第32話 愚か者ども

「待て!」


 突然の横やりに、反射的に緯線を向けた。


 猿面の男。


 さきほど一人立ち上がってわめき続けていた爺だ。


 すっかり存在を忘れていたが、まだ室内にいたらしい。てっきり逃げ出したのかと思っていた。


 爺は芝居じみた所作で手を挙げると、何故か白蛇の方へと寄っていく。


 仮面の集団も後に続いた。


 いや、こいつら何する気だ?


「…何をしているんですか?」


「何をだと? 決まっている、こやつを持ち帰るのだ。ふん、どうせ貴様らにはこれの価値もわからんだろうからな」


 持ち、帰る?


 思わずカンナを見た。おれがよほど変な表情を浮かべていたのか、カンナはあきれた表情で首を横に振った。


「そうだ。貴様らには務めがある。これは我らに一任してもらおう」


「…おお、おお。ここまで完成した孤児は何世紀ぶりか」


「然り、然り。これならばもう百年、いや千年は生きながらえる事が出来る」


 不気味な笑い声。


 何がしたいのかわからないが、それがおぞましいことであることだけはわかった。


 白蛇を囲む連中の雰囲気が異常だったからだ。漏れ出る息遣いやぎらぎらと血走った目。白蛇へ我先にと群れる姿は呆れるほどに醜悪だった。


「馬鹿なことを。あなた方にそれを御せると本当に思っているのですか?」


「うぬぼれるなと言ったはずだぞ、小娘。そもそも我らこそが正当な継承者。連綿と受け継がれた力は貴様らと比べものにならん!」


「何を根拠に」


「貴様らこそ何を根拠に言っている! 所詮は分家。突然変異で初代と似た容姿を得たおかげで鎧に選ばれた分際で調子にのりおって! 本来の宗家たる儂の言うことを聞け!」


「…何を言っても無駄ですか」


 先輩は呆れて言葉もないようだった。当たり前だ、傍で聞いているおれですら言葉がない。差別意識丸出しの上、高圧的な態度。そもそもあの蛇が襲ってきたときになにもできなかった連中がなにを根拠に言っているのかがわからない。


 しかも、いまさらだが、信じられないが、どいうやらこいつらは先輩と亜衣の親戚連中らしい。


 仮面の爺は先輩の態度を見て得意げに鼻を鳴らすと群がる連中を押し退けて白蛇へと向かっていく。


「そうだ! 所詮貴様らは分家! 儂が宗家だ! この孤児を得て、儂が不死を手に入れる! これこそが運命! これこそが宿命なのだ!」


 男が手を伸ばす。


 白蛇は未だに壁に張り付いたまま。飛び散った血潮はてらてらと光を反射し、赤く斑に染まった身

体はぴくりとも動かない。


 だからこそ、仮面の男は躊躇なく手を伸ばしたのだろう。でなければ、ただ欲に目が眩んだか。


 どちらにせよ、結果は変わらない。


 他人の獲物を横取りした者の末路も欲に目が眩んだ者の末路も大体は同じなのだから。


「あ?」


 一瞬だった。


 仮面の男が白蛇にふれる瞬間。


 まるでフィルムの焼き増しかのように、白蛇の顎が巨大化した。人間を一呑み出来そうなほど開かれた口元。さっき見た光景がフラッシュバックする。


 おれの時はカンナが居た。けれど、仮面の男には誰もいない。


 だから、これは必然だった。


 あっさりと男は食われた。


 丸飲みではなく、上半身だけ。

 

「ひっ」


 蛇を囲う連中の誰かが悲鳴を上げる。けれどそれが最後まで響くことはなかった。


 代わりに何かが吹き出す音と赤い液体が室内に飛び散った。


 赤く煙った空間で、ばかでかい蛇の頭部止めがあった。


 ばりばり、ごりごり、ぐちゃぐちゃ。


 生々しい咀嚼音。


 蛇は笑みを浮かべながらじっくりと味わっている。


「…おっかしーな。ゲスは美味いって君らの知識にあったのに。ここまでまずいとは思わなかったよ」


「ゲテモノとは違い、正真正銘腐っていた連中ですからね。どうです? お腹を壊したんじゃないですか?」


「そこまで柔じゃないよ。ふーん。でも食べて良かったかも。おかげで君らのこと、少しわかった。なるほどねー、確かに馬鹿だったなぁ。こういう存在もいるって、ボクがいる時点で気づくべきだったのに。うん、勉強になったよ」


 ありがとう、と蛇は頭を下げた。


 頭がおかしくなりそうだった。


 また人が死んだ。


 それも何人も。


 なのに、化け物は平然とした態度でおれたちと言葉を発している。それだけならまだいい。いや、それだけで異常すぎる事態だが、それ以上に気になることがあった。


 先輩はこの光景を見て、平然としていた。


 まるでテレビでも見ているかのように、平然と。


「それは重畳。で、今更現状を把握したようですが、どうしますか?」


「あー、さっきの話だよね。飼い犬になれだったか、なんだったか。選択肢っていうけど実質強制だよね。人間ってほんとずるいなー。そういうとこ大っきらい」


「だから、逃げる。じゃねー」


 消えた。


 目の前にあった巨体がまるでコマ落ちのように一瞬で居なくなった。


 おれは反射的に先輩を見た。驚愕。先輩の表情が明らかに変化している。


「そんな、どうして」


「彼らも君と同類ってことさ。能力の高低はあっても同じ血縁なんだ。ここの仕掛けを騙すくらいはできる。君らに危害を加えるのは無理みたいだけど」


 響く声。


 周囲に視線を巡らせてもどこにも姿が見えない。


 カンナは抱きしめる力を強めてきた。思わず見ると険しい表情のまま無言でおれを見据えている。


 動くな、ということだろう。


「次は外で会おう。そこでなら存分に殺し合うことも出来るだろうからね」


 それじゃ、と友達のような気軽さで言葉は締められた。


 しばらく動けなかったがようやくカンナが離れた。


 ゆっくりと立ち上がる。


 先輩と亜衣は沈黙している。


 結局、その日はそのまま解散となった。

 

 事態はなにも進んでいない。


 その日から一週間後、ようやく決戦の狼煙が上がるまでは。

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