第15話 帝都を案内する

「アレシアに帝都を案内しようと思う。エドアルド、お前が有名どころを周るプランを作れ」


「カイル様!? あなた、アレシア様に親切にするのか、冷たくするのか、どちらかに決めた方がいいですよ?」


「案内はお前がするんだ」

「お断りします」


「きっとネティも一緒に来るだろうな?」

「む。検討させていただきます」


 本気なのか? カイルの小さなつぶやきは、急にいそいそと地図を広げ始めたエドアルドの耳には届かなかった。


 カイルの執務室。いつものような日の、いつものような光景、とは言えなかった。


 カイルは確かに、いまだにアレシアへの態度を決めかねていた。

 アレシアのためには、リオベルデに送り返すのが一番いい、カイルはそう考えていた。


 その一方で、こんな状況の中、帝国にやってきて、それでもいきいきと過ごしているアレシアはまぶしく、自分の近くに置いておきたい、もっと親しくなりたい、そんな想いがあるのも事実だった。


 カイルがアレシアと婚約したのは、アレシアが3歳の時。

 幼く、小さかったアレシアは、また特別に可愛らしかった。


 カイルもまた子供だったが、自分が将来皇帝になることも分かっていたし、美しい銀髪をしたアレシアにもまた、姫巫女となる、特別な運命が待っていることを理解していた。


 アレシアは幼い頃に自分と会ったことを、覚えているのだろうか?

 何度もカイルの心の中に浮かんだ疑問だ。

 アレシアに尋ねてみたい。そう思いつつも、その勇気がないことを、カイルはわかっていた。


 * * *


「行き先を決めましたよ。アナスタシア記念公園、モナクの橋、アリアンテ大学、クルーブの森、最後は帝国劇場です。合間あいまに有名どころのカフェやレストランにも寄りましょう」


「寄りましょう? なぜ、最後が誘いになっているんだ?」

「それはもちろん、カイル様も同行されるからですよ」


 カイルとエドアルドはいつものように執務室のそれぞれの机の前に座っていた。

 話題になっているのは、先日の「アレシアに帝都を案内するプラン」についてだった。


「アナスタシア記念公園は、愛妻家で有名だった皇帝アレキサンダーが皇后アナスタシアの出身国にある有名な公園を模して造った帝都アンジュランスの名所です。モナクの橋は帝都最古の橋で都民のデートスポット、アリアンテ大学は帝国屈指の有名大学。クルーブの森は」


「わかったわかった。全部有名どころだろう。で、なぜ俺も同行しなければいけないんだ?」


「あなたが来ないと、私はアレシア様のお相手を務めることになります。ネティさんといつお話しできるんですか? それでなくともあなたの補佐を務めているおかげで女性との出会いがほぼ無」


「あれは、半分冗談で言ったんだが……」


 被せてきたカイルの言葉は、エドアルドにあっさりと黙殺された。

 カイルはため息をついた。


「で、いつ行くことになったんだ?」


 エドアルドはにっこりと笑った。

「明後日です。忙しくなりますよ?」


 帝都の名所巡り当日。

 カイルはエドアルドといつものように、執務室にいた。

 窓の外を見ると、いつものように、ネティとサラを伴って、神殿に向かうアレシアの姿があった。


「……カイル様? アレシア様をお迎えに行くまでに、数時間ありますから、お仕事に集中してください」

「わかっている」


 カイルは苦笑すると、窓に向けていた視線を、目の前の書類へと戻したのだった。


 アレシアに帝都の名所巡りの話をエドアルドがした時、アレシアはひどく驚いていたという。


 カイルも行くというのに恐縮きょうしゅくしていたとのことだが、意外なことにネティが熱心にアレシアに勧めたとかで、最終的にはアレシアも快諾したそうだ。


 しかし、アレシアからの要望もあった。

 いつものように午前中は神殿で参拝者とともに祈りたい、というものだった。

 それでも、外出ということを考えて、アレシアはいつもより早く、昼前には神殿を出るようにする、と約束してくれた。


 そういえば、とカイルは思う。

 カイルはアレシアが神殿で姫巫女として働いている姿を見たことがないのだ。

 もっとも、今もアレシアは自分から進んで、毎日神殿に通っていて、誰かに指示されたわけでもない。


 それほど自然に、「自分の務め」とアレシアが思っているものを、カイルは見て見たいと思った。


「エドアルド」


 カイルの心は決まった。

 約束より早めに神殿へ行き、アレシアの様子をのぞいていこう、と。


 カイルが神殿に入ると、参拝に来た人々が静かに神官の誘導に従って、聖堂内で順番を待っていた。


 もちろん、自分だけで祈り、そのまま退出しても全く問題はない。

 しかし、巫女、とりわけ姫巫女に話をし、共に祈ってもらおうとする人は結構多いようだ。

 正午までもう1時間ほどしかないが、アレシアの前には、7人ほど並んでいた。


 カイルはエドアルドと一緒に、聖堂に入ったところの壁際にそっと立ったが、神殿主のオリバーはすぐ気づいたようだった。


 「カイル様。姫巫女様のお迎えですかな?」

 オリバーは急いでカイルの元に来ると、そう尋ねた。


 うなづくと、オリバーはカイルとエドアルドを連れて、目立たないように作られた、神官達の待機所に案内してくれた。

 そこからは聖堂内がよく見え、祭壇前に座っているアレシアと参拝者の会話も聞くことができた。


 アレシアの前に座っているのは、せて、ひどく疲れた様子をしているので、何歳くらいなのかもわからない男性だった。


「こんにちは。今日はどうかなさいましたか?」

「姫巫女様、こんなことをお話ししていいものか……」


 ためらいがちに口を開く男性に、アレシアは静かにうなづいた。


「実は、一人息子が結婚したい、と言ってきて。ところが私はその女性が息子を利用しているように見えて、とても祝福できないのです。彼女は離婚歴のある女性で、前夫との間に子供がいます。息子はその子を可愛がっていますが、私は悪いと思いつつ、その子供を可愛いとは思えないのです。どうしても、息子の妻になろうという女性が、あざとく見えてしまうのです」


「では、そんな状況で、あなたは女神様に何を願いますか?」

「それはもちろん、息子の幸せです。誰とどんな結婚をしようと、息子が幸せになることを、私は望みます」


 アレシアは男性の手を取った。

「では、改めて、あなたのお願いを、女神様にお祈りしてください。わたしはあなたにとって、関係する皆様にとって、最善となるように、お祈りいたします」

「はい」


 アレシアと男性は目を閉じた。


 アレシアの目が、何かの映像を見ているかのように、まぶたが忙しく動いている、

 その時アレシアは、確かに、男性の息子を気遣うよりも、自分と子供のことばかりを大切にしている女性の姿を見ていた。


 その様子を黙って見守っている男性の心が次第に重くなっていくのを、アレシアは感じていた。


 息子の考えを理解しよう、そう自分に言い聞かせているのもわかった。

 それでも、息子のことが心配なのだ。女性への憤りも感じられる。

 男性の息子は、今は、この状態を受け入れているようだった。しかし、その理由はわからない。


 アレシアの全身が淡く光り始め、男性をも白く包んだ。

 

「あなたの息子さんが自分の幸せのために決断することを、あなたが止めることはできません。でも、あなたが息子さんの決断にどう感じるか、考えるかは、あなただけのものです。あなたの自由なのです。……その気持ちを尊重したまま、お2人とどう付き合っていくのか、考えていかれては」


 白い光が消え、アレシアと男性は目を開いた。

 しばらくうつむいていた男性が、ゆっくりとうなづいた。


「少し……心が軽くなった気がします。確かに、私は息子の決断に賛成することはできません。それで、いいのだと……彼のことは心配ですが、今はしばらく、彼らとは距離を置いて過ごそうと思います。姫巫女様、ありがとうございました」


 男性は柔らかな微笑みを見せると、深く礼をして立ち上がった。


 アレシアはその後も同じように、待っている人々と話し、祈り、正午少し前に、すべての祈りを終えた。


 オリバーに挨拶をして、退出しようとした時、オリバーと一緒に座っているカイルとエドアルドに気づき、目を丸くした。

 カイルが少々間が悪そうに立ち上がった。


「オリバー殿のお気遣いで、ここで待っていた。話は……聞こえていた。もちろん他言するつもりはない。神殿での祈りは神聖なものだから。黙ってあなたの様子を見ていて……すまない」


 アレシアはさらに大きく目を見開いた。


「いえそんな。大丈夫です。こちらこそ、お待たせして申し訳ありませんでした。オリバー先生、それでは、今日はここで失礼いたします」


「また明日、アレシア」

 オリバーが柔らかく微笑み、アレシアはカイルとエドアルドと一緒に神殿を出て、入り口に控えていたネティとサラに合流したのだった。


 * * *


「こんな格好で大丈夫でしたでしょうか?」


 心配げな表情でアレシアが言った。

 馬車はゆったりとした造りの大きなもので、4人が座っても余裕があった。

 カイルはエドアルドと、アレシアはネティと隣り合わせで座っていた。


 こんな格好、とアレシアが言うのは、神殿からそのまま着ている、姫巫女の衣装のことだった。

 白い麻の長衣に、同じく白い絹の長い丈のチュニックを重ねている。

 腰に巻いているのは、カイルが贈った金刺繍入りの絹の飾り帯だ。


「とはいえ、わたしはいつも姫巫女の衣装を着るので、他のもの、と言われても困るのですが」

「全く構わない。あなたは姫巫女なのだから」


「そうだ。エレオラ伯母様はどんなお衣装で過ごされていたのでしょう? カイル様は覚えていらっしゃいますか?」


 そうアレシアに問われて、カイルはじっと記憶を辿り、前皇后エレオラの姿を思い出そうとする。


『カイル』


 カイルは、柔らかなエレオラの声が聞こえて来たように思った。

 明るい金髪に、明るい青の瞳。

 まるで妖精のようなエレオラは、意外にもアルトの声を持っていた。


 リオベルデ王国の第1王女で、女神神殿の巫女。リオベルデに生まれた王女は、誰もが巫女として神殿に仕える。


 アレシアの母であるエリンは銀髪で、姫巫女として神殿に仕えていた。

 そして姉妹のうち、エレオラが帝国に嫁いだのだ。


 しかし、皇后になったものの、子供を持つことがなかったため、前皇帝は側室を持った。

 エレオラには厳しい環境だっただろう。ところが、エレオラは側室の産んだ5人の子供達をまるで自分の子のように接してくれたのだった。


 そんなエレオラが着ていたのは……。


「エレオラ様は、やはりあなたの着ているような、白の衣装を身に付けていたと思う。……私室ではリオベルデ風の、ゆったりとしたチュニックを着ていたり……夜会や晩餐会ばんさんかい、公的な場所ではランス帝国式のドレスを選んでいただろうか」


 カイルは少し考えてから言った。


「すまない。私は婦人の服飾はあまり関心がなく、あまり覚えていないのだ。アレシア……あなたとはまだ正式に結婚式を挙げていない。婚約中であるなら、今まで通りでよいと思う。皇后になったら、その時はランスのドレスも必要になるだろうが」


 アレシアはうなづいた。

「わかりました。ではそのように」


 エドアルドが窓の外を示した。

「最初の目的地に着きましたよ。アナスタシア記念公園です」


 エドアルドが今日行く場所として選んだのは、アナスタシア記念公園、モナクの橋、アリアンテ大学、クルーブの森、そして帝国劇場だった。


 出発が昼からなので、途中で食事や休憩の時間をとりつつであることも踏まえ、行けるところまで、というスタンスで一行は名所巡りを始めた。


 馬車を降りれば、エドアルドが先頭に立ち、カイルがアレシアを儀礼的にエスコートし、その後ろにネティが付き添う。さらにその後ろにはサラがいた。


 有名な場所ばかりなので、カイルもアレシアに説明していたが、カイルが詰まると、エドアルドがさっと補足の説明をするのだった。この日に合わせ、エドアルドは細かな歴史なども暗記してきたらしい。


 さて、行けるところまで、と言っていたのに、要領がよかったせいか、一行は全ての目的地を消化することができた。


 もっとも、クルーブの森は馬車で走り、帝国劇場は舞台が始まるのが夜なので、今日は歴史ある建築の見学をしただけだった。


「今日はとても楽しかったですわ。帝都アンジュランスには美しいものがたくさんあるのが、よくわかりました。カイル様もお忙しいのに、お時間を取っていただいて、本当にありがとうございました」


 アレシアが礼儀正しくカイルにお礼を述べた。


「いや……帝都はまた次の機会を作って、ご案内しよう。アレシア、あなたには何か希望があるのか? 見たい場所や行きたい所は?」


 カイルに問われて、アレシアは考えるように、首を傾けた。

 そしてぱっと表情を明るくして言ったのだった。


「わたし……あのっ……! もし可能であれば、カイル様が育った場所を見たい、と思っております」


 その答えに、今度はカイルが目を丸くしたのだった。


 アレシアは宮殿で見かける時、そして姫巫女として神殿に務めている時、静かで落ち着いていて、その際立った容貌もあり、まるで女神のようだ、とカイルは思っていた。


 しかし、まるで子供の頃のように明るく、はしゃいだ様子を見せたアレシアは、一転してとても親しみやすく、見る人を一瞬にして引き込む、そんなエネルギーがあるように感じられて、何の心の準備もなかったカイルは、もう「ノー」は言えなかった。


「わ、わかった」


 その答えに、エドアルドがぎょっとしているのがわかった。


「よし。希望に応えられるように、準備しよう……少し時間をくれ」

「ありがとうございます! 陛下!」


 一際鮮やかな笑顔を浮かべた後、アレシアはふっと穏やかな表情になった。


「もし、陛下がリオベルデに来られたとしたら、何をお見せしたいかな……って、考えたのです。きっと緑の谷に連れて行く……と思いました。そこが、わたしが育った場所、長い時間を過ごしてきた場所だから。だから、あなたの育った場所が見れたら嬉しいと」


 アレシアはほんのりと頬を染めて、カイルを見上げた。

 大きな、深い青の目に、カイル自身の姿が映っていた。


 その瞬間、カイルはくらりとした。

 そしてカイルはふらふらと馬車を降りると、アレシアのエスコートをエドアルドに任せ、再びふらふらとしながら、宮殿の中に入って行ったのだった。


 その様子を不安そうに見つめていたネティに気づいたエドアルドが、ネティに声をかけた。


「ネティさん、何か? 大丈夫ですか?」

 エドアルドの声に、はっとした様子で、ネティは首を振った。


「いえ……その、アレシア様の調子が出てきたようで、アレシア様はお兄様には本当に自由奔放ほんぽうで……陛下がびっくりなさらないように、わたしも少し気を付けようと」

 苦笑しながら言うと、エドアルドも笑った。


「アレシア様も帝国での暮らしやカイル様に、少し慣れてこられた、ということでしょうか?」

「はい。おかげさまで、そうだと思います」

「陛下は大丈夫ですよ。アレシア様がお元気でお過ごしなら、何よりかと思います」


(カイル様も、アレシア様に慣れてきたようですしね。いや、もう少しか)


 その言葉を呑み込んだエドアルドは、アレシアを馬車から下ろし、挨拶をすると、アレシアをネティとサラに任せて、カイルの後を追ったのだった。

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