第19話 交渉
座標? 契約?
またわけがわからない言葉が出た。
けれど、こいつの言いたいことはわかる。
ようは自分達を狙うなと言っているのだ。
自分達以外の、他の惑星の命を売って。
「どういうつもりだ、クソ猫…っ!」
地獄の底から響くような胴間声。それが女子高生のものだとは到底思えなかったが、凛子が発したものだということはすぐにわかった。
圧倒的な重圧。
その重苦しい空気に言葉すら発せなくなる。それがおれ自身に向かっているものではないとわかっていても本能的な部分が全身を委縮させたのだ。
その矛先、レオンは平然としていた。
どころか、視線をおれに向けたまま凛子の存在を全く無視している。
「この条件で足りないと言うのであれば、他の座標の情報も渡すつもりだ。我々は異星の座標を観測する術を持っている。君らにとってもメリットのある提案ではないかな?」
一言一言。
レオンが言葉を続ける間にも重圧は増し続ける。凛子の形相も秒単位で深刻さを増している。
けれど、レオンは一切彼女に意識を裂かない。ただおれだけを見ていた。
はじめは、その図太さに呆れていたが、今更ながらそうではないことに気付いた。
この男は必死なのだ。ただ、ただおれとの交渉に全霊を注いでいる。
異なる価値観、異なる言語。
その壁を越えようとする男は、その苦労を一切にじませることなくおれと対話をしている。いや、違う、そんなことはどうでもいい。
その眼差しに込められているものが一番大事なんだ。
熱意。
ああ、そうか。
この男は、おれにタイマンを挑んでいるのだ。
だが、悲しいかな。
そもそもの前提が間違っている。
おれに決定権なんてない。だから、いくらおれに熱意を向けても意味はないのだ。
『貴方の熱意は伝わりました』
空中に半透明のモニターのようなものが現れた。
そこに、先輩が映っている。
赤い瞳はどこか無機質で、無表情のせいか妙に迫力がある。
彼女はレオンを見つめながら、言った。
『けれど、残念ながら貴方は根本的な勘違いをしていますね』
にこりと笑う。
それが作り物の笑みであると気づくと同時に背筋に寒気が走った。
先輩がキレている。
理由がわからず驚いたが、
『獣如きが、どうして私達と対話ができると考えたんですか?』
その言葉に、おれは絶句した。
✳︎
「おお、貴方が巫女か!」
レオンが大きく目を見開き、黄金の鬣を逆立てている。傍にいる凛子もおれの背後に視線を向けて、驚愕の表情を浮かべていた。
『お初にお目にかかります。貴方が凛子さんですか?』
「…いや、ああ、そうだけどさ。立体映像化なんかか? 随分ド派手な登場だな、おい」
『残念ながら私はそちらには行けませんので。申し訳ありませんが、こういった形での面談でご容赦頂きます』
「はン、何だっていいさ。ようやく本命が出て来てくれたんだからさ」
そう言って凛子は口角を吊り上げた。
ぎらぎらと目を輝かせながら、おれの背後に熱い視線を向けている。レオンも同じだ。先ほどの先輩の言葉に怯んだ様子はまるでない。
「けどよ、このクソ猫が言った条件はなしだ。このクソ猫が先走っただけだからよ、聞き流してくれ」
「待て、凛子。君が交渉の場に立つ資格はない」
「うるせえ! そもそも、その座標だってあたしがお前に教えたもんだろうが!」
「馬鹿な。我々が調査した上で手に入れた情報だ。君が教えたのはあくまで座標軸だけだったじゃないか?」
「探す方法だって教えた!」
「よく言う。君のご先祖様が残した手記にあっただけのはずだ。君自身は読み解けなかったようだがね。ご先祖恥ずかしくないのか?」
「…殺すっ!」
凛子の罵声にレオンは冷静に反論している。
この奇妙なバランスの掛け合いは傍から見ている限りでは意外と面白い。けれど、実際に関わっている立場としてはうんざりする気分だった。
まったく話が進まないのだから、それも当然だった。
『それで、結局貴方達の目的は何ですか?』
先輩の声。
やばい、これは爆発する寸前の声だ。
普段と同じ淡々とした口調。画面に映る彼女の表情には変化はまるでないが、それでもおれにはわかった。
こういう時の先輩は怖い。怖いのだ。
「さきほど言ったとおりだ。我らの世界に手を出さないでほしい」
『無理だと言ったら?』
「それについても答えた筈だ。より良い条件を持ってくると」
『お話になりませんね』
「ふむ? けれどあなたには断る選択肢を選ぶのは難しいのではないか?」
先輩が黙った。
情けない。
思わず歯を食いしばる。手首と足首に絡みついた鎖はびくともしない。こんなところに吊るされた間抜けのせいで、先輩はこんな連中の前に姿を見せなければならなくなったのだ。
『卑劣ですね』
「なんとでも言えよ。カズは大事に扱ってやるからよ」
にやりと凛子が笑みを浮かべる。
直後、おれの両足が沈んだ。
「うおおおおおっ?」
沈んだ、という表現は正しくない。
正確には足首から下が消えたと言った方が正しい。ただ感覚はある。まるで泥の中に取り込まれたかのような気持ち悪さ。それが徐々にせり上がってくるのだからたまらない。
何が起きているのかは相変わらずわからなかったが、どうなるのかだけはわかった。
『逃げるのですか?』
「ああ、逃げる。ここはあたしたちのホームじゃない。今度は最高のおもてなしっての見せてやるから期待しててよ、星野さん」
凛子が右手を掲げ、振り下ろす。
瞬間、空間が裂けた。
そうとしか言いようがない。不自然なほど黒い断面は凛子の背丈を越え、レオンの巨体をも飲み込まんばかりに大きく広がっていく。
既に膝下までが消えた。
懸命に抵抗してもびくともしない。
先輩に助けを求めようにもこの場にいない人間にどうにかできるはずもなかった。このまま連れ去られると覚悟した時、
『残念ですが、貴方の思う通りにはなりませんよ』
全身が総毛立つ、まるで怪獣のような咆哮が轟いた。
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