29.その名も静内碧

*****


 放課後。一人、中華料理屋「シュリ軒」の帰り道である。ラーメンにはにんにくを大量投入し、チャーハンには少々のウスターソース。実りある食事と言えた。――が、連続してはいけない。仕送りで生計を立てている者としては、いくらその金額に「親公認の多大なる余裕」があったとしても、外食など続けるべきではない。そも、俺はキャベツとブロッコリーがあれば生きていけたりする。世のみなはキャベツとブロッコリーの有用性有能性万能性についてもっと造詣を深めるべきだ。俺はそんなふうに考えている。



******


 その日の放課後も部室で格ゲーが執り行われていた。据え置き機である。アーケードコントローラーである。テレビも大きく本格的なのである。風間と桐敷が熱いバトルを繰り広げるわけで、俺と香田は読書の時間が長いわけだ。それでよいのだと思う。風間と桐敷はがつがつやり合えばいい。俺と香田の場合は「我関せず」を貫くほうが自分らしい。例によって罰ゲームはしっぺである。だから見舞われるのはへたくそな桐敷ばかりである。桐敷はしっぺを食らうたび、「ぅぐっ」とか、「ふぐっ」とか、「へぐっ」だとか「へぅぅっ」とか小さくヘンテコな悲鳴を漏らすので、見ている分にはかなりラブリーなのである。桐敷はいい加減気づいたほうがいい。自分は萌えキャラだということに。


 ――部室の戸がノックされた、コンコンコンと三度。


 女ども三人は敏感だ。過敏だと言って差し支えないかもしれない。ドアが叩かれたというだけなのに、みなが動きを止めたのだ。そこにある理由はわからないが、想像くらいはつくような気もする。


 俺が「出ても?」と訊くと、風間は「お願いしていい?」と答えた。


「ただの来客だ。請け合うさ。桐敷も、いまにも噛みつきそうな顔をするな」


 俺は戸を開け、客を迎えた。

 いたってフツウの――なんて言うと失礼か、とにかく女子生徒がいた。


 その女子生徒は俺を見上げると「ひゃぁっ」と突拍子もない声を上げ、それから左手で顔を覆ってしまい、そのいっぽうで右手で、なんだろう、手紙か……? そんなものを寄越そうと、押しつけようとしてきた。


「風間センパイっ、シズナイ・アオイさんという方からの、えっと、果たし状なんです!」


 シズナイ・アオイ?

 果たし状?


 そうか、果たし状か。

 実に興味深い話ではないか。

 古めかしい響きだからこそ、そそられるものがある。


 いったい、我が「ファイトクラブ」の長はどう対応するのか。

 そんなふうに思っていると風間は近づいてきて、女子生徒の頭を撫でながら、「ありがとうねぇ」と目を細めた。



*****


 その日は風間と二人きりで帰路についたわけだが、校門を出たところで、黒塗りの高級車に出くわした、リンカーンだ。後部座席から降車した黒髪をおかっぱに整えている女性は恐らく女子高生だ。にしてもなんだ、あのふんだんにレースがあしらわれた白の制服は。スカートが極端すぎるくらいに短いこともあり、明らかに街歩きには適さない。


 当該女子はすたすた歩いてきた。風間の目の前に立ち、「ごきげんよう」などと微笑んだ。第一声で「ごきげんよう」と挨拶するニンゲンに俺は生まれて初めてお目にかかった。高貴だ。気品も感じられる。香水は匂いはとにかく甘い。


「ほんとうにアオイちゃんじゃない。どうしたの?」

「果たし状は? 受け取られたのでしょう?」

「受け取ったけど。っていうか、マジで来たかぁ」

「どうあれ私が出向く際の目的は喧嘩以外にあり得ませんわ」


 二人とも、まるで俺がいないみたいに話す。


「ここでやる? それでもいいけど」

「天下の鏡学園です。道場の一つくらい、用意なさい」

「おぉ、なぜに命令口調?」

「いいかげん、ケリをつけてやりますわ。あなたは私の人生において、目の上のたんこぶなのです」

「たんこぶとか、あはははは」

「いいから案内しなさい」

「はいはい、わかりましたよぉ」


 風間はおどけるようにして小さく肩をすくめると、くるりと身を翻した。アオイちゃんとやらは「ふふ」と笑って後に続く――彼女にはやはり俺が見えていないのかもしれない。帰ってやろうかと思う。ただ帰ったら風間に文句を垂れられるようにも思う。しかたない。付き合ってやるか――と考え俺も彼女らに続こうとしたとき、隣に老人が並んだ。アオイちゃんとやらはまず間違いなくいいとこのお嬢様であり、だったらいかにもなファッションのこのちょび髭の老人は俗に言う執事だろう。老人は、こちらは訊いてもいないのに、「私はサトウと申します」と名乗った。サトウ、佐藤とさせてもらおう。


 俺は佐藤氏とともに歩き始めた。


「このたびはお嬢様が誠に申し訳ございません。デートだったのでは?」

「そも、そういう関係ではありません」

「しかし、あなたは逞しく、また綺麗な顔をしていらっしゃる」

「あらゆる面において誤解されやすいのが俺です。置いていかれないうちに行きましょう」

「そうでございますね」



*****


 風間が告げると柔道部は道場――畳の上を即座に空けた。さすが序列一位の威厳と権利とでも言うべきか。風間はローファーを脱いだけれど、アオイちゃんは白いヒールのままだ。畳が傷むに決まっている。だから下っ端だが真面目だと思しき柔道部員が突っかかろうとしたけれど、その行為は先輩部員の制止の声によって阻まれた。畳は替えが利く。そういうことなのだろう。


 俺は二人を正面に見る特等席で観戦する。隣には佐藤氏。律儀にも彼は正座をしている。あぐらをかいている俺の礼儀がなっていないだけのことなのかもしれないが。


 脱力したようにどろりと身を落とした風間が畳を蹴り突っ掛かった。極度に力を抜くのは自らを液体と化し、「万能」という概念に特化するためだろう。パワーばかりに目が行きがちだが風間の強さは自在性にある。その自在性をもって右手で足を狩りにかかる――言ってみれば脚部へのラリアット。


 避けようのない速度に見えたのだが、アオイちゃんは真上にぴょんと飛んで難なくかわした。着地。態勢の立て直しは互角。風間のローリングソバットを退くことでやり過ごしたアオイちゃんはジャンプしての華麗なダブルニーアタック。どうさばくかと見入っていると、風間は綺麗にブリッジを決めることで避けた。まさに火花散る攻防。めっぽうアツいではないか。


 アオイちゃんが鋭く踏み込む。白鳥の華麗さでもって右足で顎を蹴り上げようとした。しかしそこはやはり達者な風間。間一髪のところでスウェーバック。ギリギリまで引きつけてからかわしている感がある。相手の動きがよくみえている証左だ。


 アオイちゃんがたしなむ「それ」は明らかにオリジナルだ。小さく前後に足を開き、左足が前、右足が後ろ、直立不動に近い。開いた右手は顎の前、同じく開いたままの左手は腰の位置。ゆっくりとした一定のテンポで身体を上下に揺らしタイミングをはかっている。


 ――アオイちゃん、踏み込んだ。


 ダーティーだ。距離を詰めて左のジャブを二発ササッと放つと、右足で風間の左の足の甲を踏み潰そうとした。風間でなければもらっていた。アオイちゃんはジャブくらいは打つようだが、あまりテキパキと細かい攻撃はせず、スケールの大きな一撃をぶつけようとするようだ。スタイルなのだろう。しょうもない削り合いが目立つ昨今にあっては特筆すべき美点だと断言できる。


 近距離戦になると途端に不利さを露呈してしまうのがプロレスというものだが、風間の場合はあてはまらない。打撃には存分に対応するし、その中で大技を狙っているのがわかる。しかし、アオイちゃんの受けも完璧だ。掌底はかわすし、ローキックは切ってみせる。それにしても二人ともスカートの丈が短いのはなんとかならないものだろうか。動きやすさを重視していることは、まあわかるのだが、やはり目の毒だ。


 ついに風間がアオイちゃんをスピアタックルで押し倒した。凄まじい勢いだった。さすがのアオイちゃんもしたたかに頭を打ったことだろう。後は寝技を狙って極めてしまえば――しかしそこはアオイちゃんも大したもので、すばやく拘束から逃れると後方へと転がった。立ち上がるや否や風間の左の頬を目がけて薙ぎ払うような右の蹴り。当然、がっちりガードして足を弾き飛ばせてみせるわけだ。まったく、この天才め。


 それから十分ほどエグい戦闘が続いたが、どちらからも決定打は出ず、「今日はこのへんにしてあげますわ」というアオイちゃんの言葉を最後に終了を見た。二人とも短い息をついていて、ようやく身体があったまってきたように映るのだが、やめはやめ。俺としても二人のこれからの関係性は注視したい。興味深い戦いだった。


「セバスチャン、帰宅し次第、紅茶を用意しなさい」

「はい、お嬢様」


 アオイちゃんに言われ、執事然とした老人が立ち上がった。

 やはり執事と言えば、セバスチャンなのか。

 いや、佐藤氏ではなかった……か?



*****


 風間と二人、道場の壁に背を預け、柔道部の活動を眺めている。


「強いじゃないか。アオイちゃんだったか?」

「そ。アオイちゃんだよ。シズナイ・アオイちゃん。例によって漢字の認定はお任せしまーす」


 静内碧とさせてもらおう。


「碧ちゃんはやるようだ」

「たぶん、ウチの学校にいたら序列二位だよ。一位は余裕であたしだけど」

「にしてもだ」

「なに?」

「いや、碧ちゃんの学校の女子の制服はヤバいと思ってな」

「ヤバい? どうして?」

「純白だ、目立つ。スカートが異常に短い、これもまた目立つ」


 ま、それはそうだけど。

 そう言って、風間は笑い。


「碧の学校、ペネ女っていって、ここから西にあるんだけど、あんな恰好してるのは彼女だけ。目立ちたいのかな? そのへん、よくわかんない。それにしても、あー、今回も仕留め損ねちゃったかぁ」


 風間は肩を落とし、はぁぁと深いため息をついた。

 それから顔を上げ、柔道部の練習風景に目を向けた。


「神取くん、あたしね、握力が百キロあるんだ」

「俺と同じだな」

「えっ、嘘っ、そうなの?」


 眉をひそめた俺である。


「おまえは嘘を言ったのか?」

「嘘に決まってるじゃない」

「俺は二年前に測ったきりだ。衰えているかもしれない」

「また馬鹿言っちゃって」


 どことなく眩しそうに、風間は前を眺めている。


「あたしはこの学校のトップ。自覚が深まりましたぁ」

「その旨、忘れないほうがいい。それは誇りと同義だからな」

「カッコいいこと言うじゃない」

「そうだ。俺はカッコいいんだ」

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