第22話 黒の封印・1

 夜会が終わると、アレシアはまたいつものように神殿に通う生活を再開した。

 次の日にアレシアが神殿に行くと、神殿主オリバーがそっと声をかけてきた。


「姫巫女様、部屋に読んでいただきたい資料を置いてあります」


 アレシアはうなづいた。

 参拝者と祈った後、昼過ぎに神殿主の執務室に入ると、ネティがアレシアに熱いお茶を入れてくれた。


「大切な資料だからと、オリバー様から直にお預かりして、こちらでお待ちしておりいました」

「ネティ! そうだったの。どうもありがとう」


 アレシアが資料を受け取ると、それは流行性の風土病にかかった皇帝の短い手記だった。


 皇帝の享年きょうねんはわずか27歳。父である皇帝を早くに亡くし、伯父の後見で、18歳で即位していた。


 皇帝には兄がいたが、品行不良で廃嫡はいちゃくにされていた。

 父の皇帝は、その後しばらくして亡くなる。

 初めに感染したのは、2歳になる幼い皇女。それから7歳の皇子。続いて皇后が感染した。


 手の施しようのない状況、最初に身体の一部に発生した黒い皮膚の変色は瞬く間に全身に広がっていき、胸に達した時に命を落とす。

 皇帝は感染を怖れる家臣により隔離かくりされ、最低限残された召使いが、病気と闘う皇帝の家族に寄り添う。


「でも幸いなことに、皇帝の家族以外に感染が広がることはなかった。死を覚悟して感染した皇帝の家族の手当てをした召使いは全員、生存。しかし、ついに皇帝が感染してしまう」


 アレシアは皇帝本人が記した短い日記を目で追う。

「皇帝の家族を襲った悲劇に心を痛めた皇帝の兄が、周囲の反対を押して、皇帝にお抱えの薬師の勧める薬を持参した。皇帝は生命をかけてまで駆けつけてくれた兄の姿に涙をこぼす……」


 アレシアはじっと古い手記のページを見つめる。

「今日は少し体の調子が良い。我が兄の想いが届いたのか……。私は彼を信じている」


 手記はそこで終わっていた。

『黒の封印』の記述はなかった。

 アレシアは考え込む。

 オリバーが用意してくれた資料はその他にもあった。

 アレシアは皇帝の手記を閉じると、すでに冷えたお茶をすすった。


 もう1冊の本はさらに古く、紙も茶色く変色していた。


「今日は皇帝の即位式だった。しかし私はまだ18歳。ようやく成人したばかり。皇帝の責務の重さに体が押しつぶされそうな感覚を覚える。幸いにも叔父上が力を貸してくれると言う。幾多の悲劇に見舞われてきたランス皇家。しかしこの先どんなことがあろうとも、私は国と民を守ろう。黒の封印は生涯使わないし、私の大切な家族をこれからも守り抜くと誓う」


 アレシアは再び沈黙して、思考の中に沈んだ。

「黒の封印、何かの毒薬のように思える」


 もし「黒の封印」が毒薬で、皇家にのみ伝わるものだとしたら?

 一般には知られていないし、手記を見ていると、皇帝でも『黒の封印』について触れている者はわずかだ。この違いは何なのだろう。当の皇帝すら、それがどのようなものか、はっきりとは知っていない様子だ。


「カイルは『黒の封印』を知らない、と言っていた」


 もしそれが毒薬として、黒の封印を知る人物は誰だろう。

 皇帝。しかし、現皇帝であるカイルは『黒の封印』を知らず、先皇帝はもういない。


 では先皇帝にも仕えた人物はどうだろう。皇帝の子供には知らされるのか?

 オブライエン公爵は、先代皇帝の弟。つまり、先先代の皇帝の子供だ。

 知っている可能性が高い。

 ほかにはどうだろう? 家臣は知っているだろうか?


「……オリバー先生?」

 アレシアは呆然として言った。


 オリバーはカイルだけでなく、先皇帝にも仕えていたはずだ。

「もし、黒の封印が毒薬だとして」

 アレシアは震える声でつぶやいた。


 もしかしたら、皇家の呪いとは、心の弱きものが身内に毒薬を使った悲劇ではないだろうか……?

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