第33話 黒の封印・2

 アレシアはカイルと共に、神殿の長い回廊かいろうを歩いていた。


 事件以来、神殿主しんでんしゅオリバーは表向きは体調不良のため、神殿内で休養を取っていることになっている。


 神殿主しんでんしゅは不在になっているが、神官長しんかんちょうが代理を務めている。

 歩きながら、カイルは苦しげに息を吐いた。


「黒の封印の扱いは変えなければならない。私個人としては、黒の封印が必要悪だったと理解しているつもりだ。しかし、皇家の人々の、黒の封印に対する代々の扱いはただ私欲のためのもので、ひどかったと言わざるを得ない。秘伝として密かに伝えられてきたことにより、一般の薬物として検出もされない。それに、神殿主しんでんしゅは皇帝に仕える立場、この毒を作ってきた神殿主しんでんしゅに選択の余地がなかったのも確かなのだ。そうして、多くの命が失われた」


 アレシアはうなづいた。


「ええ。陛下のおっしゃる通りかと」

「これ以上の命が奪われることのないようにしたい、私はそれが一番大事なことだと思う」


 カイルはそう言うと、オリバーの部屋へと向かった。


 オリバーは執務室ではなく、私室の方にいた。

 部屋のあちこちに本や書類が積み上がり、まるで何かの荷造りか、片付け物をしているかのように見える。


「オリバー」

「オリバー先生」


 カイルとアレシアが声をかけると、オリバーは振り返って、柔らかな笑みを見せた。


「陛下、アレシア様」

 オリバーがちょっと困ったように、眉を寄せた。


「……散らかっておりまして、申し訳ございません」


 オリバーは2人に椅子を進めると、部屋の外で待機していた神官に言って、お茶を持って来させた。


「陛下、私の処分は決まりましたかな?」


 カイルはうなづいた。

「簡単ではないが……大体は。しかし新宰相の選出に比べれば、まだ容易たやすい方だ」


 カイルの言葉に、オリバーは苦笑した。


「では?」

「オリバー、神殿主しんでんしゅとしての任をく」


 オリバーはうなづいた。

「かしこまりました」


「オリバー」

 カイルがためらいながら言った。


「……本来なら、お前はとっくに引退していていい年齢だ。これ以上の処分を下したくはない。何か希望はあるのか?」


 オリバーは動きを止めて、じっとカイルを見つめた。


「もし可能であるなら……。私を遠く、辺境の小さな神殿にお送りください。そこで、神殿の守人もりびとを務めながら、地域の人々を助け、生涯を終えられたら、と思っております」


「オリバー先生……」

 アレシアの悲しげな声に、オリバーは「大丈夫ですよ」と言って、微笑んだ。


「黒の封印は、封じましょう。私が先代皇帝陛下よりお預かりした処方も、残った毒薬も、材料も、すべてお渡しいたします。今こうしているのも、残っている資料があれば、すべてお返しするためのもの。黒の封印の毒は安全に廃棄はいきされ、その作り方も封印されるべきです。しかるべき場所にて、あとは皇帝陛下が保管されますように」


 カイルは複雑な表情でオリバーの言葉を聞いていたが、最後、うなづいた。


「ああ。黒の封印はしかるべき場所で、人の手が届かないところに保管しよう。黒の封印そのものには、善も悪もない。ただ、そういう作用の薬物である、ということだけだ。幾度となく皇家で使われただろう毒薬は、皇家の血統をほぼ滅した。皇家の中で秘伝とする時は終わったと考えている。今後の扱いを考えなければ……」


「陛下、全てはあなたにお任せいたします。時間はあります。ゆっくりと考えればよろしいのでは。私が1つ提案するとすれば、解毒薬を改めて研究すべきかと思います」


 そう言うと、オリバーはそっとアレシアの手を取る。

 師弟が一瞬、見つめ合った。柔らかな光が広がる。

 オリバーは優しい声で、言った。


「アレシア様、お元気で。立派な姫巫女になられました。どうぞお元気で。いつもあなたのご安全を、遠くの地から願っておりますよ」


 アレシアに言葉はなかった。

 ただ、オリバーがそっと手を離すまで、オリバーの手をしっかりと握り続けていた。


 オリバーの部屋を出ると、カイルは疲れた様子の見えるアレシアを労った。


「少しゆっくりするといい。もうしばらく、あなたの手をわずらわせることはないから」

 カイルはアレシアの腕を取ると、彼女の歩調に合わせて、ゆっくりと進む。


「落ち着いたら、また、農園に行きたいか? 今度はもっとゆっくりできるように、予定を組もう」

「カイル様」


 カイルはアレシアの額から、銀色の髪をなででつけながら、いたわるように、そっと額に唇を落とした。


「部屋まで送っていこう。とりあえず、あなたも休まなければ」


 宮殿に戻り、アレシアを部屋まで送って、信頼できるネティの手にゆだねると、カイルは執務室へと向かおうとして、足を止めた。

 エドアルドの言葉が思い出される。


『そろそろ、結婚式の日取りを決めた方がいいのではありませんか?』


 カイルは顔を赤らめた。

 結婚式? アレシアとの?

 そんな夢を見ても、いいのだろうか……?


「アレシア?」


 カイルの声に、寝室に向かいかけていたアレシアが振り返った。


「その……休めと言ったのに何だが、今日の夕食を一緒に、どうだろうか? 改めて話したいことが……いやもし、疲れているのなら、もちろん……」


 アレシアはふんわりと微笑んだ。

「一休みすれば大丈夫ですわ。楽しみにしています。では後ほど」

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