第55話
私はまだ体調も回復していなかったうえに長時間馬車に揺られ、アルベルト様と別れなければならない悲しみやこれから先の事など肉体的にも精神的にもとにかく疲れていました。
そしてソファーに横になってうとうとし始めると深い眠りはすぐに訪れたのです。
太陽は今にも遥彼方の西の空に沈もうとして、今やその残光は幾重にも重なった光の帯がするする解けるかのように山の尾根の向こう側に滑り落ちて行き。
もう、ほんのひと筋の光が解け落ちて辺りを闇が包み込みそうな頃、カロリーナの家の外で大きな声がしました。
「火事だ!シャルロット無事か?シャルロットいるんだろう?返事をしてくれ…シャルロット…シャルロット…」
私はぐっすり眠っていてその声は届いてなどいません。
「クッソ!ドアをけ破るぞ!シャルロットいないのか?返事をしてくれ…」
「バッゴーン!!」
けたたましい音が部屋中に響き。
「シャルロット…ゴホッゴホッ‥ゴホッゴホッ‥くぅ、煙が‥シャルロット…」
家の中は煙で充満していて周りがほとんど見えないほどになっています。
薪ストーブの煙突を掃除していなかったので、煙が部屋の中に逆流して今や部屋中に煙が立ち込めていたのです。
薄暗い部屋で赤く燃えている薪ストーブの明かりだけが赤々と辺りを照らしていて。
その光は薄意味悪くまるで悪魔の呼び声かのように、揺らめいてパチパチと音を立てています。
「シャルロット!クッソ…ほんとにシャルロットはいるのか?…いや、誰もいない部屋で煙が出るはずがない。シャルロット、いたら返事をしてくれ!」
もはやアルベルト様の声は悲鳴に近く。
アルベルト様はやっとこの家に近づいたと思ったら、いきなり煙がもうもうを立ち上るのが見えたらしく。
家の中から出ていると分かって焦る気持ちに馬から飛び降り声を張り上げたのですが、私の返事もなくますます煙がひどくなって行って。
とにかく中に入って私を助けなければと、でもいくら呼んでも私は返事をするはずもなく。
もうとにかく必死に私の名を呼ばれます。
火事だと思っていたら実際には薪ストーブの煙と分かり、一瞬ほっとされたのも束の間、ほとんど見えない部屋の中で私を探せずにまた激しい恐怖が忍び寄って来たらしく。
早く…早く私を見つけなくてはと…
そしてとうとうソファーに倒れている私を見つけると私を抱きかかえ一目散に家の外に飛び出されました
「シャルロット?シャルロット?…ああ…息が…だめだ!だめだ!だめだ!君を死なせたりしない。いいから息をしてくれ…」
私の唇は彼の唇で覆われたようで。その感触さえも私は感じることが出来ません。
何度も息を吹き込まれ私の肺は彼が満たす酸素で膨みます。
でも、肺はその酸素を吸収するすべを失い、せっかく送り込まれた酸素は無駄に口から出て行くばかりで…
「シャルロット…頼む。頼む。頼む…息をしてくれ、お願いだ、死んだりしないでくれ…しゃ、るろっ、と…」
私の脳細胞はその声に微量の電流を発生させたようで。
その一瞬の出来事に、まるで暗闇で助けを求めて伸ばした手をぎゅっと掴まれたような安心感を感じました。
そして意識が蘇り始めます。
私を呼ぶ声。
それは私のただ唯一求める人の声の思えて。
まさかアルベルト様の?
愛しいアルベルト様の声は、闇に包まれていく私の身体にある種の違和感を与えました。
ううん、そんなはずはないわ。
もうアルベルト様には二度と会えない。どんなに辛くてももう二度と会えないってわかっているんですから。
彼の声を聞きたいと思う気持ちがそうさせているだけです。
なぜかそんな事を思いました。
それにしてもどうしてこんなに暗いのかしら?
もう陽が沈んで夜が訪れたから?
でも何だかおかしいです。
向こうに明るい大きな美しい門が見えている気がするのです。
私は自然とあちらのまぶしい光に向かって行けばいいような気がして…
「だめだ!だめだ!だめだ!シャルロット死んではだめだ!俺は君といつまでも一緒にいたいんだ。誰が何という言おうと君と結婚する。みんなが反対するなら皇王なんかやめてもいい。ロベルトに皇王になってもらえばいいんだ。君と結婚できないなら俺の人生は暗闇に覆われてしまう。ああ…だからシャルロット死なないでくれ。頼む。頼む。頼むから目を開けてくれ…息をしてくれ…シャルロットー…」
悲痛な泣き叫ぶ声がして私は暗闇の中でハッと振り返りました。
明るい門の反対側は、暗闇が広がりその向こうにかすかにアルベルトの泣き崩れた姿が見えた気がしました。
あっ!あれは確かにアルベルト様です。
アルベルト様どうしてそんなに悲しんでるのです?
私はあなたを悲しませたくはないのに…
彼の声がもっと聴きたくて私は耳を澄ませました。
するとまるで私の死を悲しんでいるような嘆きが聞こえて来たのです。
いきなり私の顔に冷たい雫がしたたり落ちて来て。
これはなにかしら?
雨?ううん、違う気がします。
「シャルロット…シャルロット死ぬな…死なないでくれ…頼む…シャルロットォォ…うぐぅぅぅ…グスッ、グスッ…」
すすり泣くような音が…こ、これはもしかしてアルベルト様のなみだ…
その瞬間。心臓が大きくバウンドして。
まるで雷にでも打たれたみたいな電流に心臓がビリっとしてドクンと跳ねたのです。
血液が血管に送り出され脳に血液を送り出すと、脳が肺に酸素を取り込めと命令を下そうとし始めて。
呼吸をしようとしますがそれだけではまだ何かが足りないみたいです。
どうして…あまりに煙を吸い込み過ぎたせいでしょうか?
”アルベルト様私はここにいます。あなたにはそれが見えないのですか?ここです。ほら、ここに…”
手を伸ばしてみますが、私の手はまるで蜃気楼を掴むかのように彼の身体をすり抜けて行きます。何度試しても彼に触れる事が出来ません。
”ああ…どうして…もしかして私はもう死んでしまったのでしょうか?
そう思った時、とっさに嫌だと思いました。
いやです!死にたくない。私はまだ死ねないのです。アルベルト様を残してなんていけないのです。
彼があんなに悲しんで苦しんでいるのを見るなんて、私には耐えられるはずがありません!
声にならない声で叫んでみます。
”アルベルト様…助けてお願い。私はここです。ここにいるのです。まだ死んでなんかいません!”
私は必死で叫んでいるのに…
”あるべるとさま、私はここです。”と…
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