晩夏の旋律


 昼食の後、スカイツリーを背にしながら、私は家路を急いでいた。夏の終わりを告げる蝉の声が静かになり、秋の訪れがそっと感じられるようになった。さっきまでの涼しい風が運んでいた青空も、徐々に雲に覆われ始めていた。夏と秋が空でせめぎ合い、やがて一雨来るかもしれない。


 その時、私の心は百合子姉ちゃんの幸せを心から祝福したいと思いつつも、羨望と悔しさで揺れていた。私の恋愛経験は少なく、姉のように前向きになれなかった。本物の恋は遠く、恋の女神が私にも微笑む日をただ待っているだけだった。


「あっ、やっぱり降ってきた」


 雨宿りをするために公園のブドウ棚に駆け込んだ。そこには瑞々しいブドウはなかったが、五線譜のト音記号「 𝄞 」を模した不思議なオブジェが目に入った。フラワーコーディネーターとしてブーケ作りに使っていたその飾りに、偶然出会えたことに心が弾んだ。


 不思議なことに、恋の女神がト音記号に姿を変え、心地よいメロディーを奏でているように感じた。彼女はどこに隠れているのだろう?もしかすると、五段目と六段目の「ソ・ラ」の間にいるのかもしれない。そうだとしたら、もっと高い場所へと導いてほしい。


 そして、その瞬間、私は感じた。『晩夏の旋律』が、空から降り注ぐ雨の音とともに、私の心に静かに響き渡る。姉の幸せ、祝福したいけれど、心は揺れる、想いは溢れ出す。



 姉の幸せ、祝福したいけれど

 心は揺れる、想いは溢れ出す


 わたしの恋、女神はどこに

 隠れているの、五線の隙間に


 雲が流れ、夏と秋が争う

 晩夏の空、雨が降る前に


 わたしの恋、女神はどこに

 寂しさだけが、募っていく


 五線の隙間、心の音符が

 響く場所に、虹を見せてほしい



 静けさを破るブッポウソウの囀りが耳に届いた。その声は向かいの動物専門学校から聞こえてきた。自然の一部のように心を癒すその声。


 学校の庭にある檻で、コノハズクが枝に止まり、生徒と戯れていた。彼らは私に気づき、「ブクちゃん」という名前を教えてくれた。ブクちゃんは賢い鳥で、「森の賢者」と呼ばれている。彼は大きな丸い目で私を見つめ、「ソラソラソラ……」と歌い始めた。そのメロディーは、五線譜のト音記号を思い出させ、心を躍らせた。


 恋の女神さんが五段目と六段目の隙間となる「ソラ」の位置に隠れていると妄想したことを蘇らせた。ブクちゃんが「ソラソラソラ……」と鳴くたびに、まるで恋の女神さんが私を呼んでいるかのようで、胸騒ぎまでした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る