第23話 星宮凛子 参

 星宮凛子は死んだ。


 今は屍のまま、世界を救うために戦っている。

 


              ※



 雨が降っている。


 三日三晩降り注いだそれは、今以て勢いを増し続けている。川は増水し、近隣の町になだれ込んだ。幸いだったのは、行政の対応が迅速で、避難勧告を受けた住民がいち早く避難所へと逃げ込んでいたことだ。


 人的被害はなし。

 けれど、経済的損害は相当のものだろう。

 民家が流され、泥土が町を埋め尽くす。後数日もして川の水が消えれば、膨大な事後処理が待っているのだ。

 家をなくした人たち、仕事をなくした人たち、財産をなくした人たちもいるだろう。

 この嵐を乗り切ったとしても、それからの人生がこれまで予測していたものと違うことに堪えきれる人間がどれだけいることか。


 その事実を、星宮凛子は当事者としてどう受け止めていいのかわからなかった。

 この嵐は自然発生したものじゃない。


 あの竜。


 凛子達がカズを襲った異世界で生まれたあの竜が引き起こしたものなのだ。

 異世界で生まれた竜がまた別の異世界で暴れ回り、その影響がこの世界にまで及んでいる。

 だから、この天変地異の原因は凛子達にもあるのだ。


「…くそったれが」


 悪態は雨音に消える。

 全身が重かった。ずぶぬれの服も、泥臭い口の中も、びゅんびゅんと荒れた風の音も。

 全てが不快で仕方がなかった。


 寝ころんで雲を見つめ、頬に当たる雨を無視する。いくら睨みつけても雨が止むわけでも、目の前の惨状が消えるわけでもない。


 けれどそうすることしかできなかった。

 それ以外にできることが凛子にはなかったのだ。


「大丈夫か?」


 男の声。

 視線だけを向ける。

 視界の端にびしょぬれの馬鹿がいた。


 どうやってここまで来たのか。


 凛子がはじめに思ったのはそんなどうでも良いことだった。

 凛子は今、民家の屋根にいる。


 眼下では茶色の濁流が押し寄せ、様々なモノが流されていく。叩きつけるような降雨と気を抜けば吹き飛ばされそうな暴風。こんな時に外に出てるやつはよっぽどの大馬鹿かこんな状況でも死なないと確信している馬鹿だけだ。


 カンナの奴め、とここにはいない相棒に悪態をつきたくなった。

 なにが何も関係がない一般人だ。あたしの背後をこうまで見事にとる奴が普通なわけがない。

 ここに現れたのも何かしか用があってのことだろう。目的にも心当たりがあった。凛子は素知らぬ振りをしながら警戒を引き上げた。


「なにがだよ?」


「いや、泣いてるみたいに見えたから」 


 この馬鹿。

 あまりにも真っ直ぐすぎる言葉に、凛子は全身の力が抜けた。


「泣いてちゃわりーのかよ? 言っとくがこれ全部あたしらのせいだぞ? それくらい、あの女からは聞いてんだよな、カズ?」


「…ああ。わかってるさ」


 わかってる。

 カズは噛みしめるように言葉を発した。眉間に皺を寄せ、沈痛な表情を浮かべている。

 軽い。

 凛子は瞬時にそう判断した。


「わかってねーよ」


「……」


「わかってねーから、あんたはあたしの前に顔を出せるんだ」


 凛子の言葉にカズは応えなかった。

 舌打ちを一つ。

 それはカズに対してではない。

 身勝手な言い分をぶつけている自分自身に対してのものだった。


「あー、なんだ。用があるならとっと言えよ。わかってるだろうが、今はあんたとあんまり話したくねーんだ」


「力を貸してほしい」


「は?」


 凛子は反射的に聞き返した。

 カズは繰り返し、力を貸してほしいと言う。

 冗談かなにかかと思ったが、カズの表情は真剣そのもの。


 だから、頭に来た。

 こいつは、本当に何もわかってねえ。


「ざっけんな。いいからとっと失せろ」


「このままでいいのか?」


「どの面下げて言いやがるっ! いいか、何度でも言うぞっ! あの女があの化け物を呼び出したせいでこうなったんだ! あの女は禁忌を破った! そんな奴と一緒にいるお前とは関わりたくねえって言ってんだ!」


「よく言うぜ。先に破ったのは、そっちの方なんだろ?」


「……ああ、そうだ。だから、てめえをたたっ切ってねえんだ」


 痛いところを突かれた。

 いや、当然かと凛子は内心でごちる。

 今回の件で星野は禁忌を破った。

 だが、先に攻められるのは凛子の方だ。


 凛子達は協定を破って、鎧を奪おうとしたのだ。


「あの世界は滅びるだけの世界だった。お前らが来る意味がない。星守の名が泣くぜ?」


「はん、わかった風に言うじゃねえか。そこまで聞いてるなら、なんだ、こんなとこまであたしを責めに来たのか? 意外とねちっこいな、お前」


 凛子は挑発的に笑う。

 だが、そんな凛子の態度にもカズは反発しなかった。


「力を貸してほしいんだ」


 またそれか。

 凛子はいい加減否定し続けるのも面倒になった。


「…だからさ、それどういう意味だよ。なにすんのかもわかんねえんだけど?」


「この嵐を止めたい」


「あの竜を倒す。そのために、お前の力とお前の刀が必要なんだ」  

 

                 ※


「馬鹿じゃないの?」


 開口一番にカンナにそう言われ、さすがの凛子も反論すらできなかった。そもそも、凛子自身が馬鹿らしいと思っているのだから反論する意味もない。

 ただ、スマホ越しに聞こえるカンナの声はいつも以上に冷ややかで、相棒を何だと思ってんだと言いたくなった。

 まぁ、それこそ言っても無駄だろうと凛子はあきらめた。


「しょうがねえだろ。あたしじゃ判断つかなかったんだよ」


「だからって、いますぐ決めろなんて無茶言わないで。いくらなんでも情報が少なすぎるわ」


「けど、嵐はひどくなる一方だ。ここで手を打たなきゃだめだろ」


「だから竜を討伐する? それこそ本末転倒じゃない。あなたの刀はそんな使い方をするものじゃないわ。だいたい、私は反対したはずよ。私達にできることはなにもないって」


「それは」


「責任をとるなら目覚めさせた星野の方でしょ。まぁ、私達が先に協定を破ったのは間違いないけれど、だからといって竜を目覚めさせる理由にはならない。まして、私達が彼女たちに協力するなんて絶対にありえない」


 この堅物め。

 凛子は出掛かった言葉を飲み込んだ。それを言ってもカンナは意見を変えないし、ここで売り言葉に買い言葉になればそれこそ不毛極まりない。

 どうすればカンナが頷くか。それだけを凛子は思考する。


「そうはいうけどよ、星野には竜を討伐する術がない。それで責任とれってのはちょっと違うだろ」


「だから、手打ちにするって方針でしょ。時期を見て話し合いに持ち込むつもりだったのに」


「それこそ、先手を打たれたあたし達が甘いってことだろ。あいつらは本気であたしらと協力するつもりだ。だから、カズのやつを寄越したんだろうぜ」


「そんなこと、わかってるわよ」


 苛立たし気にカンナは吐き捨てた。

 ビンゴ。

 やはり良くも悪くもカズがカンナにとっての弱点だ。


「とにかく、即決できねえのはわかった。詳しい話を後で報告するから、それまでに決めてくれ」


「…後で?」

 めざとい。

 スマホの向こう側で怪訝そうな顔をしているであろう相棒に知らず凛子は笑みを浮かべていた。

 カンナには勿論見えていない。

 見えていないが何かを感じとったようだった。


「あなた、今どこにいるの?」


「ん、ラブホ。勿論カズと一緒だぜ?」

 

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