36.俺が行く

*****


 まだそれほど暗くないが、時刻は十八時を回っている。風間と香田のコンビと別れると、桐敷にLINEを入れた。「なんだよ」という無愛想なリプライ。しかし、「どこにいるんだ」と訊ねると、きちんと居場所を教えてくれた。――問題のある河原だった。「どうしてそんなところに?」とは問わなかった。問題のある河原。捕まえてやることが先決だ。


 息を切らせるくらい駆けたのは久しぶりだった。河原にあっていっとう大きな白い岩――サルノコシカケみたいな岩の上に、桐敷は片膝を立てて座っていた。なんだか全体像が小さくなってしまったように映る。俺の顔を見ると「よぉ」と穏やかに笑ってみせた。


 桐敷に近づく。岩の上に飛び乗って桐敷を見下ろす。きちんと捕捉できたことで安心が得られたいっぽうで、怒りが込み上げてきた。だから、「こんなところでなにをしているんだ、この馬鹿が」とキツい口調で言ってしまった。


「言わずもがな、ここはパネコーの縄張りだろうが。無鉄砲にもほどがあるぞ」

「喧嘩がしたかったんだよ」

「どういうことだ?」

「むしょうにむしゃくしゃしてんだよ。だったら、喧嘩しかねーかな、って」

「だからといって、いくらなんでもパネコーを向こうに回すなんて――」


 すると桐敷は「っるせーんだよ!」と咆えた。「うるせーうるせーうるせーうるせーっ!」と怒鳴った。


「あいつはつえーよ、つえーさ! でもよ、みんながみんなあそこまで持ち上げなくってもよ……違うか? 神取、違うか? あたいが言ってることは間違ってんのか?」

「認めるに値する存在を認めない。それは駄々っ子のすることだ」

「おまえまであたいを否定しやがんだな」

「そうは言っていない。おまえの個性は尊いものだ」

「変な慰め方すんなよ」

「慰めたくもなる」

「……くそっ」


 桐敷は立ち上がった。岩から飛び下りると背を丸め、傷心したばかりのような不確かな足取りで去ってゆく。


「桐敷」

「うるせー、馬鹿! あたいはあたいだ! だからみんなうるせーんだ!!」


 不器用だからこそ、哀れに映る。


 たらふく夕食を食べ、ゆっくり風呂に浸かり、しっかり寝れば、回復しないだろうか。



*****


 今日も風間と香田とともに部室に入った。待てど暮らせど桐敷は来ない。ほんとうに妙なかたちでへそを曲げてしまったのだろうか。だとしたらまたフォローしてやる必要があるだろう。桐敷とは笑い合える仲でいたいのだから。


 戸をノックする音。


 俺は「桐敷か」と期待した。なんだかんだ言っても、風間も香田も同じ気持ちだったのだと思う。だが、俺が迎えるに至ったのはいがぐり頭の少年だった。いがぐり頭――どこかで見た覚えがあるなと頭を働かせる。まもなくして「ボンタン狩り」に遭った男子――すなわちいがぐり氏だったなと思い出した。


 いがぐり氏はあたふたする。あたふたしている。目に涙すら浮かべているのでただ事ではないと思い、俺は「どうしたんだ?」と強めの口調で訊いた。いがぐり氏、ついに泣き出してしまった。ほんとうにどうしたんだ、いがぐり氏。おまえの身になにがあった?


「あの、『ファイトクラブ』のみなさん……」

「その『ファイトクラブ』のみなさんだが、いがぐり氏、どうしたんだ?」

「それが、それが……」


 事が深刻さを孕んでいるのであれば急いで行動しなければならないわけで、だから泣いてばかりいられると困るわけで、そこで申し訳ないとはわかっていながらも、俺はいがぐり氏の左の頬を軽くぶった。それでも泣きやまない。いがぐり氏が抱えている問題は小さくないらしい。


「桐敷センパイが、桐敷センパイが……」


 桐敷。

 その名を聞かされ、どきりとなった。


「桐敷がどうしたんだ?」

「自分、帰宅途中にパネコーの連中に絡まれてしまったんス。そこを桐敷センパイに助けていただいて……」

「その場で事は済んだのか?」

「それならここには来てないッス」

「それはそうだ。端的に言え。どういうことだ?」

「桐敷センパイは連れて行かれてしまったんス。桐敷センパイがお強いことは存じ上げているつもりッス。でも、連れていかれた先にはきっとたくさんの敵がいるわけで……」


 風間が急いた様子で近づいてきた。いがぐり氏の両肩にそれぞれ手を置く――というより握り締める。「男ならどうして女の一人も守ろうとしないの」と怒気を含んだ低い声。するといがぐり氏はいよいよ顔をゆがめ、「うえぇ、うえぇ」とますます泣き出してしまった。


「やめろ、風間」俺は二人を引き離した。「いがぐり氏にはなんの罪もない」

「でも!」

「問答は面倒だ。無駄でもある。対処しなければならない。それだけだ」


 風間は前髪を掻き上げ、「あっはっはっ!」と大きな声で狂ったように笑った。


「いいよ、そんなの。パネコーの縄張りなんてわかりきってるんだし。どうせそこにいるんでしょ。任せなよ。あたしが全部ぶっ潰してやるから!」


 呆れたくなるくらいの短絡的かつ向こう見ずな発言だ。


「風間、フツウに思考しろ。いまさら言うまでもない。桐敷はおまえの強さにメチャクチャ嫉妬しているんだぞ。そんなおまえに助けられでもしたら、あいつの気持ちはどうなる? ぐちゃぐちゃになってしまって、最悪、二度と立ち上がれなくなってしまうぞ」


 一転、風間は泣きそうな顔をした。


「だったら、だったらどうしたらいいの? サキは大切な友だちなんだよ? パネコーなんだよ? なにされるかわからないじゃない……」

「ああ、そうだ。時間がない。だから、俺が行く」

「あんたが? ま、待ってよ。あたしが行けないなら、こっちだってせめてヒトを集めてから――」

「馬鹿か、おまえは。そんな暇はないと言った」

「でもっ!」

「必ず無事に連れ帰る。任せてもらいたい。香田」


 俺がそう呼びかけると、香田はすっくと席を立った。


「バイク、出す」

「ああ、頼む」

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