28.大龍さんはいろいろと考えたらしい

*****


 大龍に奴さんの母校――パネコー近くの河原にLINEで呼び出された。「来い」とあり、「喧嘩をしよう」などとのたまってくれた。「タイマン」だという話だが、それが嘘か真かはわからない。俺は大龍のことが嫌いではないので信じた――いや、べつに大量の取り巻きが湧いたところでいっこうにかまわないのだが――半分冗談だ。できることなら面倒は避けたい。


 訪れてみたら、あれまぁ、大龍以外に十人はいた。「俺しかやんねーよ」と大龍は目を細める。そう言うということは、そういうことなのだろう。


 ――どれくらい経過しただろう。


 殴り合い、殴り合い、殴り合って殴り合った。避けるという行為自体が野暮に思え、しっちゃかめっちゃかに拳だけをぶつけ合った。大龍は馬鹿みたいに強い。なにより腕力が図抜けている。殴られるたびに鈍い頭痛のような感覚に襲われる。それでも倒れてやらない。俺には俺の意地がある。裏を返せば意地しかない。


 取り巻きはいつまで経っても襲ってこない。強くそう命じられているのだろう。だったらおまえたちはどうしてここに来た? ――俺と大龍の喧嘩を観戦したかったからに違いない。つくづく悪趣味な連中だなと思う――否、そうあってこその男の子だ。「殴り合い」という非日常に心を動かされない男などいてはならない。


 力の限り殴り飛ばす。

 後退し、川に足元を浸したところで静止した大龍。


「大龍さん、そろそろいいだろう?」

「ったく、かわいげのねぇ小僧だぜ、馬鹿野郎」

「よく言われる」

「けっ」


 大龍はふらふらとよろめいた末、両膝にそれぞれ手をついた。荒い息をしている。不敵な笑みを向けてくる。


「いいぜ、小僧、俺の負けだ。おまえはつえぇな。最後にやり合った相手がおまえでよかった」

「最後?」


 大龍はふっと笑い、それから部下であろう十人の取り巻きに顎をしゃくってみせた。連中は帰っていった。


「最後とは、どういうことだ?」

「実家の蕎麦屋を継ぐ。もう働いてもいる。決定事項なんだよ」

「……は?」


 実家?

 蕎麦屋?

 継ぐ?

 もう働いている?

 

 まるっきり社会人に片足を突っ込んでいるではないか。


「大龍さん、あんた、大学への進学は?」

「それはおまえが勝手に言い出したことじゃねーか」


 大龍は多少足元がおぼつかないながらも、脛の下ほどの丈の水をばしゃばしゃ跳ね上げ、白い岩まで辿り着いた。その上に座り、俺は俺で彼の隣に腰掛けた。


「うちは老舗でな。百年もやってる。そのわりにはカレー蕎麦なんていうハイカラなもんが名物だったりするんだが。きょうだいもいねーしよ。そういう生き方もありなんじゃねーかって思ってる。なあに。そうでなくたって、大学なんていつでも行けるだろうがよ」


 そういう理由なら納得がいく。深く理解できるくらいだ。立派ではないか、綾野大龍。俺なら家のことなんて顧みずに進学を第一に考えてしまうような気がする。それが悪いことだとも間違いだとも言わないのだが、大龍の決意と比べると、なんだかとてもつまらない選択であるように思えてならない。


「今度、食べに来い。一杯、奢ってやる。ただ、俺は蕎麦の茹で加減一つとってもまだまだだ。うまいもんだとは思わないことだな」

「それはまあかまわないんだが。知り合いを連れて行っても?」

「お嬢さん連中か。そいつはやめてくれないかね」

「やはり女は苦手だと?」

「ああ」


 大龍は腰を上げると、こちらのことを見下ろしてきた。ため息をついた。それから肩を落とし、苦笑のような表情を浮かべた。


「強い弱いに関係なく、ただひたすらに女は出しゃばるなと思う……。俺は嫌な男なのかね」


 少々意外な文言だったからきょとんとなった俺である。


「俺はそうは考えないが……」

「うちの馬鹿どもは吹っかけるぜ。さんざんやられてんだ。油断だけはするなよ」

「肝に銘じておこう」


 大龍は岩から飛び下りると、しっかりとした歩様で去って行った。



*****


 やや日が経ってから、大龍にLINEを入れた。彼の卒業まではまだずいぶんとあるわけだが、できるかぎり「蕎麦屋稼業」に打ち込んでいるらしい。「まだうまく打てないよ」と返してくるあたりにかわいげを感じた。時折、はたして大龍には心を許せる友人はいるのだろうかと考えを巡らすことがある。大龍には親友なんて必要ないのだろうか――そんなことはないだろう。仲良しこよしがいて嬉しくないはずがない。しかし、大龍はたぶん大馬鹿だから自分に素直になるのは難しかったりするだろう。


 父の姿と大龍の姿とがかぶることがある。二人とも俺より大柄であり――父は陽気で大龍は陰気だが、それでも似たところが散見されるように思う。なにより「番長」というキーワードが両者には当てはまる。二人に憧憬の念を抱かなくもない――が、俺は俺が考える格好のいい男でありたいだけだ。研究に時間を費やすとするなら、その対象は「他人」ではなく「自分」だ。


 それにしても、カレー蕎麦か。生まれてこの方、口にしたことがないので、いつの日か食べてみたいものだと思う。

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