第4話 出会い 二

 心臓が暴れている。

 呼吸がまるで整わなくて、全身から汗が零れるみたいに噴き出していた。視界が明滅して、足元がふらついているのがわかる。そのくせ思考だけは無駄に冷静だった。


 視線が嫌だった。

 同じ学校へ通う人間の視線におれは堪えられなかったのだ。

 ヒロシ達は自分達の責任だと言ったが、間違いだ。あいつらは何も悪くない。徹頭徹尾、何もかもおれが悪いのだ。


 罰ゲーム。

 部活も休みで暇を持て余したおれ達は適当な勝負で順位を決め、ビリが適当な罰ゲームを受けるなんてくだらないことをやっていた。 

 なんの勝負をしたかなんてろくに覚えちゃいない。

 肝心なのは、最後に罰ゲームをしたのがおれで。

 そのせいで先輩の足が動かなくなったという事実である。


「はぁっ、はぁっ……ッ!」


 同じ学校の連中もそれを知っている。

 おれが顔を知らない奴も、おれと同じクラスの連中も。

 そんなことはわかっていたはずだった。その視線にもこの一月で慣れたと思っていたのだ。


 くだらねえ。

 

 そんなことにも堪えられないおれ自身が本当にくだらねえ。

 どれくらい走ったのかは覚えていない。

 気付くと膝に手をついて、荒い呼吸を整えようともがいていた。心臓の鼓動が未だに聞こえ、視界には罅割れた石畳が見える。何度も深呼吸をして、ようやくまともに呼吸できる状況になったころには自分がどこにいるのかもわかった。


 我武者羅に走っていたつもりだったが、結局は見慣れた場所に向かっていたらしい。

 近所の神社。

 うらぶれたというには小奇麗で、立派というにはどこか気安さを感じさせる外観。境内は思いの外広く、子供の頃は遊び場として使っていたくらいだ。


 今思えば罰当たりなことをしていたと思うが、悪戯なんかしていなかったから神様も目こぼししてくれたのかもしれない。

 いや、積もり積もった罰が今更当たったのだろうか。


「ぁー、しんど…」


 休憩用のベンチに腰掛ける。

 粘つく汗が気持ち悪くて学ランを脱いだ。かすかに感じる風が火照り切った身体に染みる。ようやく気分も落ち着いてきたようで、心臓の鼓動も聞こえなくなった。


 こんな風になるのは三度目だ。


 一度目は先輩の足が動かなくなったと聞いたとき。二度目は先輩のリハビリを見たとき。

 本当に情けなくて死にたくなる。

 おれは、いつだって自分のしでかしたことに対する重圧に押し潰されている。

 先輩の手伝いをするのもそれから逃げるためだ。先輩のためにやるわけじゃない。あの人が出来なくなってしまったことを代わりにすることで、やってしまたことから逃げようとしている。

 逃げられるはずがないのに。


「ほんと、おれってくだらねえな」


 恥ずかしすぎる独り言に、さらに死にたくなった。

 

 不意に、からんころんと鈴の音が聞こえた。

 

「?」

 拝殿を見る。

 いつの間に現れたのか、少女と思しき背中が見える。肩口まで伸びたくせっ毛と華奢な肩幅。なにより身に着けていたのは、おれの母校の制服だった。


 こんな時間に何やってんだ?

 自分のことを二段上の棚に上げた感想だったが、実際こんな時間にこんな場所に来るのはおかしい。そんな風に考えていると、少女が振り返った。


 見慣れない顔だと思った。

 同時に、随分な美人だと感心した。

 太い眉毛と一文字に結ばれた朱色の唇。まっすぐと正面を見つめる目は鋭く、眉間の皺が妙に似合っている。すっと通った鼻筋も相まって男前という言葉が似合う少女だった。

 背丈は思いの外低いが、妙にスタイルがいい。歩き方も堂々としたもので、おれはつい見惚れてしまった。

 だから、少女の眼差しがおれを捉えていたことに気付かなかった。

 目の前で立ち止まるその時まで。


「よう」


「…あ、ども」


 拝殿から一直線におれの所へ来た少女は、笑顔を浮かべるでもなくそんな挨拶をした。

 いや、挨拶なのかも正直わからない。


 ようってお前。

 愛想の欠片すら感じられない態度だったが、不思議と不快に思わなかった。むしろ自然すぎて返事をしてしまったくらいだ。

 彼女はおれを上から下まで眺めた後、言葉を続けた。


「こんな時間になにやってんだよ? サボり?」


「あ、っと。まぁ、そんなとこ…かな?」


「なんだ、はっきりしねえな」


 あまりにも男前すぎて呆気にとられたとはさすがに言えなかった。 

 不思議そうに首を傾げる仕草は女子そのもので、言葉遣いとのギャップに戸惑うしかない。

 彼女はそんなおれに構うことなく隣に座った。

 大きな瞳がおれを見ている。


「あたしは凛子ってんだ。星宮凛子。よろしくな」


「…よろしく」


 凛子と名乗った彼女は無造作に手を差し伸べてきた。握手だろうか。このやりとりすらおよそ女子との間でするものとは違いすぎて距離感がよくわからない。


 とりあえず握る。

 ぎょっとした。

 掌がでかい。よくよくみれば無駄に皮が厚く、ごつごつした印象を受ける。なにより傷だらけ過ぎてこれが女性のものとはとても思えなかった。


「名前」


「は?」


「あたしは名乗っただろうが。あんたの名前を教えてくれよ」

 な、と凛子は笑みを浮かべた。

 まるでガキ大将そのものである。

 ここまで徹底されると違和感もなくなってきた。戸惑っていた自分が馬鹿らしくなって、おれは彼女の掌をしっかりと握り返した。


「おれは西和真。皆はカズって呼んでる」


「おう。よろしくな、カズ!」


 ぐしゃり。

 明るい発声と共に万力のような力で掌を握り潰された。

 悲鳴を上げる間もなく膝から崩れ落ちる。抗うことのできない激痛に襲われる直前、おれは確かに見た。

 やっちまった。

 そんな言葉が続きそうな表情を見て、おれはこの女を女扱いすることだけは絶対しないと心に誓った。

 心の底から、硬く誓った。

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