35.キャノンボールバスター
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鏡学園における強者の序列、それは年に一度行われる公式の場、正確に言うとトーナメントで決められるということなのだが、話を聞いたところによると、なんでも「下位」へは認められずとも、「上位」への挑戦は、両者のあいだで話さえまとまればアリらしい。チャレンジャーにはチャンピオンへの挑戦権が常に与えられているというわけだ。フツウに考えた場合、相当なことがない限りは受けて立つべきだ。でないと「臆病風に吹かれた」と罵られ――要は沽券に関わるというわけだ。
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序列二位の生徒会長が絶対的序列一位の風間に吹っかけた。会長の決断を心の底から支持したい。結果はすでに見えているような気もする。しかし、やらなければ男の子ではない。自分の人生のハイライト。それはある程度、御せるように思う。いつ迎えるかは自分次第ということだ。そして何度あったっていい。ヒトには勇気を持つ権利がある。行使するかしないか、問題はその一点だけだ。そういう意味でも会長の行動は尊いと言える。
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放課後の「ファイトクラブ」部室。
上座で頬杖をついている風間に、俺は「やるんだな?」と確認した。
「もちろん。最近、暇してたし、あたしの喧嘩見ればみんなも喜ぶ」
俺は「ふぅん」と鼻を鳴らした。
「なに、神取くん。なにかご不満?」
「代わってやってもいいぞ」
「あら、あたしが心配?」
「そうは言ってない」
「やっつけてやんないと、あたしの名誉に傷がつくんだけど?」
「だから、おまえの顔に泥を塗るつもりもない」
風間がにぃと目を細めた。
「神取くん、あんたね、会長のこと舐めすぎ」
「軽薄そうでまるで頼りないあの男が強いというのか?」
「そのへんの男よりはね」
「だったら、なおのこと――」
「だーめ。あたしがやるの。あんたは黙って見てな」
なんだか喉の奥に物がつかえたような気持ちの悪さを覚えたが――どうあれ風間が敗れる姿は想像できない。完全無欠のチートキャラクターなのだから。
「リリは来るよね? サキも見に来なよ」
サキと呼ばれた桐敷は「うるせーよ」と至極うざったそうに言った。それから凄むように目を鋭くした。
「あたいはあたいが好きなようにする。ってか風間、上のほうにいるからって、偉そうに振る舞ってんじゃねーぞ」
「あーらら、上のほうじゃなくて、てっぺんなんですけれど?」
「うるせーよ」
「うるさいのは、あんただよ」
舌打ちし、出入り口の戸を乱暴に開け閉めし、桐敷は立ち去った。
その背中に見えたのは根深いに違いない悔しさだった。
「中央武道館、久しぶりに盛り上がるよ」
「いちいち広い場所でやるんだな」
「稀に見る好カードだからね」
「俺は桐敷を見つけてから一緒に向かう」
「了解。すーぐへそ曲げちゃうんだからなぁ、サキちゃんは」
俺は席を立った。
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俺はいま観客席で、桐敷の右手を左手で強く握り締めている。逃がさないし逃げないでほしい、そんな思いを込めながら。
「ヤダよこんなの、放せよ馬鹿、手ぇ放しやがれ」
「桐敷、おまえはどうしてそこまで怒っているんだ?」
「そんなの、丸わかりだろ?」
「まあ、そうなんだが」
「ほら、始まったぜ。しゃあねぇから観てやんよ」
中央武道館は広い。我が鏡学園は金持ちらしい。卒業生からの寄付も尽きないという。愛されるのは素晴らしいことだ。会場――畳なりマットなりが敷き詰められた闘技場は四方上階の観客席から観戦しやすくなっている。セーラー服姿の風間は両手を上げて観衆に満点の愛想を惜しげもなく振りまく。大歓声。絶対王者の人気は絶対だ。果ては「風間コール」まで生じる始末。ほんとうに大熱狂。まるで大きなうねりの中にいるようだ。対して生徒会長――序列二位への声援も少なくない。きちんとした黒いスポーツウェアに身を包んでいる。トップがトップの座から転げ落ちる様を見たいニンゲンというのは一定数いるものだ。そうでなくとも会長はそれなりに人気者のようだ。男子女子問わずまんべんなくの声援を得ている。
試合開始――。
会長が速やかにバックステップを踏んだ。デトロイトスタイル。左手をぶらぶら左右に動かして適切な距離を探る。会長、こうして見るとひときわ腕が長い。だからフリッカージャブがサマになる。まるで速射砲、ワン・ツー・スリー。腕が鞭のようにしなった。しかし風間にはまるで当たらない。風間はノーガード。笑った。あははははっとキチガイみたいに愉快げに。ジャブは鋭い。鋭いのだが、まるで命中する気配がない。良くも悪くも凝り固まっている既存の格闘技。その枠の外にいるのが風間だ。プロレスというあやふやな手段をベースに、自在性に優れた圧倒的なパワーと機動力を武器にして相手を完膚なきまでに駆逐する。曖昧性は遊びの部分が多いということだから、その性質上、そこには事あるごとに不確実性が生じ、だから風間は自由なのだろう――ちょっと反則だ。
低い体勢――なにより獰猛な存在がしなやかに獲物に飛びかからんとしている。さらに距離を取る会長。風間は四つん這いのまま、恐ろしい速さで、それこそ目にも留まらぬスピードでぬるりと会長のバックを取った。会長が目を見開き、身体をびくつかせたのが、遠目にもわかった。しかし捕まったが最後――最期なのだ。
会長の左の脇の下に、風間は頭を突っ込んだ。右手で相手の股の間を抱え込み、大きな身体を苦もなく浮かせ、高々と持ち上げた。そのまま反転、叩きつけるようにしてマットに突き刺した。ああ、いくらなんでもこれは大技だから知っている。否、多少、マニアックか? 「キャノンボールバスター」だ。コンクリートの地面でやればかなりマズい。レスリングマットの上だからこそ許される荒業だ。――会長は大の字のまま動かない。角度がエグかった。だいじょうぶだろうか。
両手を上げて、歓声に応える風間。自分の地位を、また確固たるものにしたというわけだ。無敵とは風間のためにある言葉であり、それは辞書にのせてもいいくらいだと俺は思う。華がある戦いぶりにも感心させられるばかりだ。多くの羨望、憧憬が、いま、この空間には溢れている。
俺は桐敷の右手を握っていたわけだが、イラついたように、不本意であるように、手を振り払われてしまった。
桐敷は自分を蔑むような、自分を軽んじるような顔をしている。僻んではいない。もっと言うと、もはや悔しそうですらない。暗澹とした雰囲気だけをまとっている。
「これで満足かよ。ウチの生徒はみんな満足なんかよ。風間が最強だなんてことはわかりきってることだろうが。だからあたいは称えもしないし褒めもしねーんだよ、みんな、馬鹿じゃねーの。自分より強い奴がいたらそいつらぶっ潰してやるってのがフツウじゃねーの?」
「そうでもないと思うぞ。だって俺たちは――」
「仲間だろってのか?」桐敷は不安定に笑った。「ふざけんじゃねーよ。誰がてめーらと仲間だってんだよ。誰がんなこと言ったってんだよ」
「桐敷」
「うるせー、ばーか。あたいは帰るぜ。つーか死ねよ、おまえら。いちいちあたいを不機嫌にさせてくれんな」
桐敷は階段を上り、姿を消してしまった。
*****
部室へと至ったわけだが、桐敷の姿は、やはりない。
風間と香田は両手でまたハイタッチ。
「リリは心配した?」
「しない。楽勝」
「あははははっ」
「れなは最強、ほんとうに」
そんな馴れ合いはどうでもよく、だから俺は自席に座った。その所作が少々乱暴だったから、勝ちの空気に水を差されたと感じたのだろう。風間が眉をひそめ、「なにが気に食わないの?」と訊いてきた。
「いろいろだ。だが現状、どうしようもない。だからどうしたものかと迷っている」
「あー、神取くん、それってぇ――」
「うるさい黙れ。おまえらはとっとと帰れ。俺はいましばらくここで思考することにする」
「どうして?」
「だから、気に食わないからだ」
「じゃあ、ほんとうに帰っちゃうよ?」
「帰れ。ああ、帰れ、帰ってしまえ」
――次の瞬間だった。
なにかが飛んできて、細く薄いそれは俺の頬をかすめてくれた。
不意打ち的に香田が放ったカミソリの刃――そうであることがまもなく知れた。
「神取、ゆるさない。れなを侮辱するなら、殺す」
俺は笑った。
「だったらいまの一撃で仕留めるべきだったな。おまえがそんな行動をとると知ったいま、俺は二度とおまえの攻撃など食ってやらないぞ」
「だったら、確かめる。もう一度――」
「命のやり取りだと言っている。おまえは死にたいのかと訊いている」
突っ込んで来ようとしたのだろう、香田が足を踏み出した。だったら相手をしてやろうと思い、俺は席を立った。さあて、どこを殴ってやろうか。俺はつくづく性格が悪いんだぞ。
風間が「ダメ!」と叫んだ。
俺と香田はぴたりと動きを止めた。
そうせざるを得ないくらいの腹からの声だった。
「あんたたち、殺伐としすぎだし、物が見えてなさすぎ。馬鹿とは言わない。ただ、やめて。じゃないと許さないから」
そこにあるのはあまりに怖い顔だったから――だが、俺は謝罪しなかった。二人のことがことのほか嫌いになったわけではない。ただ、謝るのは違う気がした。
いま、ここにはいない仲間――桐敷のことが気になるばかりだ。
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