第14話 2人だけのお茶会

 カイルがアレシアの留守中に彼女の部屋を訪れた、その数日後のこと。

 いつものように、アレシアが居間で朝食を取っていると、ノックの音がして、エドアルドが入ってきた。


「アレシア様、おはようございます。本日はご機嫌いかがですか?」


 アレシアは目を丸くした。


「おはようございます、エドアルドさん。はい、おかげさまで元気ですわ。今日はお早いのですね」


 エドアルドはにっこりと笑って、アレシアの向かいの席に座った。

 サラがエドアルドの前に、熱いコーヒーを用意する。


「ええ、アレシア様が神殿に向かわれる前にと思いまして」


 アレシアは微笑んだ。

「お急ぎのご用件とお見受けいたしますわ。どんなご用でしょう」


 エドアルドはうなづいた。

「姫君には急な所申し訳ないのですが、本日の午後、お時間をいただけないでしょうか? カイル様が午後にお茶をご一緒にと希望されていまして」


 アレシアは驚いてエドアルドを見つめた。


うけたまわりましたわ。神殿から街に出ず、戻って参ります。何時でも皇帝陛下のご都合の良いお時間でお声がけくださいませ。お会いできますこと、心より楽しみにしております」


 エドアルドは笑顔でうなづくと、コーヒーを飲み干して退出した。


 ネティがアレシアに驚いた顔を見せた。


「まあ。アレシア様、皇帝陛下からのお茶のお誘いですわ。お支度はいかがいたしましょう?」


 アレシアは柔らかく微笑んだ。

「そのままでいいと思うわ。姫巫女の衣装が、わたしの正装だから」


 アレシアの前に食後のお茶を運んできたサラにアレシアは声をかける。

「そんなわけなので、午後はあなたも一緒に来てちょうだいね。ネティとサラがいれば、わたしは安心だわ」


 その日の朝、カイルは迷っていた。


 プライベートにアレシアをお茶に招く、と決めたものの、場所はどこが適当なのか。

 執務室に続いた客間では、仕事の延長のようだし、私室にある居間に招くには、あまりにもプライベートすぎる気がした。


(急にれしいとは思われたくない)

 正式には、婚約が決まってから、1度も会っていないのだ。


「庭園のガゼボではいかがでしょうか?」

 エドアルドは思案げな顔で言い出した。


 「カイル様のプライベートなエリアでありながら、庭園ということで、適度な距離を保った感じがするかと。庭でのお茶会はご婦人達に人気と聞きましたし」


 カイルは同意し、エドアルドに命じて、侍女達にガゼボでのお茶会の支度をさせることにした。


「お茶菓子はどんなものをご用意いたしますか?」

「全部」

「は?」


 エドアルドが思わず聞き返すと、カイルは無表情で繰り返した。


「全部だ。アレシアは好奇心旺盛こうきしんおうせいだし、食べ物に好き嫌いはなかった。美味しそうなものは少しずつ、あらゆるものをそろえてくれ」

「かしこまりました」


 侍女達を探しに執務室を出るエドアルドの顔に、苦笑が浮かんでいたのは仕方ない所だった。


 カイルとエドアルドは美しく飾り付けされたガゼボで、アレシアを待っていた。


 穏やかな風に、ガゼボの柱に巻き付けられたレースのリボンがヒラヒラ舞っている。

 ちなみにそのリボンで、ピンク色のバラを柱にくくりつけているのだった。


 ガゼボに運び込まれたテーブルには、所狭ところせましと置かれたプレートに、何種類ものお菓子が盛り付けられていた。


 ちなみに、テーマは白とピンクらしく、お菓子の間にも、可愛らしくピンクの野バラが白のリボンとともに飾り付けられていた。


 もちろん、ティーポットを始め、ティーセットもすべて白とピンクのバラが描かれているもので統一されている。


 ご丁寧にも、白のカバーを掛けられた椅子の背にも、白とピンクのバラのブーケが付けられていて、なんだかまるで結婚式のようだな、とカイルは思った。


 むさくるしい男2人がそんなガゼボで少々落ち着かなげでいるのは、この際仕方ないと思うよりない。


 そうカイルは自分に言い聞かせた。

 何よりも、若い女性であるアレシアのためである。


「エドアルド。この装飾の趣味はお前の趣味、ということでいいんだな?」


 カイルの皮肉にも、エドアルドは珍しく無言で、能面のような無表情を保っていた。

 実際のところ、エドアルドが仕事を言いつけた侍女の趣味なのだろうが、こんなに可愛らしく飾り付けたのは、一体どんなつもりなんだ、と気になるカイルだった。


 やがて、庭園の入り口をくぐって、アレシアがやって来た。

 もちろん、背後にはリオベルデから付き添って来ている侍女のネティと、帝国に来てから付いた侍女のサラの姿がある。


「皇帝陛下、この度はお招きいただきありがとうございました……」


 そう言って、深い礼から顔を上げたアレシアの動きが止まる。

 まん丸く目を見開いて、白とピンク、お花とリボンとレースの洪水に驚いているアレシアの後ろで、ネティが同じように目を見開いていて、2人で硬直しているのがおかしいと言えばおかしかった。


「アレシア、どうぞこちらへ」


 カイルがさっと立ち上がって、アレシアをかたわらの椅子に案内した。


「カイルです。こちらこそ、顔合わせがこんなに遅くなり、申し訳なかった。もうご存知だと思うが、この男はエドアルド。役職は補佐官だが、あらゆることをやってもらっている。お互いに子供の頃から知っているんだ」


 初対面の時を思えば、このカイルの饒舌じょうぜつぶりには驚くはずだ。

 しかし、アレシアはただ目を大きく見開いただけだった。

 アレシアは改めてお辞儀じぎをしているエドアルドに会釈えしゃくをした。


「エドアルドさん、いつも色々と気遣ってくださって、ありがとうございます。ええと、わたしの方も、改めて。こちらが緑の谷から付いて来てくれた侍女のネティです。わたしも、ネティとは長いんですよ」


 ネティが深く腰を折って、礼を取った。


「ネティ、アレシアのことはよろしく頼む。何かあったら、遠慮えんりょなく言ってくれ」

 カイルがうなづきながら言った。


「ネティさん、私からも改めて。今後ともどうぞよろしく」

 エドアルドが思いがけず柔らかな表情で言った。


「そうだ、もう1人……紹介が必要ですね。彼女はサラ、アレシア様のために付けた女性です。サラは、わたしの妹です」


「えっ!?」


 サラもにっこりと笑った。

「はい、エディはわたしの不肖ふしょうの兄なのです。ですので、何かありましたら、遠慮えんりょなくおっしゃってくださいね。すぐに連絡をつけられますわ。カイル様もわたしにとっては、うるさい兄のような存在で」


「まあ」


 アレシアが驚いていると、エドアルドはさりげなくネティの手を取って、ガゼボから少し離れた日陰に用意されたテーブルへと誘導していく。


「陛下に少しプライバシーを差し上げましょう。こちらにもお茶が用意してありますから、ネティさんはわたしと一緒に参りましょう」


 その間にサラはてきぱきとお茶を入れると、カイルとアレシアの前に置いた。


「わたしもそちらにおりますので、ご用があれば手を上げて合図をしてくださいませ」

「わかった」

 カイルがうなづくと、サラもにっこりと笑って、ガゼボを離れていった。


「……」

「……」


 可愛らしく飾り付けられたガゼボに沈黙が落ちる。

 カイルは無表情に椅子に腰を下ろしているし、アレシアもまた、無言で座っている。

 そより、と風が吹き、柱に巻きつけたリボンがふわりと揺れる。


「……とても可愛らしく飾り付けたのですね。素敵ですわ。陛下の侍女の方がなさったのですか?」

「……」


「陛下、お菓子もたくさん。どれにしようか、迷いますわ。陛下はどれになさいますか?」

「……」


 アレシアは柔らかな声で話しかけたが、カイルはぴくりともせず、椅子に座っている。

 徹底した沈黙だ。

 もしかしてこのまま、カイルは一言もしゃべらないつもりなのだろうか?

 アレシアは思わず、じっと、カイルの顔をのぞき込んだ。


「いえ。そうですね……わたしはこちらの」

 そう言って、アレシアは白い砂糖衣さとうごろものかけられたケーキと、うす黄色の丸型のクッキーを指した。


「これとこれを頂こうかと思います。陛下も同じものを召し上がりますか?」

「!?」


 カイルがぎょっとして声も出ないでいると、アレシアはまるで彼女がお茶会の女主人のように、てきぱきと皿を取り、ケーキとクッキーを美しく盛りつけた。


「陛下、こちらをどうぞ」


 アレシアがにこりと笑う。

 そのまま、カイルの分のお菓子をカイルの前に置くと、アレシアは早速フォークを持って、ケーキを食べ始めた。


「……レモン!」

 アレシアが思わず、といった感じで声を上げた。


「これ、レモンケーキですね。とてもいい風味です」


 そのままいそいそと次の一切れをフォークに突き刺しているところに、カイルがこほん、と咳払せきばらいをしてから言った。


「……アレシア、あなたが帝国に来たのは、私との婚姻のためなのを覚えているか?」

「もちろんです」


 アレシアの即答に、カイルは思わず、深いため息をつく。


「アレシア。初めに言っておく。もし、私と結婚するのが本意ではないなら、断ってもいいのだぞ。よく、考えるんだ。もし、あなたががリオベルデに帰りたいのであれば、私はそれを止めはしない」


「……」


 アレシアはフォークを持ったまま、じっとカイルを見つめた。

 カイルは言いたいことは言った、と、そのまま立ち上がってガゼボを出ようとしたが、目の前に置かれたお皿に、アレシアが選んだレモンケーキとクッキーが載ったままなのに気が付くと、改めて椅子に座り直した。


 そして無言でレモンケーキとクッキーを食べる。

 食べ終えたカイルは、今度こそ、何も言わずにガゼボを出たのだった。


「とてもおいしいお菓子でしたね、アレシア様」


 アレシアと並んで歩くネティとサラは、2人とも何かの入った包みを抱えていた。

 カイルが去り、山のようにお菓子が並んだテーブルを前に、アレシアが1人で座っていると、それに気づいたエドアルドがあわててやってきた。


 よろしければ、このままお茶を楽しんでいってください、と言っても、居心地が悪いでしょうから、と、残ったお菓子をたくさん包んで持たせてくれたのだった。

 これにはサラが大喜びしていた。


 カイルは、初めて会った時もそうだが、アレシアが帝国に来ていることに、必ずしも賛成しているわけではないようだ。


 だからこそ、アレシアをリオベルデに返そうとも聞こえるような発言を繰り返している。


 しかし、とアレシアは最後のシーンを頭に思い浮かべる。

 自分のためにアレシアが用意したレモンケーキとクッキーが手付かずで残っていることに気づき、カイルはわざわざ食べ終えてから、ガゼボを離れたのだった。


(わたしには、カイル様は、とてもおやさしい方のように思えます)


 アレシアはカイルの顔を思い浮かべる。


 黒髪に青みがかったグレーの瞳。

 顔の造作には甘みが一切ない。どこもかしこも引き締まっている、という印象だ。

 顔立ちが整っているから、黙っていると、たしかにあまり人好きな感じはしない。怖い、と思う人も多いだろう。


 何しろ、ランス帝国の皇帝だ。

 しかし、アレシアには、一見、ぶっきらぼうな言葉の数々の背後に、カイルのやさしさと思いやりを感じるのだった。


(カイル様の中には、大きな懸念けねんがあるのを感じられる)

 アレシアは思う。


(それは一体、何なのだろう。そして、わたしがそこに関わっているの?)


 アレシアは目を閉じる。

 夢の中のあの少年も、艶やかな黒髪に、青みがかった美しいグレーの瞳をしていた。

 そしてその少年は、アレシアにとてもやさしかった。

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