第21話

 私はそれから毎日ヨーゼフ先生のもとに通った。

 最初はきれいなドレスを着て行ったが、とてもそんなものは着てはいられないと翌日にはカロリーナといた頃に来ていたコットンの古いドレスにエプロンを付けて出掛けた。

 最初の日は午後は薬草で薬を作り、ヨーゼフ先生の帰りを待っていた。

 でもヨーゼフ先生の帰りは遅く、私はすっかりお腹が空いてしまった。それにこんな遅くまで仕事をされて帰って夕食の支度までと思うと、翌日からはついヨーゼフ先生とお父様の夕食の支度をするようになった。


 私も料理はそんなに得意というわけではないけれど、遅くまで働くヨーゼフ先生を見ていると本当に尊敬してしまうわ。

 まだ若いのに、それに義士隊で何とかランベラート皇王とエリザベートを倒そうと日々頑張っておられるなんて…

 そう思うと胸が熱くなる。

 何か私にできることはないかと考えて夕食を作るくらいならと。

 数日が過ぎたがヨーゼフ先生のお父様にはまだお目にかかったことがなかった。

 病気ではないと言われたけど、本当に大丈夫なのかしら?

 そんな事を思いながらその日もヨーゼフ先生のお屋敷を後にした。



 「ただ今帰りました。帰りが遅くなってすみません」

 私はルミドブール家の玄関のドアを開けるとそう声を掛けた。

 「お帰りなさいませシャルロット様」

 「ただいまアビー遅くなってごめんなさい。夕食の後片付けは自分でするから心配しないで」

 アビーはすっかりけがも良くなってもう働き始めていた。

 「いいんです。お仕事でお疲れでしょう?すぐに支度しますから…あっ、そうだ。今日旦那様が帰られたんです。きっとトルーズ様から挨拶にと言われますよ」

 「まあ、そうなんですか。私、断りもなしにこうやって住まわせていただいてるんですもの、すぐにでもご挨拶しないと」


 そこにトルーズ様が現れた。

 「シャルロット様お帰りになられましたか、ちょうど良かった旦那様がお帰りになりましたので、ちょっと一緒にご挨拶に来ていただけますか?」

 「ええ、もちろんです。まぁどうしましょう。トルーズ様、こんな格好で失礼ではありませんか?」

 「大丈夫です。旦那様はそのような事は気になさいませんから」

 「そうですか…では」

 私は付けていたエプロンをはずすと急いで結った髪を撫ぜつけた。



 いそいそとトルーズ様について旦那様がおられる書斎に案内される。

 「旦那様、今よろしいでしょうか。お話していたシャルロット様が仕事から戻られましたのでご挨拶にと」

 「ああ、そうか。入ってくれ」

 「はい、失礼します」

 私はトルーズ様の後に続いて書斎に入る。

 頭を下げたまま挨拶をする。

 「お初にお目にかかります。シャルロット・カッセルと申します。この度は私のようなものを置いて下さり本当にありがとうございます」

 「いいんだ。部屋はたくさんある。それに君はヨーゼフ先生の仕事を手伝っているんだって?さあ、顔を上げてくれないか」

 「はい…」


 私は顔を上げた。

 「あっ!」

 「あつ!うそ…アルベルト様…どうしてアルベルト様がここに…」

 声は勝手に出ていた。


 あの漆黒の麗しい瞳、端整な顔。大きくてたくましい身体。彼が白いシャツに紺色のウエストコートの上着とベージュのトラウザー姿で立っていた。

 「カロリーナ?死んだのではなかったのか…良く生きて…」


 驚いた顔でわたしを見た。

 私も驚いて立ち尽くす。


 「旦那様?おふたりはお知り合いなんですか?」

 「彼女こそずっと探していた女性。カロリーナだ。でもさっきシャルロトと言わなかったか?」

 「ええ、旦那様。彼女はシャルロット・カッセル様でございますが」

 「うそだ。君はカロリーナに間違いないはずだ」

 「ち、違います。私はシャルロットですわ!」

 おかしいわ。私の瞳の色は…

 あっ!

 瞳の色は朝目薬を垂らして色をグリーンにするが、この目薬も一日中効果があるわけではなかった。夕方にはすっかり薬も切れて元の緋色の瞳に戻るのだった。

 シャルロットはそのことをすっかり忘れていた。



 今アルベルトの目に映っているのは紛れもなく恋い焦がれていたカロリーナに間違いなかった。

 「まさか、アルベルト様がこのお屋敷の方だなんて…」

 「私の名前はアルベルト・ルミドブール・ド・エストラードだがカロリーナ。それが何か不都合でも?」

 アルベルトは眉間にしわを寄せて顔をしかめ私を睨んだ。


 私はカロリーナと名乗ったことを後悔した。あの時正直に言えばよかったわ。

 でも、でも…あの時は恐かったし、それに恥ずかしかったから…

 そうだわ。正直にそうお話しよう。


 「いいえ、不都合だなんてとんでもありません。ルミドブール公爵様。あの時私はカロリーナが殺されて悲しみの中で心はすっかり疲弊しておりました。そこにどこの誰かもわからない人がやって来られて、すぐにあなただと分かれば安心も出来たでしょうがドアを開けるまで誰が来たかも分からずすっかり怯えていました。ドアを開けてあなただと分かった時はまたさらに驚きが重なり、つい、本当についカロリーナと名乗ってしまいました。後で本当の事をお話するべきだと思っていましたがあの騒動であなたは帰って来られませんでした。あの後あなた様の事をどれほど心配したか…だから本当の事も言えないままになっておりました」

 アルベルトは目を閉じて私の話に耳を傾けていた。


 「嘘をついたことはこのとおり謝ります。どうも、申し訳ございませんでした」

 「カロリーナは殺された?ではあの張り紙は本当だったという事か…それならそうと最初から話してくれていれば…どうして嘘を…いくら混乱していたとはいえ…もういい。顔も見たくない。俺は嘘が大っ嫌いなんだ。悪いが住むところが見つかったら出て行ってくれ!」


 私は俯いたまま涙がこぼれる。

 まさかこんなところでアルベルト様に再会するなんて。

 もう会えないと思っていたのに…

 やっとお会いできたのに…

 私は確かに嘘をついた。けど…

 あなたをどれほど思っていたか…

 どれほど心配してどれほど会いたいと思っていたか…

 でも、こんなに怒らせて…


 「君を信じた俺がバカだった。あんなことがあって責任取ろうと思っていた俺がばかだった」

 「あんなことって?」

 混乱した頭には、あの時の事がすぐに浮かばなかった。

 「ああ、そうだろうね。嘘つきの君に取ったらあんな事よくあることだったらしいから…」

 アルベルトはふてくされたように顔をプイっと反らせる。

 そうだった。あの時は120歳のカロリーナということで…それに間違って…


 私は更に焦る。

 「あ、あれは…違うんです。あんなことになったのは…私が媚薬とはちみつを間違ってしまって…だからあんな事になったのです。重ね重ね申し訳ありません。だからアルベルト様には何の責任もありませんから…あわあわ…どうか気になさいませんように」

 「び、媚薬だって?君はそれを俺に飲ませて?もういい出て行ってくれ!」

 私は相当アルベルト様を怒らせたようで、彼は顔を真っ赤にして怒鳴った。



 「わかりました。本当にすみませんでした。でもアルベルト様がご無事でよかったです。では失礼します」

 私はくるりと向きを変えて部屋を出て行こうとした。

 責任は全て私にあるのだから、彼が怒っても何も言えるはずもない。


 「いえ、シャルロット様ちょっと待って下さい。旦那様もご事情は聞かれたのでしょう?もう許してあげていただけませんか?今はヨーゼフ先生のところでお手伝いされてそれはもうよく働かれていて…」

 「トルーズお前まであの女をかばうのか?お前の雇い主は誰なんだ?」

 「もちろん旦那様です。ですが…これではあまりにもシャルロット様がお可哀想です」

 「何が可哀想だ。可哀想なのは俺の方だ!ふたりとも出ていけ!」



 私たちは即刻部屋を出て行った。

 廊下でトルーズ様に謝る。

 「トルーズ様もういいんです。私が悪かったんですから、明日にでも出て行きます。申し訳ありませんでした」

 「旦那様も大人げないんです。って言うか旦那様は女性の事にはまったくの無頓着で。きっと本当はあなたの事が好きなはずです。でもあんな事って何なんです?」

 「あの…いえ、特に大したことでは…もうアルベルト様は大げさなんです」

 ふたりで舞い上がってしまったなどと言えるはずがないわ。

 仕方がない明日ヨーゼフ先生のところに置いてもらえないか聞いてみよう。


 ここがアルベルト様のお屋敷だったなんて…

 その夜。私は何度も言い聞かせていた。

 アルベルト様とは無理なんだからと…

 忘れようとしていた心にまた火が付いたように彼を思う気持ちが燃え上がる。

 でも、もう終わりにしなきゃ。

 私にはやることがある。




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