秘密の身代わり


 けれど、我が家に着くと、思いも寄らなかった出来事が起きていた。「ただいま」と口にした瞬間、何かがおかしいことに気づいた。百合子姉ちゃんの足には包帯が何重にも巻かれており、私はその姿を見て呆然と立ち尽くすほかなかった。


「百合子が、神社の階段から転げ落ちたのや。病院で診てもらったら、左足にヒビが入ったらしいの。せっかく明日のお見合いの願掛けしたばかりだったのに……」


 今日は土曜日なので、精密検査は翌週になるという。母さんは憮然たる面持ちで涙すら浮かべて告げてきた。その言葉は京都弁から普段使いのものに戻っていた。私は混乱のあまり返事ができなかった。

 姉が包帯を巻いた痛々しい姿を見て、私の心は重く沈んだ。その姿を見るたびに、明日のお見合いが難しいという現実が胸に突き刺さった。姉の姿が見えなくなると、母さんは私に向かって口を開いた。


「このままでは、お見合いは台無しや。取り急ぎ先方に連絡だけはしておかないといけないやろう」


 母さんはすぐにでも、お見合いの立会人となる仲人さんに連絡する勢いだった。仲人さんは叔母にあたる女性が担ってくれていた。ところが、母さんは何を血迷ったのか、突如として手にしていた手帳の連絡先から目を離して、私の目を見据えてきた。


「あっ、ええこと思いついたわ。あんたが一日だけ身代わりになれば、ええのや。そうやろ、一日だけ。あとは知らぬ存ぜぬで百合子に戻ったらええのや。これは、絶対に秘密だよ!」


 私は母親の言葉が京都弁に戻ったのに驚いて、混乱の中で首を縦に振っていた。私の心の中は渦巻く感情で満たされ、何を考えているのか自分でもわからなかった。でも、ひとつだけ確かなことは、百合子姉ちゃんのためなら何でもするという強い決意が心の奥底から湧き上がっていた。


 しかし、私の前には混沌とした難題が立ちはだかっていた。私たちのふたりは一卵性双子だから、見た目も声もそっくりで、初対面の人なら見分けがつかないだろう。けれど、私が素の自分をさらけ出せば、一貫の終わりだ。お見合いが台なしになることは明白だった。私の心配を察したように、母さんから苦言を呈されてきた。


「あかね、あなたは私の操り人形、借りてきた猫になっとったらええんや。何か言われたら、おしとやかに頷いていればええんや」


 彼女はかつて京都で舞妓をしていただけあって、度胸が据わっており、それはまさに名案だった。お見合いの席では、「はい」という返事と「クスクス」という控えめな笑いさえ演じていれば良いと言われた。

 あとは、母さんが全てをうまく取り繕ってくれるという。お見合いが上手くいったら、前から欲しかったバッグを買ってくれるという。二時間ぐらいなら頑張れると、自分自身に期待を寄せた。


 まるで映画のひとコマを切り取るような状況に、私は女優になったような気分となり、新たな挑戦への期待感が心を躍らせていく。その想いは、久しぶりに感じるワクワクする気持ちに変わり、私を包み込んでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る