第228話 3組担任、前田
story teller ~桜木先生~
とぼとぼと覇気のない足取りで隣を歩く前田先生を連れて、職員室ではなく英語教諭室に入る。
「コーヒーで良いですか?」
部屋の奥、パーテーションで区切られた空間にあるソファに座る前田先生に声を掛けるも返事はない。職員室でもコーヒーを飲んでいるのをよく見かけるので問題ないと判断し、市販のコーヒーをコップに注ぎ、前田先生の前に置く。
「前田先生。なにを怖がっているんですか?」
俺の問いかけにピクリと反応するが、俺より年上のはずのその女性教師はそれでも目を合わせようとはしない。
空き教室からの移動中、前田先生はなにかに怯えているように思えたが、俺の指示の元、生徒が集まった事になっているので、それは恐らく今後の
それについて話でも聞ければと思ったが、彼女はなにも話さない、もしくは話したくないのかもしれない。
それならそれで構わないが、この状態の前田先生を職員室に連れて行って、はいさよならと放置するのは気が引けるので、少し時間を潰してから戻ろうと思い、ズズッとコーヒーを1口含む。
「・・・・・・なんで桜木先生はそんなにも生徒から人気なんですか?」
前田先生の寂しそうとも、悲しそうとも取れる声が響いて、1拍置いてから静かな空間に溶けていく。
「なんで・・・ですか?」
自分では生徒から人気だと思ったことはないし、なんでと聞かれても、俺は俺の出来ることをやってきただけで、特別な事をしているつもりはない。
「生徒との距離が近い訳でもなく、教師と生徒との関係性をしっかり保ったままで生徒から人気・・・。それってどうやったらそうなれるんですか?」
「別に普通だと思います。生徒が悩んでたら寄り添ったり、時には何も言わずに見守ったり、助けを必要としていたら助けたり、アドバイスしたり、他の先生方がしている事を俺もやってるだけですよ?」
「それが!!・・・出来なかったから聞いているんです」
出来なかった?
その物言いから、今の話ではなく、以前の話をしているのだと気づく。
前田先生は今年度から赴任してきた先生だ。赴任してきたばかりなのに、以前の学校でも担任の経験があるという理由で担任を任され、そのせいで生徒との仲が上手くいってないのだとばかり思っていた。
「出来なかったって言うのは、前の学校での話ですか?」
それは聞かなくても良かったかもしれない。それでも目の前の女性教師が聞いてほしそうな顔をしていたので、無意識的にそう聞いていた。
「・・・はい。自分で言うのもなんですが、以前の学校ではもっと生徒に親身だったんです。生徒一人一人と向き合って、厳しくも優しく、そんな教師だったと思っています」
俺の知っている前田先生は、生徒に無関心で厳しくも優しくもない、言ってしまえばただ教師として授業をするだけの人形のような印象だ。
だが、彼女の口から出てくる話は、まるで他人の事を話しているのかと思うほどに、俺の知っている前田先生とは真逆だった。
「深く聞いていいのかわかりませんが、どうして今みたいになったのですか?」
今みたいにという抽象的で、人によっては失礼とも取れる物言いだったが、前田先生には伝わったようで、他の先生には内緒にしてくださいねとワンクッション置いてから話し始める。
「前の学校で、自分の受け持った生徒が自殺未遂を起こしました」
「自殺未遂!?」
「先生!声を抑えてください!」
保護者とのいざこざや、他の教職員からの陰口などだろうと予想していた為、自殺未遂という斜め上を行く言葉に驚きを隠せず大声になってしまう。
「すみません。あまりにも予想外だったので・・・。それって詳しく聞いてもいいんですか?」
「どうすれば桜木先生のようになれるのか最初に聞いたのは私なので・・・」
そう言って、前田先生は前の学校での出来事を話し始めた。
「前の学校で受け持ったクラスでも、生徒一人一人と向き合う事を心がけていました。そのうち、1人の生徒が私に告白してきたんです・・・。好きだから付き合って欲しいと・・・。自分と向き合ってくれたのは前田先生だけだからと・・・」
そこまで話して、俺の視線が気になったのか、もちろんそれはお断りしましたよ!と追加で告げてくる。
「その後も、特別私たちの関係が変わることはなく、教師と生徒の関係性でいました。でも、私に告白したところを目撃していた生徒が居たみたいで、その噂が生徒間の間で広まりました」
前田先生は話しながら唇を噛んで、思い出したくないものを無理やり思い出しているように見える。
なんとなくこの後の展開が読めてしまうので、これ以上は話さなくていいと伝えるが、前田先生はそれを無視して話を続ける。
「その後は、桜木先生も察していると思いますが、告白してきた生徒がバカにされ始めました。年増のババアが好きなのかとか、熟女好きなんだなとか・・・。私は、それを注意していいのか迷いました。注意してしまうと、告白を受け入れたと見られても困ると思ったんです。でもそれが間違いでした」
涙が溢れそうになる目で必死にまばたきを繰り返し、鼻を啜りながらも続けてくる。
「それに耐えられなくなったその生徒は自宅マンションから飛び降りようとしました。幸いにも同じ階に住む住人が居合わせたので、すぐに止められて未遂で終わったのが不幸中の幸いでした」
「・・・・・・」
なにか言った方がいいのか、それともなにも言わない方がいいのか、俺には判断できず、結果的に黙ってしまう。
しかし、まだ話の続きがあったようで、前田先生は俺から相槌が返ってこないことも気にせずに話を進めていく。
「その生徒に、なんで飛び降りなんかしようとしたのかと聞いたんです。そしたら、あなたを好きにならなければ良かった。あなたを好きになってしまったから、僕はみんなにバカにされたんだと言われました。自殺未遂の理由も私以外には話していないみたいで、そのまま高校を辞めてしまいました」
そんなのはただの責任転嫁であるが、その男の子も高校生という多感な時期だ。本心では前田先生は悪くないと分かっていても、誰かのせい、何かのせいにしないと自分の心を守れなかったのだろう。
「私は生徒と向き合って上手く行きませんでした。なのに桜木先生は生徒との距離感を保ったまま上手くいってますよね」
もうそんな事はないとは言えなかった。いや、そんな事ないと思っていても、今の話を聞いて、あなたと同じように上手くいってるとは言えないとは思えないのだ。
そんな事があったから、前田先生は生徒と関わらず、今のようになってしまったのだろう。
英語教諭室の空気は、重く苦しい物になっていた。
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