第225話 稲牙の退院

story teller ~内海純奈~


 雲ひとつない晴天。今日は稲牙が退院する日なので、朝から学校にはいかずに病院を訪れていた。


 太陽の直射日光が疎ましいと感じるが、あたしと違いずっと病室にいた稲牙にとってはそんな日光すら嬉しいようで、全てを受け入れるとばかりに両手を広げて空を仰いでいる。


「あー!風が気持ちよくて最高だぜ!わざわざ来てくれてありがとうな!」


「どういたしまして。ほら行くよ」


 隣同士で並んでしまうと変に意識してしまいそうなので、稲牙の少し前を歩くようにする。

 稲牙はそんなあたしの気持ちを知ってか知らずか、道に生えている花にまで気を取られるようにあっちこっちジグザグに歩を進めるので全然前に進まない。


「子どもか。みっともないから真っ直ぐ歩きなよ」


「あははっ!久々の外だからついつい。ところで今どこに向かってるんだ?」


 稲牙には目的地を伝えていなかったが、退院した後の事は伝えていたのでてっきり分かっているとばかり思っていた。


「えっ?あたしの家だけど・・・。あんたが退院したらうちに来ていいよって言ったでしょ」


「そうだった!ってことはなんか手土産必要だよな?」


「別にいらないわよ。どうせお金ないんでしょ?」


 あたしは稲牙の入院費を誰が出しているのかを穴原に聞いて知っていたし、あの母親の事だから、きっと稲牙にはお金を渡していないだろうと予想もしていた。そして、それは当たっていたようで、言われてみればそうだと稲牙が答える。

 この人、今まではどうやって生活してたんだろうか。


 ______


 あたしの家はなんの変哲もない小さな平屋であり、両親がおじいちゃんとおばあちゃんの為に建てた家だが、おじいちゃんは既に他界していて、今はあたしとおばあちゃんの二人暮しである。


 亡くなった両親の貯蓄もあるので、金銭面では苦労していないし、おばあちゃんも孫だからという理由であたしを甘やかしてくれる。

 だから、あたしが稲牙をこの家に住まわせたいとお願いした時も、理由も聞かずに二つ返事で承諾してくれた。と言うかむしろ、おばあちゃんは稲牙が来るのを楽しみにしている。


 そして、そんなおばあちゃんは稲牙を前にして。


「あらあら。とっても男前だこと。入院中美味しいもの食べてないでしょ?このお菓子をお食べ」


 挨拶をする間もなく、あれもこれもと棚からお菓子が取り出されテーブルの上に並べられていく。

 稲牙も完全におばあちゃんのペースに呑まれてしまい、勧められたお菓子を手に持ちながら、間を取りもてというようにこちらを見てくる。別に悪い事ではないのでそのまま放置してカバンを手に取ると、ワイワイと騒がしい2人に声をかける。


「じゃああたしは学校いくから。おばあちゃん、稲牙の事よろしくね。稲牙も遠慮せずに寛いでいいから」


「はっ!?おれ様を置いて行くのかよ!今日くらい休めば良いじゃねぇか!」


 まるで親鳥に見捨てられた雛鳥の様な目で、稲牙はあたしを見てくるが、今日の放課後は四宮たちの手伝いをしなければならないので休むことは出来ない。

 行ってきますと2人に声をかけると、行ってらっしゃいという優しいおばあちゃんの声と待ってくれ〜!という稲牙の情けない声が背中で跳ね返る。

 この様子なら、稲牙が同じ家にいても意識しないで済みそうだ。


 ******


story teller ~米田光明~


 来海ちゃんの控え室にて、メールアプリの受信ボックスを上から下に強めにスワイプして更新するが、新着メールはなかった。

 元々望み薄だったとはいえ、加藤への唯一の手がかりとも言えるこのアドレスには期待していたので、無意識にため息を吐いてしまう。


「やっぱり捨てメアドだったんでしょうか?」


「いや〜。捨てメアドだったらもっと適当な文字の羅列とかになると思うからちゃんとしたアドレスだと思うけど」


 笹塚さんに聞いた加藤のメアドを形成する文字は、捨てメアドの様な如何にもランダム形成しましたというものではなく、アルファベットや数字が意味を持って並んだものになっている。

 その中にこのメアドが加藤のもとだと確信できる並びこそないものの、それでも加藤と繋がりのある人にでも届けばいいなとは思っていた。


「また振り出しですかね・・・」


 これから歌番組の収録があるというのに、来海ちゃんは明らかに元気の無い顔になってしまう。

 加藤の件も大切だが、仕事も大切である為蔑ろには出来ない。


「大丈夫だよ。もしかしたら向こうがメールに気づいてないだけかもしれないじゃん」


 目の前のアイドルが、少しでも元気になればと前向きな言葉を投げかけると、そうですよねと言った声に、ほんの少しだけ覇気が戻る。


「それに、共演者の中に沖縄出身の人がいるんでしょ?もしメールがダメだったとしても、その人がなにか知ってるかもしれないし」


 これから収録する歌番組の共演者の中に、最近売れだした沖縄出身のアーティストがいるのだ。

 元々は動画投稿サイトにて、カバー曲を投稿していた動画配信者だったが、半年ほど前にメジャーデビューを果たした人らしい。名前は確か、GYKだったか。何かの略称とかなのかな。


 薄い希望ではあるが、もしかしたらその人が加藤やその会社の事を知っているかもしれないし、そうじゃなくても仲良くなる事が出来れば、沖縄に行く機会が作れるかもしれない。


 収録中の事は完全に来海ちゃん任せになってしまうが、その間俺には俺の出来ることをやっておこうと思う。と言っても前と同じく、局のスタッフに聞いて回るくらいしか出来ないが、笹塚さんのおかげで、沖縄出身のスタッフを何名か知ることが出来たのは大きいだろう。

 それに、笹塚さんも同僚や先輩に聞いてみてくれると言っていたので、前みたいに1人で適当に歩き回るよりはマシだろう。


 番組スタッフが来海ちゃんを呼びに来たので、彼女と一緒に控え室を出て扉の前で分かれる。


「撮影頑張って。GYKさん?との事よろしくね」


「はい!任せてください!米田さんもファイトです!」


 彼女のファンとして、はにかみながら小さくガッツポーズで応援してくれるのはとても嬉しいものであり、しかもそれが不特定多数のファンに向けてではなく、俺にだけ向けられているというのが堪らない。


 嬉しさで悶えそうになるのを必死に抑え、冷静を装いながら、また後でと言ってからその場を後にする。

 来海ちゃんのおかげで、よりやる気に満ち溢れてきた。今なら局のスタッフ全員に聞いて回れそうな気がする。物理的に無理だけど。

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