか視聴者は一桁が当たり前だし、コメント数に至ってはゼロから動いていない。


 ライブ配信をやるようになって半年弱。もう慣れてしまったので、そんなにダメージはない。たまに投げ銭してくれる人もいるし。


 腐界探索を続けていると、平地に小さな廃屋のような建物があった。救難アプリを確認する。どうやら目的地に到着したようだ。


「おっ、中から人が出てきた。要救助者かな」


 救難信号は一つだけだったから、彼に間違いないだろう。ただ、普通の人間だと思って油断してはいけない。


「幽霊にりつかれちゃってますね~」


 腐界には幽霊が存在している。そいつらが人間に憑りついてしまうことがあるんだ。その状態の人間のことをおぼろと呼ぶ。


 朧は人間でもない、怪物でもない曖昧な存在って意味だ。大抵の場合、狂暴化していて見境なく攻撃してくる。要救助者としては、かなり厄介な存在だ。だけど、霊能力者なら問題ない。俺みたいなね。


 想像通り、男性は朧化していた。右の鎖骨あたりから、ニョキニョキ腕が生えてきている。ただし、まだ実体化してるわけじゃなくて、彼の幽体が変化しているだけだ。幽霊の見えない人が見たら、普通の人間に見えるだろう。このまま放置されてたら、いずれは完全に変態メタモルフォーゼしてしまうけど。


「助けに来たのが俺で良かったな」


 まあ、本当に運が良ければ憑りつかれることはないか。


 実体がないといっても幽霊はエネルギーの塊だから質量もあるし、ぶつかれば当然衝撃もある。攻撃を受けたら相当なダメージになるのは間違いない。それは第三の腕以外と同じだ。しかも霊力は俺より上。でも、これくらいならイケるだろ。


「って、意外に早い!」


 おぼろが腕を振りかぶり、襲い掛かってきた。でも対応できない速さじゃない。攻撃を躱しつつ霊力を拳に集中させて、第三の腕に軽く攻撃を当てていく。


 霊力同士を衝突させれば俺の霊力も減っていくけど、態勢有利で当てれば相対的に差は小さくなっていく。とはいえ、まだまだ誤差みたいなもんだ。


 元の人間に戻った時を考えて、攻撃箇所は第三の腕だけに限定しておく。他の箇所を過度に傷つけてしまった場合、後々裁判沙汰になる可能性もあるからな。


 配信も続けてるから証拠も残るので、必要以上にダメージを与えないように注意しないといけないし、モザイク処理もしなくちゃいけない。できるだけ派手に戦って良い動画にしたいとこだけど、そこは仕方ない。


 それにしても、この人が格闘技とかやってなくて助かったな。


 朧の運動能力は元の人間に左右される。鍛え上げた肉体の持ち主だったら、攻撃個所を限定する余裕なんて全然なかっただろう。しかし、この朧、結構な霊力じゃないか。これじゃ何十分かかるか分からないぞ。あんまりアレはやりたくないんだよなぁ。まだ強すぎるし。


 「でも、まっ、仕方ないか」


 時間をかけすぎると、他の幽霊が寄ってくるかもしれないからな。それに明日は大学に行かなくちゃだし、帰るのが遅くなりすぎるのも良くない。三日くらいは頭痛と腹痛が付いてくる豪華プレゼントになりそうだけど。


「っと、ごめんよ」


 突っ込んできたおぼろに足をかけて転倒させる。へたくそな受け身だったから、かさぶたくらいはできるかもだけど、それくらいは許してくれよ。さあ、ここからが見せ場だぞ。


 体内の霊力を圧縮し、同時に朧に向けて右手をかざした。朧がぐるぐると回転しながら俺の体内に吸収され始める。まるで右手から渦が発生してるように見えるだろう。これこそ三門家に代々伝わる奥義だ。


 幽霊が吸い込まれて徐々に男性の体が解放されていく。男性の魂まで吸収しないように、気を付けながら吸収しなくちゃいけない。吸収するのは憑りついた幽霊だけ。二つの魂はくっついてるわけじゃないからできるけど、それでも繊細な制御を必要とする。状況はかなりギリギリだ。


「この幽霊! 思ってたより、力が残ってるっ!」


 このままだと想像よりもはるかに強い痛みを味わうことになってしまう。これじゃあ、この後、弱い幽霊相手にも対応できなくなるし、男性をかつぐのも辛くなる。でも俺にはこれで精一杯だ。


「臨時収入が入ってくると思えば、なんてこたない!」


 そうだ。俺の目的はお金をゲットして、貧乏生活を脱出すること。そして、まだ見ぬ恋人と夢の時間を過ごすことだ。こんなことでくじけてたまるか。


「除霊完了だぁ!」


 五分間の死闘の後、男性に憑りついていた幽霊は全て俺の中に入っていった。だけど、本当はまだ除霊が完了していない。むしろ、これからが本番だ。俺の体の中でじっくりと除霊していく必要がある。その間、幽霊が中で暴れるから全身がみしみしと痛むんだ。とくに腹の痛みが酷い。


 <¥500:お疲れ。気をつけて帰れよ>


「あざす」


 周りに幽霊がいないのを確認してスマホを見る。視聴者は、っと。


 ゼロになってる!

 誰も見てない!

 見せ場が終わったからって帰るの早すぎだろ。


 でも、久々の投げ銭だ。ありがたや~。


 ちょっとだけ休憩して、腐界側のゲートに戻ることにした。もちろんスーツの男性を抱えてだ。痛みに耐えながらはかなりきつい。どうやらこの人も動画配信者みたいだな。カメラが近くに落ちてたし。壊れてたから、俺の格好いい姿は映ってないだろうけども。


 男性を担いで一時間以上は経過しただろう。腐界に設営された基地が見えてきた。


 基地は日本から持ち込んだ機材で作った壁で囲まれており、霊能力者によって結界が張られているから、幽霊は中に入ってこれないようになっているブルジョワ仕様だ。


「三門さん。無事に救助できたみたいですね」

「はい、手続きをお願いします」


 正面入り口で会った顔見知りの職員の後ろを付いていき、案内されて部屋に入った。救助した男性を引き渡して書類にサインする。受付の待ち時間は、情報の提供を求められることが多い。


三門みかどさんが救助してくれると助かります。プラズマ生命体の痕跡が一切ないですからね。ここまで綺麗にできる方は中々いませんよ」

「あざす」


 プラズマ生命体ってのは幽霊のことだ。政府の公式見解としては幽霊の存在を認めていないので、呼び方が変わるんだ。色々面倒になるからそうなってるらしい。日本だけじゃなく、世界的にそうなってる。


「それでどうでしたか、腐界の様子は?」

「ちょっと強そうなヤツが一体いましたよ。ワニが変形したヤツが。一応発信機は取り付けられたんですど、どうですか?」

「はい、そうですね。こちらでも確認しましたので、現在対処に向かっているところです」


 腐界基地には自衛隊の部隊もいるけど、基本的に腐界基地の外には出ない。彼らは自衛のための部隊なので、法律的に難しいそうだ。詳しいことは分からないけど、腐界にいること自体がギリギリらしい。腐界が出現して以降は、周辺警備もあるし人数不足だしな。


「それ以外だと、前に来た時と様子が変わった感じはないですね」

「そうですか。ありがとうございました」


 会話が一区切りしたところで、男性職員が部屋に入ってきた。


「お疲れ様です。三門さん、手続き完了しました」

「ありがとうございます」


「それで、救助された男性なんですが、どうやら横浜ゲートから入ったわけじゃないみたいなんです」

「ええぇぇ、マジすか?」


「残念ながら。正式な連絡は後日いたしますので少々お待ちください」

「嘘でしょぉ」


 偶発的に腐界に閉じ込められてしまった場合、救助費用は税金から出されるので、救助された側に負担はない。だけど、自分から危険なエリアにいくような人に対して、税金を使って助けるなんてことは認められていない。負担は自費で、ということになる。


 そのために入場料に含まれてる保険があるんだけど、こそこそ腐界に入るような連中が別の保険に入っているはずもなく、そんな奴らが金を持っているなんてことは考えづらい。つまり、俺が物理的に痛い想いをして助けたのが、ただのボランティアになった可能性が高いってことだ。


 ホント勘弁してくれよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る