第34話 キャンドルディナーの夜

 その日の午後、久しぶりにエドアルドがアレシアの部屋を訪ねてきた。

 ドアを開けたネティとにっこりと笑顔を交わすと、小さなカードとお花のブーケをアレシアに差し出す。


「カイル様から、本日の夕食のご招待だそうです」

「まあ」


 アレシアはカードとお花を受け取りながら、目を丸くする。

「なんだかとても特別な感じね。どうもありがとう、エドアルド」


 アレシアは少し照れて赤くなった、そんなアレシアをネティは微笑ましげに見守っていた。


「アレシア様、お夕食前に、お支度をしましょう。お湯を用意しておきますね」


 ネティは言葉の通り、夕食前にアレシアを美しく整えた。


 いつもと同じ姫巫女の正装だけれど、髪は何度も繰り返しくしを通して、銀色の髪が自然な光を出すまで手入れをした。


 それから細い編み込みをいくつも作り、細いリボンとビーズで飾った。

 アレシアの爪もピンクに染める。


「よくお似合いですよ。とてもお美しいです」

 ネティがそう言うと、アレシアは顔を赤くしてお礼を言った。


「さ、そろそろお時間ですね。参りましょうか」

 ネティはやさしく声をかけると、大切な女主人の手を取った。


「いらっしゃい。待っていたよ」


 ネティが指定された場所にアレシアを連れて行くと、笑顔のカイルがアレシアを迎えた。


 そこは中庭の一角で、夕暮れが深くなった中、無数の明かりがきらめいて、幻想的な光景を作り出していた。

 地面に置かれたたくさんのキャンドル。


 頭上には、木と木の間を通すように吊り下げられた、数えきれないほどのランタンの灯りがキラキラしている。

 無数の光の中心に、小さなテーブルと2つの椅子が用意されていた。


「きれい……」

 アレシアがうっとりと周囲を見渡した。


「喜んでくれて嬉しいよ。姫君、さあこちらへどうぞ」


 カイルはまるで夜空のようなミッドナイトブルーのチュニックを着ていた。

 この色はカイルによく似合う。

 アレシアは思わずカイルから目が離せなくなった。


 黒いつややかな髪は櫛目くしめが見えるほど綺麗きれいに整えられていて、元々目鼻立ちの整ったカイルを引き立て、まさに生まれながらの高貴な身分を感じさせる。


 その一方で、かすかに赤みのある頬が青年らしい若さを見せているように思われて、アレシアは急に心臓がドキドキとするのを感じた。


 アレシアの手を取って、カイルが席に案内した。

 エドアルドが金色の泡の立つ飲み物をグラスに注ぐと、アレシアとカイルに渡した。


「では、私とネティさんはこれで。どうぞごゆっくり。あ、近くにはおりますので、必要な時には声をかけてください」


「わかった」

 カイルはうなづいた。


「じゃ、ネティさん、行きましょうか」

 エドアルドはネティの手を取ると、いそいそとその場を離れる。


 アレシアはなんとなく手持ても無沙汰ぶさたで、エドアルドとネティの後ろ姿を目で追っていた。


 すると、カイルがこほん、と咳払せきばらいをして言った。

「少し遅くなったけれど、お誕生日、おめでとうアレシア。それに、成人、おめでとう」


 アレシアの前に、小さな箱を置いた。

 アレシアはカイルを見上げる。


「開けてごらん」


 アレシアが箱を開けると、そこには、細く小さな、まるで細い月のような銀の指輪が入っていた。


「あなたは覚えていないかもしれないけれど、幼い時にあなたと出会ったことは、ずっと私の支えだった」


 カイルは柔らかな声で話し始めた。


「農園に閉じ込められて生きていた自分にとって、外の世界から来たあなたは自由で、明るくて、外の世界が素晴らしいことを、改めて教えてくれた存在だった。あなたを傷つけるのが怖くて、帝国に招いてからはずっと距離を置くようにしていたが、ずっと、昔のようにもっと近くで接したいと思っていた」


 カイルは手を伸ばして、アレシアの頬にそっと触れた。


「アレシア・リオベルデ、改めて、あなたに結婚を申し込みたい。これからの人生を、共に歩んでいくのを許してくれますか?」


 カイルはアレシアの細い指先にそっとキスを落とすと、銀の指輪を左手の薬指にはめた。


「この銀の指輪は……あなた自身をイメージして作った。美しい銀色の髪のあなたは、まさに創世の女神のように輝いている」


 アレシアの顔がだんだんと赤くなる。

「ありがとうカイル。でも、あの……」


 カイルはそっと首を振った。


「返事は今すぐでなくてもいい。結婚式はいつまででも待つ。あなたには、私の気持ちを知っておいてほしかったから。改めて、いつか返事をくれたら、嬉しい」


 アレシアはうなづいた。


「は、はい」


 再び緊張きんちょうしてきてしまったようなアレシアを見ると、カイルは安心させるように笑って、話題を変えた。


「ご飯にしようか? 料理はあらかじめ、全部運んでもらってるんだ。その方が、気兼きがねなく話せると思って」


 気軽な口調に戻し、カイルは次々とお皿の上にった銀のおおいを開けていく。

 おいしそうな料理の匂いでいっぱいになった。


「さあ、食べよう」


 カイルは、かいがいしく給仕役を務め、アレシアのお皿に料理を盛り付けた。

 食事が進むにつれ、アレシアも緊張が解けてきたのか、時折笑い声も聞かせてくれるようになった。


 無数のキャンドルの明かりに包まれて、まるで2人きりのレストランのような食事。

 カイルとアレシアは心おきなく、夜の時間を楽しんだのだった。


「リオベルデ王国の王女の嫁入りの慣習を、アレシアで最後にしよう、と考えているんだ」


 不意に、カイルが言った。


「アレシアを見ていれば、王国の姫巫女がどんなに大切な役割を担っているのかもわかるし。もし、王女がリオベルデにとどまって王国のために祈ることを選ぶなら、王国を選べるように、と思っている」


 カイルは真っ直ぐアレシアを見つめた。


「帝国と王国の間に、悲しい思い出が残らないようにしたい」


 アレシアもカイルをじっと見つめた。


 ランス帝国と、リオベルデ王国と。

 さまざまな運命が生まれ、交わり、そして消えていった。


 そこに悲しい記憶もたくさんあることを、カイルとアレシアは知っている。

 帝国に嫁いで、そして命を落としたエレオラのような王女も、過去には何人もいたに違いない。


 しかし、黒の封印は文字通り、再び封印され、皇家の呪いは暴かれた。

 もう、痛ましい事件が起こることはないはずだ。


 これからの帝国と王国の間には、たくさんの幸せな記憶が生まれるように。

 そんなカイルの想いは、アレシアに確かに伝わっていた。


「ありがとう、カイル」


 アレシアは、晴れやかな表情で、カイルを真っ直ぐに見つめていた。

 アレシアから目を離せなくなったカイルの顔色が急激に赤くなっていく。


「こ、今夜はゆっくり休むといい。アレシアも大変だったんだから。少しはのんびりするといい」


 翌日、カイルはアレシアに会うことはなかった。

 アレシアはカイルの言葉を聞いて、1日、休息を取ったものと思われた。

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