第207話 獅子王の母と純奈
story teller ~内海純奈~
稲牙が入院してからは、放課後に病室へ顔を出すのがあたしのルーティンになっていた。
とは言っても、あたし一人ではなく、穂乃果と一緒だったり、春風たちも一緒だったり、日によって異なるがみんなもあたしと同じように稲牙を心配して顔を出す。しかし今日はみんな都合が悪く、あたし1人で病室の扉を開ける。
珍しく2人きりだと思っていたのだが、病室には先客がおり、その相手と目が合い、お互いに動きが止まる。
「もしかして獅子王の友だち?」
先に口を開いたのは椅子に座っている中年の女性だった。
あたしに向けられたその問いかけに、あっはいと間の抜けた返事をしてしまう。
「あんたにもこんな可愛い女の子の友だちがいたのね」
その女性はベッドで眠る稲牙にそう言うと、椅子から立ち上がりあたしの前まで来る。
「初めまして。獅子王の母です」
「初めまして。内海といいます」
普段なら誰彼構わずタメ口で話すあたしだが、さすがに友人の母親に対してそれは出来ない。
なんとなく気まずさを感じ、病室を出た方がいいのかと考えていると、稲牙の母親はどうぞと部屋の中にあたしを招く。
「失礼します」
頭を少し下げてから、ベッドの横の椅子に腰掛ける。
いつもなら元気よく話しかけてくる稲牙も母親の前だからか、窓の方を向いたまま黙っている。
「そろそろ退院だよね?」
母親の前で八代明文の話をする訳にもいかず、だからと言ってそれ以外に要件もないあたしは何気なくそう口にする。
すると、あたしの言葉に反応したのは稲牙ではなく彼の母親の方だった。
「そのまま入院していた方がありがたいわ、こんな野蛮な息子。あなたもそう思わない?」
良い母親だと思っていたが、そんな事はなく、あたしに同意を求めて視線を向けてくる。
あたしはこの女性の発した言葉に驚き、すぐに反応することが出来ずに目だけを彼女に向けながら、固まってしまう。
「内海さんもこんな男と付き合わずにもっといい人見つけなさい?」
「あっ。いえ。あたしと彼はそんな関係じゃ・・・」
次の問いかけにはなんとかそう反応し、稲牙に視線を移動させる。
窓の方を向いたままの彼の表情は見えない。
だが、あたしに向けられた彼の背中がなんだか寂しそうに見え、次第におばさんの言ったことに怒りが湧いてくる。
「獅子王。私はもう行くわね。内海さんもゆっくりしていってね。退院までの間、私の代わりに獅子王をよろしくお願いします」
「・・・それってどういう事?」
「そのままの意味よ?それよりどうしたのかしら?さっきと態度が違う気がするのだけど」
あたしは怒りからか、おばさんに対してタメ口になっていて、彼女はここでようやくあたしが怒っている事に気がついたようだ。
「どういう事かって聞いてんの!退院までよろしくってなに?私の代わりにって何?あんたはもうここに来ないつもり?」
病院であるにも関わらず大声で怒鳴ってしまう。個室なのが幸いだった。
あたしはドスドスと怒りのままに足を踏み鳴らしおばさんに詰め寄る。
「あんた稲牙の母親なんでしょ?自分の息子が怪我して入院してるってのに心配じゃないの?」
「怪我って。この子が自分勝手に喧嘩でもして作った怪我でしょ?そんな野蛮な事勝手にしといて、怪我しました、心配してくださいって言われても知らないわよ。私には関係ないわ」
この人と話していると虫唾が走る。息子が怪我してるのに関係ない?
短いやり取りの間に、稲牙が母親に背を向けてずっと窓の方を向いている理由がわかった。なんで彼が昼間からゲームセンターで暇を潰し、穂乃果の働くカフェに入り浸るのかが理解出来た。
こんな母親だからだ。
「関係なくないでしょ。母親なら息子の心配してやれよ!稲牙は友だちを守るために怪我したんだ!それなのに怪我した理由も聞かずに、勝手に思い込みだけで知らない。関係ないって、ふざけるなよ!」
「あなたこそ、事情も知らないでなに?こっちだってね、決して安くない学費を払って中高一貫の私立にまで通わせたのよ!将来はこの子を弁護士か医者にする為にね!それなのに勝手に学校辞めてきて、挙句の果てには喧嘩に明け暮れて、更には入院なんてどれだけ私に迷惑かければ気が済むの!こんなの、私の息子として失格よ!」
パチン!
気づけばあたしの手はおばさんの頬を撃ち抜いていた。
無意識だった為に、はっと我に返るが後悔はない。むしろよくやったあたしと、自分を褒め讃えたい。
「弁護士か医者にする為?そこに稲牙の意思はあったの?・・・息子として失格ってなに?母親なら自分の子どもがどうあってもそんな言葉を言うべきじゃないよ。・・・・・・もういい。稲牙はあたしが面倒見るからあんたは消えて!これ以上彼の前に姿を現さないで!」
未成年である稲牙とその母親の関係は切っても切れないだろう。それでも今は、今この時だけでも稲牙の前から消えて欲しかった。
「結局あなたも暴力女なのね。獅子王とお似合いじゃない。勝手に2人で仲良くしてなさい」
そう言って彼女は部屋から出ていく。
あたしはなんとか怒りを収めようとふーと息を吐き、稲牙に向き直る。
「・・・ごめん。事情も知らなかったのに勝手なこと言って」
「ははっ・・・・・・あははははははは!」
あたしが謝ると、稲牙は大声で笑いながらこちらを向く。
「純奈!お前最高!あー清々した!ろくに顔も出さないくせに、やっと来たかと思ったらグチグチ文句言われてたからすっきりしたよ。ありがとうな」
あたしと出会ってから、今までで1番の笑顔を見せてくる稲牙を見て、彼のために怒ったことが裏目に出なくてよかったと安堵する。
「あっ。でもあたしが面倒見るって言っちゃったけど、どうしよう・・・」
少なくともおばさんが家にいるのなら稲牙は帰るのが気まずいだろう。
勢いでああ言ってしまったが、退院したあとの事まで考えていなかった事を早くも後悔し始める。
「まぁなんとかなるよ。おれ様は1人でもやっていけるって」
にこやかに笑っているが、彼が未成年である以上、たった1人で生きているのは厳しいだろう。
「あのさ、退院したらあたしの家くる?」
「いやいや、それは無理でしょ」
「あたしは全然OKだよ」
「そうじゃなくて、純奈の親がOKじゃないんじゃ?」
稲牙の心配している事は恐らく問題ない。
なぜならあたしの両親はこの世にいないのだから。
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