第232話 稲牙のバイト探し

story teller ~内海純奈~


 朝起きると、あたしよりも先におばあちゃんが起きているので、大体はあたしの部屋以外の電気が付いている。

 なので、部屋を隔てる襖から漏れる明かりになんの疑問も持たずに、寝起きの顔で、寝癖のついたままの頭、更には寝間着という普段なら誰にも見られたくない格好のまま襖を開けたことを後悔した。


「おはよう純奈」


 この家では聞きなれない声に一瞬思考が停止する。


 普段は度入りのカラコンを入れているし、更にまだ部屋の明るさに慣れていないので、ほとんど何も見えていない。そんな寝起きの目を細めながらその声の主を探す。

 そして、稲牙を視界に捉えると同時に自分が人様に見られたくない姿をしていると思い出し、反射で襖を閉じる。


「おーい。なんで逃げるんだよ」


 襖の向こう側からそんな声が聞こえてくるが、逃げるのは当たり前。あたしだって女の子だ。友だちとはいえ、異性にこんな姿は見られたくない。


「だって寝起きだから!」


 そう返答するが、顔を洗おうにも洗面所に行くためには、稲牙のいる部屋を通らなければならない。彼がそこにいる限りは部屋から出ることすら叶わない。なので。


「稲牙、ちょっと外に出ててくれない?」


「なんでだよ!?おれ様は昨日の今日でもう追い出されるのか!?」


「違うわよ!寝起きはあんまり見られたくないの!」


 察しの悪い男だ。そこまで言ってようやく部屋から出ていく音が聞こえる。

 恐る恐る襖を開けて向こう側を確認すると、稲牙の姿はなく、ちゃんと出ていってくれたようだ。


 さっきで既に寝起きを見られているかもしれないが、だからと言って割り切って見せびらかす事も出来ない。


 稲牙がいない事を確認し、再度襖を閉じてから、寝間着から制服に着替える。

 そして、洗面所に向かう途中、稲牙が座っていた位置に、なにか置いてあるのが見えた。


 近づいて確認してみるとそれは求人誌であり、バイトの求人ページが開かれていた。


 ******


story teller ~稲牙獅子王~


 玄関の前で待っていると、中から純奈の呼ぶ声が聞こえてくる。

 その声で中に戻っていいのだと判断し、玄関を開けて先程まで居た部屋に戻る。


「あんたバイト探してるの?」


 部屋に入るやいなや、純奈にそんな事を聞かれる。


「ああ。純奈の家でお世話になるんだし、今までみたいに遊び回るわけにはいかねぇだろ?」


「別に気にしなくていいのに。家に呼んだのはあたしな訳だし、稲牙が気を使う必要ないって」


 昨日、純奈のばあちゃんにも気にしなくていいと言われた。だけど、学校に通ってもいないおれ様が、何もせずにただこの家でダラダラと過ごし、厄介になる事だけは避けたかった。


「そう言ってくれるのは助かるけどよ、せめて自分の分くらいは自分で出せるようになりたいんだよ」


 今までは実家だったから、なんだかんだで家に帰れば食べ物がある、寝る場所もある、風呂も入れる。そうやってどこか甘えていた。でも今は違う。甘えているだけじゃダメだと思った。


「まぁあんたがそうしたいならいいんだけどさ。おばあちゃんも別に止めはしないだろうし。・・・ってかなんでそんな楽しそうなの?」


 純奈にそう言われて自分の口角が若干上がっている事に気がつく。


 バイトなんてした事ないし、しようとも思ってこなかった。だからどんな内容の仕事がしてみたいとか、どんなのが自分に合うかなんて考えもしなかった。だから不安もある。

 でも、いざ求人誌を見てみると、おれ様が想像していたよりも内容は色々あって、時給もピンキリ。まだどこに応募するかすら決まってもいないのに、不安よりも楽しそうという前向きな感情の方が大きかった。


 ______


 純奈が登校してから、ばあちゃんがテレビを見ている横で求人誌に目を通す。


 まずは接客業。太陽と穂乃果がカフェで働いているのを間近で見ていたこともあって、バイトを始めようと思い立った時に真っ先に思い浮かんだのはそれだった。

 おれ様に丁寧な言葉遣いが出来るかは怪しいところだが、チャレンジはしてみたい。


 次に土工や土木系だ。

 基本的にバイトと言うよりも、契約社員雇用がメインではあるようだし、あまりやりたい内容ではない。けど、先輩や同級生など、これまで絡んできた人たちが中学を卒業してからそっち系に就職した知り合いもいるので、もしかしたら一緒に働けるかもしれないという楽しみはある。


 そして最後に事務系。

 データ入力であったり、コールセンターなど、なんだかんだで1番やってみたい内容である。

 もちろんパソコンは使えないが、使いたい、使えるようになりたいという気持ちはあるし、そういった仕事であれば、将来的にも長く働けるのではないだろうか?と思っているからだ。


 それらを求人誌で見つけては、とりあえずページに印を入れていく。


「一生懸命探してるねぇ」


 テレビを見ていたはずのばあちゃんは湯呑みに入ったお茶をフーフーと冷ましながら、おれ様が求人誌に印を入れていくのを眺めていた。


「こうやって色々見てるだけでも楽しいぜ。ばあちゃんも一緒に見るか?」


「うふふ。ありがとうね、でも私にはちょっと字が小さすぎるねぇ」


 今まで両親と上手くいかなかったからなのか、純奈のばあちゃんとのやり取りはほんわかした空気でなんだか暖かくなる。

 昨日この家に来たばかりだが、既にこの家に来て良かったと思っている。居心地が良すぎるのだ。


 それなら尚の事、少しでも稼いでこの人たちに迷惑をかけないようにしなければならない。


「どんな仕事がしたいんだい?」


 おれ様が何度もページを行ったり来たりしているからか、ばあちゃんがそんなことを聞いてくる。


「時給はなるべく高い方がいいなとは思ってる。あとは、ここから近い場所で、朝から夕方で働けるところがいいかな」


 深夜手当が発生するので、22時以降の方がいいかもと思ったが、それだと純奈や太陽たちと生活リズムが合わなくなる。せっかく友だちになったのに、遊べなくなったりするのは嫌だ。それに夜中から出たり入ったりするのは寝ている純奈やばあちゃんの迷惑になるかもしれないし、女性2人で暮らしているなら、夜は男である俺がいた方が安全面的にもいいだろう。それに一応おれ様も未成年だ。まともな場所は深夜は雇ってくれないだろう。


 あとは太陽との約束もある。


 穴原と共に、太陽の噂を流さなければならないので、夜中に働いてしまうとそれがやりにくくなるかもしれない。


 だから、深夜手当が発生しない分、昼間に長く働けばいいだろうと言う考えだ。


「あんまり深く考えすぎても仕方ないから、自分がやりたい事をするのが1番だよ」


「うん、そうするよ。ありがとう!」


 ニコニコした可愛い笑顔で優しい言葉を投げかけてくるばあちゃんにお礼を伝えて、とりあえずこの家から1番近いスーパーに応募してみることにする。


 このバイト探しが思ったよりも難航する事になるのだが、この時のおれ様はウキウキ気分だった為、自分が面接に不向きだと言う事は考えもしなかった。

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