第4話 神楽坂の生い立ち

 長い階段を抜けると、神楽坂の自室があった。


 広い部屋だった。明るいピンク色の目立つ部屋だ。学習机にピアノ、大きなベッドを置いてもスペースが有り余っている。


「それで、泊まるの? 泊まらないの?」

「やめとくかな。申し訳ないし、なにより早すぎる」

「交際一日目にしては順序がおかしすぎたわ」


 恋愛にスピード感を重視する方針はない。段取りをすっ飛ばしていくだけの勇気もない。


「そういえば、客人用のベッドすらないじゃない。最初から泊まるなんて選択肢にはなかったのよ」


 他にベッドがあるなら、泊まることも可能性としてはあった。それがないなら、泊まるのは完全にナシだ。


「泊まらないにせよ、せっかく来たわけだ。お互いの話でもしよう」

「賛成。相手のことをよく知らないと、嘘も軽薄になるものね」


 周りに違和感を与えずに偽装カップルを演じ切るには、それっぽさを追求していかねばならない。


 嘘は、真実と織り交ぜることで信憑性しんぴょうせいが増すというじゃないか。真実を知っていくことから始めよう。


「じゃあ初めに、神楽坂さんの生い立ちから」

「200X年4月2日に誕生。名前には相当悩んだみたいね。役所に戸籍関連の書類を出さなきゃいけないギリギリの夜、見えた満月にインスピレーションを受けて『彩月』って名前にしたみたいで……」


 思っていたよりも長い返答が来て、俺はいささか戸惑った。


「ここまで詳しいと、結婚式の生い立ち紹介みたいだなぁ」

「あんたとは結婚なんていまのところお断りだけど? いや半年後に消えたら結婚なんて不可能けど?」

「前半は冷たいし、後半は気まずいよ」

「冗談に決まっているわよ。ともかく、時間はたっぷりあるし、これからもっと細かに語っても問題ないでしょ?」

「そうだね」



 というわけで、神楽坂の口から生い立ちが語られた。


 ツンデレらしさは昔からのようで、幼い頃から人との衝突は少なくなかったという。


「親しくしてくれる子と敵対してくる子が、ハッキリしていたわ。グループからハブられた経験もしょっちゅうよ。その度に、新たな居場所を手にしたからいいけどね」


 物心つく頃には、両親ともども海外出張という理由で立ち去ってしまった。


「私にとって、宇佐美お姉ちゃんは親みたいなものよ。でも、保護者ヅラされるのは気に食わないっていうか……そこらへん難しいの」


 ある程度年齢としが離れているとはいえ、宇佐美さんだけで面倒を見るわけにもいかない。


「誰かにお世話になったりしたのかな?」

「……お兄さんみたいな人がいたわ。家の手伝いに、ときおり来てくれる人。両親の知り合い。親戚とかではないわ」


 白山、と名乗る人だったそうだ。若い男の人で、昼夜構わず家に来てくれたとか。


 働いている様子もなく、まるで実態の掴めない人だったと、神楽坂は語る。


「ある日を境に、白山さんがぱったり来なくなってね。連絡も取れていないの。小学校時代にお世話になった、って感じ。ありがたく思っているわ」

「不思議な人だったな、白山さん」

「本当よね」


 中学校に上がってからは、部活動が思い出の大半を占めているという。


「バトミントン部に入ってね、中学校の頃は忙しかった。毎日練習、毎月大会。顧問にはみっちりしごかれて大変だったけど、みんなと仲良くやれたから幸せ者よ」

「中学校女子なんて一番トラブりそうなのに」

「すべてがすべて、ではないの。その代わり、クラスメイトとは火花を散らしまくりよ」

「こえぇ」

「おかげで、付いたあだ名は『女王』よ」


 高飛車な態度から連想されたものだろう。怯えている男子の姿が目に浮かぶ。


「部活が命だったから、勉強はまずまずよ」


 俺たちの通う陽明高校はいたってふつうの進学校。俺も勉強は人並みだったので、ここに進んだというわけだ。


「高校に入ってからもバトミントン部。まぁ、中学ほど忙しくない。週の半分も練習ないしね。周りの熱量もあんまりだし、私の中でバトミントンは中学で終わったの」

「なら、割と自由みたいだな」

「友達と遊びまくりよ。中学の反動もすくなからずあるけど」


 高校生活は満喫している、とのことだ。


 相性が悪いタイプは、自分から距離を置いてくれる。陰口は叩かれるが、まだ直接物申されるよりかは居心地がいい、と。


「私の友達、みんな噂好きだからね。羽山くんが挙動不審だとノータイムで疑われるから注意ね」

「不安になってきたな」

「『助けになりたい』って啖呵たんか切ったのは羽山くんの方でしょう? 覚悟はできていると踏んでいたのになぁ」


 覚悟はしたはずだ。偽彼氏になると宣言した時点で、付きまとう問題を受け入れると決めたようなものだ。


 いまさらビビらなくていい。


「覚悟してこその不安だよ。楽観視する方が危ういじゃないか」

「待っていたわよ、その言葉。強く出るからには、私の救世主、ヒーローになってみなさいよ?」

「望むところだ」


 救世主ヒーローか。


 そんな大層なものになれるかはわからない。うまくいく自信は、まだない。


 自信がないのは、神楽坂だって同じのはずだ。


 生きるか死ぬか、すべてはこの半年にかかっている。先の見えない戦いに、救世主ヒーローを求めるのは必然じゃないか。


 できるだけのことは支えていこう。なんとしても、神楽坂を引き止める。そのためにも、月の使者に関する情報も、集めていかなければならない。

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