第8話 星宮凛子 二

 無言。

 当初は笑みを浮かべながら自室へ招いてくれた先輩だったが、上機嫌で手作りクッキーと紅茶を振舞い、要件を聞いてきた。

 それからこうなった。

 にこにこした表情に変化はないが、何故かまったくしゃべららない。

 手に持ったカップに口すらつけないから、おれまで動きを止めるしかなくなった。食べかけのクッキーとわずかに飲んだ紅茶の味がひどくもどかしい。

 亜衣とは違ったプレッシャー。

 何故か沈黙するしかないと本能が訴えてくる。

「私、言いませんでしたか?」

 びくり、と背筋が震えた。 

 突然の声に一瞬なにを言われているのかわからなかった。理解した時には更なる恐怖が待っていた。

 笑ってる。

 今まで見たどの笑顔より綺麗で、輝き過ぎて、おれは死ぬんだと思った。

「あの女に近づくなっていいましたよね?」

「いや、その」

「言いましたよね?」

 やばい、マジ切れしてる。

 この前も同じやり取りをしたが、それとは比較にならないぐらいやばい。平坦な声と表情のギャップ、肌で感じる威圧感。

 よほど凛子のことが気に入らないらしい。

「ちょっと聞きたいことがあって」

「なんですか。そんなにあの女の個人情報が知りたいんですか。私のスリーサイズならいつでも教えますよ?」

「いや、そういうボケじゃなくて真面目な話でして」

「なにがボケですか! 知りたくないんですか!」

 怒鳴られた。

 よほど凛子が気に入らないらしい。

 普段の鉄面皮はどこへやら、顔を真っ赤に怒鳴るもんだからどうにか宥めようとしてもヒートアップするばかり。しばらく罵声を聞き続け、ようやく静かになった。

 息を荒くし、肩をいからせながら未だにおれを睨んでいる。

「えっと、すいません」

「心が籠ってないです。言葉だけの謝罪はいりません。来週はどこかへ連れて行ってください。温泉とかだとポイント高いですから」

「はぁ…」

「なんですか、その気の抜けた返事は! 日帰りじゃなく泊まりですからね!」

 なんでやねん。

 いい加減罵倒に疲れ果てたおれはリアクションすら面倒になり、わかりましたとだけ言った。

 帰ったら予約入れとこう。

 不意に学生でそんなことが出来るのか考えたが、大学生とでも言っとけばいいかと思い直す。バイトのおかげで小金は持ってるから旅費についても問題なし。そもそも先輩と旅行に行くこと自体が問題な気もするが、この人は一度言いだしたことを決して曲げない。

 どうせ行くなら気分良く行った方が良いがいい。今週末まで予定を組んでおきます、と伝えるとようやく先輩は矛を下ろしたようだった。

「まったく、折角の紅茶が覚めちゃったじゃないですか。淹れ直すのでカップをください」

「あ、いや、大丈夫です。おれ、猫舌ですし」

「紅茶は暖かい方がおいしいんです」

 はやくしてください、と先輩が促すので素直に従う。正直紅茶の味なんてよくわかんないのでどうでもよかったが、折角良くなった機嫌がまた悪くなるのだけは避けたかった。

 先輩は鼻歌交じりに紅茶を淹れ直す。

「はい、どうぞ」

 湯気の立ったカップを受け取り、一口啜る。

 思ったっとおり熱かったが、我慢しておいしいと言った。先輩は笑みを浮かべて、クッキーも勧めて来た。

 ほっと一息。

 色々面倒なこともあったが、ようやく本題に入れそうだ。

「それで聞きたいことがあるんですが」

「なんでしょう」

「凛子とカンナのことです。いや、もちろん、あいつら個人のことを知りたいってことじゃないですよ? あいつらがおれ達とは敵対関係にあるって聞いたんで詳しく聞きたいだけなんです本当ですよ?」

 一瞬重圧を感じ、言い訳染みたことを言ってしまった。

 先輩は無言でおれを数秒見つめた後、ため息交じりに首を振った。

「まったく、こうなるから近づいてほしくなかったのに」

「先輩?」

「いいでしょう。いずれ話さなければいけないことですしね」

 ため息を一つ。

 先輩は真剣な目でおれを見た。


「カズ君。貴方は私のために誰かを殺すことが出来ますか?」

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