第2話 北浜部長と大杉副部長

「さーて、全員集まったかな?」


 北浜真葉きたはままは・朝倉高校文芸部長が、足をぶらぶらさせながら声を上げた。

 ここは俺、谷川正の母校、朝倉高校の体育館である。北浜部長は一人だけパイプ椅子に座り、側を飯田いいだ、香取の二年生の側近が固めている。その周りに俺たち三十名の平部員が立っている。


「それにしても、大杉の奴、本当に来るのかしら……」


 北浜部長は、ただ一人この場にいない副部長の名前を挙げた。大杉晴也。朝倉高校文芸部の副部長にして、部長すら凌駕する実力を持つ、絶対的エースである。


「まあ、いつものことだから、たぶん大丈夫だとは思いますが……それにしても、もう少し仲良くできないのですか」


 と、飯田が困ったように言った。

 新入部員の俺には事情はよく分からないのだが、どうも北浜部長と大杉副部長はよく喧嘩をするらしい。そして大杉副部長は、だいたい一カ月に一回くらいの頻度で、怒った北浜部長に文芸部追放を宣告されてしまうのだという。だが、その喧嘩の内容は、正直あまりシリアスなものではない。現に昨日のネタは、炎上した二次元アイドルを擁護する北浜部長と、部長の文学的地位の安泰のために必死に崇拝をやめさせようとする大杉副部長によるものだった。

 いつもなら、喧嘩の翌日には、副部長は何事もなかったかのように現れるのが常らしいが、なぜか今日は少し遅い。部長がぶらぶらさせている足は、さっきから微妙にスピードが上がっている。

 と、部員たちの円陣の外の人波をかき分けて、中年の男性が現れた。


「これは、香取先生ではありませんか!」


 部長が弾かれたように立ち上がる。香取七海。福井県ではトップクラスの小説家である。

「おはよう、みんな。こうやって会うのは二月の石狩杯以来かな。いつも海人がお世話になっているよ」


 そう、なぜそのような大物たる香取氏がここにいるのかというと、さっきから部長の右隣に控えている二年生、香取海人が香取氏の次男であるからだ。


「おっ、今年もたくさん一年生が入っているね。真葉ちゃん、今年の一年生は何人なんだい?」

「十五人です。年々数が増えていますね。喜ばしい限りです」

「まったくだ。海輝かいきの時は五人だったものな。さて、大杉も来ていないことだし、私はここで失礼するとするよ」


 だが、ここで香取氏の肩が、二本の手によってがっしりと掴まれた。驚く香取氏を跳び箱の要領で軽々と飛び越え、エース・大杉晴也がすとんと地面に降り立つ。


「あっ、大杉、貴様! 先輩を相手に、何たる不敬!」


 大杉を悪代官さながらの形相で指差しながら、香取氏が叫ぶ。が、大杉副部長は意に関するそぶりも見せず、自然体に長髪をかき上げた。


「おや、香取じゃないか。どうしてこんなところにいつまでも居座っているんだ。海人に顔を見せたらすぐに立ち去れよ」

「何だと? 青二才がよくも言えたものだ。だいたい――」

「年上に敬語を使え、という指摘なら無用だぞ。俺が頭を下げる相手は、富良野さんと立石先輩だけだ。君のような雑魚に興味はないのだよ」

「ははっ! 去年は負けたくせに、何をうぬぼれている!」

「去年? 去年は僅差だったし、今年のお互いの売り上げを見れば、実力差が大きく開いているのはよくわかると思うんだがな。それに、去年の大会の終盤には、そっちはかなり汚くいろいろやっていたじゃないか。まあ、旭川、釧路、石狩の結果を見ても歴然としてるんだけどね」

「くそっ。覚えてろよ、絶対にボッコボコにしてやるからな!」


 香取は歯ぎしりしながら、足音荒く去っていった。


「はあ、あいつと話していると、すっかり言葉が古風になってしまうよ。やっぱり部活っていいものだなあ」


 副部長は表情を和らげ、俺たちに向き直った。


「あのう」


 おそるおそる手を挙げたのは、俺と同じ一年生、立花美里たちばなみさとだ。


「どうして香取先生と副部長は、あんなに仲が悪いんですか? 同じ福井県の小説家どうし、仲良くしてもよさそうなのに……」

「俺と仲が悪いのはあいつだけだよ。どうしようもない犬猿の仲といったところかな。何しろ、俺が新人時代からの仇敵だからね。ほら、俺と香取の得意分野って、推理で共通だろう? 長らく県でトップの推理の実力を誇ってきたあいつにとっては、若手の俺は目障りだというわけさ」

「へぇ……」


 美里は黙り込んでしまう。俺を含め、一年生には言葉がない。朝倉高校文芸部は名門とはいえ、実際は右も左もわからないまま入部した一年生がほとんどだ。どの業界にもあることだが、裏の部分は闇が多いというわけだ。


「いつもすみません、うちの父が……早く引退すればよいものを」


 香取海人が、少し申し訳なさそうに釈明する。


「大丈夫よ、いつものことだから」


 北浜部長は動じない。そして、椅子を立ち上がり、俺たちを見回す。


「さて、一年生、文学界の厳しさは分かったかな? 今日はみんなにとっては初めての公式戦。生半可な覚悟じゃ予選落ちするわよ!」


 思わず黙り込む一年生たち。四月に入部してから一カ月、文学界のグランプリファイナルたるこの富良野杯に向けて、毎日必死に練習を積み重ねてきた。今日こそ、その成果を発揮するときだろう。


「目標は全員が午前の予選突破。さすがに立石先輩は倒せないけれど、大杉と私で二位と三位はいただくわ。でも、みんなが諦めるってことじゃないわよ。全国大会に残るつもりでかかってきなさい!」

「「「「おおおおおおっ!」」」」


 俺たちから叫び声が上がる。周りの参加者たちが驚いたように振り向く。

 北浜部長はそれを見て、にっこりと笑った。


「よーし、じゃあ開会式まで自由行動ね。五分前には整列しとくのよ」

「「「「はい!」」」」


 部員たちが方々へ散っていく。と、俺を部長が呼び止めた。


「谷川君、君の立場は分かってるね?」

「……一年生の中で、唯一の経験者」

「そう。さらに、石狩杯で県七位、書籍化作品も出している実力者。トップテン、いや、トップファイブを期待しているわよ」

「……頑張ります」


 そう言って、今度こそ部長と別れる。確かに俺は一年では突出した実力を持つ。だが、それゆえの重圧は、俺にはまだ少し重い。部長や副部長はどうやってこの重圧に耐えているのだろう。

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