第2話 渡る世間は金次第
「チッ。出涸らしですね、これは」
かたかたとキーボードを叩く音に混じって聞こえた声は、辛辣な言葉とは違って、実に淡々としていた。
暗い室内にはおれと先輩しかいない。
先輩は仄かに灯った画面に向き合って、おれはその背中を見つめている。
「出涸らしですか?」
「ええ、既に使い切ってます。生誕から数億年は経っていましたが、これほど摩耗しているとは。よほど要領が悪かったんでしょうね」
こんな星で生まれなくてよかったですね、と先輩は言う。
言葉があまりに曖昧過ぎて、どう返事を返していいのかわからなかった。ただ量が少なかったという言葉は無視できなかった。
「報酬が減るってことですか?」
「いえ。大丈夫です。仕事の出来不出来で報酬が減るような契約は結んでいません。まぁ、元請けからの心証は悪くなるでしょうが」
「…それ、一番まずいんじゃ」
「ざまあみろとでも言ってやります」
冗談とも本気とも言えない言葉にまた何も返事が出来なかった。
しばらくかたかたとキーボードを叩く音が続く。
不意に、また先輩から声をかけて来た。
「珍しいですね」
「なにがですか?」
「貴方がそういうことを聞くことがですよ。今まで何も聞いてこなかったじゃないですか」
「そうでしたっけ?」
「ええ。特に報酬のことなんて何も聞かなかったじゃないですか。…バイト代にご不満でも?」
不意打ち気味の言葉に驚いたが、この人はいつも唐突だったことを思い出す。
「いや、その、バイト代に不満なんてないですよ。ただ、まぁ」
「ただ?」
「稼ぎが減るのが嫌だっただけです。少しでも多く稼がないと、借金、減りませんから」
かたかたと続いていた音が途切れた。くるりと椅子が回転し、先輩が正面からおれを見据える。
思わず、見惚れてしまった。
銀髪と赤い瞳。
はっとするほど白い肌はおよそ日本人とは思えないほどきめ細やかで、整った目鼻立ちは人間離れした美しさだった。
子供のころから見慣れたおれが言うんだから間違いない。
この人は、本当に美しい。
名前は星野真衣。
おれの幼馴染で、姉貴分である。
「カズ君」
「はい」
「何度目かわかりませんが、改めて言います。借金のことは貴方に関係ありません。自分のバイト代だけを気にしていればいいんです」
めっと叱られる。
初めての質問だったが、結局いつもと同じ流れで苦笑してしまう。
いつだって、この人はおれを叱って許してくれた。
けれど、
「そんなわけにはいかないですよ」
「全部おれのせいなんですから。貴方の足が動かなくなったことも、そのせいで借金で首が回らないなんて洒落にならないことになったのも」
その優しさに甘えてすむ状況じゃない。
先輩の強い眼差しに負けて視線を下げる。黒いタイツに包まれた両足がきれいに揃っているのが見えた。
しなやかな脚線は未だに健在で、それがまるで動かないなんて未だに信じられなかった。
…他人事みたいな感想に、我ながら自分を殺したくなる。
自分のせいだと言いながら、まだその現実に向き合いきれていないのだ。度し難い大馬鹿野郎だ。
「えっち」
「え? あ、いや、すいませんっ! そういうつもりじゃ」
「見るなとは言いませんが、そういうのはダメです。もっとムードを出してください」
めっ、となぜか叱られた。
視線を戻すと何故か先輩は優し気な顔をしていた。
「私の足が動かないのは貴方のせいじゃありません」
「いや、それは」
「何度もいいますが、偶々あなたがきっかけになっただけです。あの時こうならなくても遠からず私はこうなっていたでしょう。だから、貴方が気に病むことは何もないんんです。むしろ私がお礼を言わなければいけないくらいなんですから」
本当にありがとうございます。
そういって頭を下げられ、おれは今度こそ何も言えなくなった。
この人は優しすぎる。
優しすぎておれは何もできなくなるのだ。
「さて、あとは私がやりますからカズ君はご飯でも食べててください。あの娘のことですから、しっかり準備は出来ているでしょう」
先輩に促されて部屋を出る。ごまかされていることに気付いていたが、文句を言う暇もなかった。
薄暗い室内を出れば、窓から夕陽が差し込んできた。
今日も一日が終わる。
それが早すぎると思うようになったのは、間違いなくこのバイトを始めてからだ。正確には、彼女達が背負うものを知った時からだけれども。
三十億円。
冗談みたいなその金額が、これから稼がなくてはいけない借金の総額である。
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