第87話 名前

story teller ~夏木光~


 最近、月は四宮と付き合い、涼も秋川と付き合っているため1人でいる事が多い。

 友だち2人に彼氏が出来た事は嬉しいが、それと同時に寂しさもある。

 それを知ってか知らずか、車谷が遊びに誘ってくれる。

 ワタシの事を好きだと言ってくれた男の子。

 彼は、ワタシと一緒にいたいだけかもしれない。

 それでも、完全に1人じゃない、遊べる人がいると言うのは、いい事だと素直に思う。


「さすがに、この時期の海は寒いね」


 今日も、1人で帰ろうと思っていたところを、車谷が誘ってきた。

 放課後、2人で電車に乗り、夏休みに1度来たことがある海にやってきていた。

 海のシーズンはとうに過ぎているので、ワタシたち以外には人がいなかった。


 ワタシたちは砂浜を端まで歩き、防波堤の上に座る。

 風が吹き、体がブルっと震える。

 すると、車谷は自分の着ていたブレザーをワタシの肩にかける。


「気にしなくていいよ、車谷も寒いでしょ」


 そういってブレザーを返そうとするが、大丈夫だよと言って受け取ってくれない。

 ワタシはその好意に甘えることにする。


 なにをする訳でもなく、話す訳でもない。

 ただ2人で海を眺める。


 車谷と2人の時は大抵そうして過ごしている。

 ファミレスに入り、ただ料理を食べるだけ。カフェに入り、ただコーヒーを飲むだけ。

 たまに今日あったことを話す程度。

 それでも、一緒に出かけてくれる。つまらないと言わずに次も誘ってくれる。

 そんな車谷を異性として好きとかではないが、ワタシはそんな風に過ごす時間が嫌いではなかった。


 ******


story teller ~四宮太陽~


「それでは、みんな名前で呼びましょう会を始めたいと思います!」


 唐突に始まった謎の会。

 いつもの様に、昼休みにみんなで集まり、昼食を食べながら雑談していたところ、俺と春風さんは付き合っているにも関わらず、未だに苗字呼びだと言う事で、堅治と冬草さんが勝手に始めてしまった。


「みんなでって事は、ここにいるみんなの事を名前で呼ぶってこと?」


 夏木さんはそこが気になったらしい。

 俺もみんなってなんだろうと気になっていたけど。


「そう!太陽たちがいつまで経っても名前呼びをしないから、それならいっそみんなで名前呼びにしたらいいんじゃないかと思ってな!」


「それなら、月たちもさすがに名前で呼び合いますよね?」


 そういう魂胆か。

 確かに俺も、春風さんの事を名前で呼んだ方がいいかなと思っていたが、いざとなると恥ずかしくて呼べない。

 いずれ呼ぼうと思って、後回しにしていたのだ。


「じゃあまずは、オレと涼からな。涼」


「はい、堅治くん」


 バカップルだ。バカップルがここに居るぞ。

 お互いに見つめあって、名前を呼びあっている。

 俺たちはなにを見せられているんだ。

 夏木さんを見てみろ、顔が死んでるぞ。


「・・・涼と秋川は普段から名前で呼んでるじゃん」


「はい!光アウトです!堅治くんの事は、堅治くんって呼ばないとダメですよ!」


「もうワタシの番始まってるの!?」


 標的にされた夏木さんは可哀想だが、堅治と冬草さんのテンションが上がっていて、巻き込まれたくないので黙っていることにしよう。


「はい!私もみんなを名前で呼びたいです!」


 春風さんは結構乗り気なようだ。

 手をあげて発言している。

 って待ってくれ。春風さんが挙手したってことは、必然的に俺もターゲットにされるんじゃ。

 そう思ったのもつかの間、堅治と冬草さんが俺の方を向き、不敵な笑みを浮かべている。


「ということらしいので、まずは男である太陽から呼ばないとな!」


「月は待ってますよ!早く呼んであげないと!」


 このノリめんどくさいな。

 正直、今だけ友だちやめたい。


 堅治は俺の脇の下に手を入れて、無理やり立ち上がらせると、春風さんの前に連れて行く。

 ベンチに座る春風さんを上から見下ろすような構図だ。


「えっと、呼ばないとダメ?」


「呼ばないとダメですよ!月も呼んで欲しいですよね?」


「・・・うん、呼んで欲しい」


 少し顔を赤くして、俺を上目遣いで見てくる。

 なにこれ、めっちゃ恥ずかしい。

 俺は嫌だと抵抗するが、堅治に後ろから腕をホールドされて、逃げられない。


「早く呼んであげないと、愛想つかされるぞ」


「このくらいで愛想つかされてたまるか!」


 けど、ダメだ。春風さんも呼んでほしそうに待ってるし、夏木さんや善夜も楽しそうに見ている。

 自分たちは標的じゃないからって、人の不幸を楽しみやがって。


 俺は逃げるのを諦め、勢いで呼ぶことにした。


「えっと、月?」


「はい、月です!」


 俺が名前を呼ぶと、めちゃくちゃ嬉しそうに笑顔で返事をしてくる。

 めちゃくちゃ恥ずかしいけど、めちゃくちゃ可愛いな。


 もう呼んだからいいだろと堅治から逃れようとするが、今度は前から制服の裾を掴まれる。

 なんだか、嫌な予感がする。


「春風さん、どうしました?」


「春風さんじゃないです。・・・もう1回呼んで欲しい」


 俺が恐る恐る聞くと、春風さんと呼んだことが不満だったのか、頬をふくらませて、再度要求してくる。

 可愛いけど、可愛いけど恥ずかしいんだよ。


「みんなの前だから、その、今度じゃダメ?」


「今がいい」


 俺の提案は却下される。

 みんなの前だからかなり恥ずかしいけど、可愛い彼女のわがままは聞いてあげたい。

 俺は息を吸い込んで、先程同様に勢いで呼ぶことにする。


「月!」


「えへへ、ありがとう太陽くん」


 急に名前で呼ばれたことで、俺は一瞬固まる。

 少し遅れて、嬉しさが込み上げてくる。

 これはもう一度呼んで欲しいかも。


「あの、もう1回呼んでくれる?」


「いいよ。太陽くん」


 たぶんこの子が太陽くんって呼ぶ時、語尾にハートが付いてる。絶対付いてる。呼び方可愛すぎる。


 その後も何度かお互いに名前を呼び合う。


「・・・バカップルがまた1組誕生したよ」


 夏木さんが呆れたように言ってくる。

 しまった、完全に2人の世界に入り込んでた。

 急に恥ずかしくなり、そそくさと先程座っていた位置に戻る。


「じゃあ、次は誰が―――」


「その前にちょっといい?」


 堅治の発言に、善夜が言葉を被せる。


「みんなで名前呼び会うんだよね?それだとボクが冬草さんを涼って呼んだり、春風さんが堅治の事を名前で呼んだりすることになるけど、それっていいの?」


 善夜は目の前に立つ、堅治と冬草さんに問いかける。

 2人はお互いに顔を見合わせたあと、俺たちの方に向き直し、声を揃えてこう言った。


「「それは嫌かも(しれないです)」」

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