第12話 宰相オブライエン公爵と令嬢アレキサンドラ

 ランス帝国帝都アンジュランスでも、宮殿に近い一等地にオブライエン公爵邸はあった。


 オブライエン公爵は前皇帝の弟であり、現皇帝であるカイルの叔父に当たる。

 前皇帝が即位した際に、オブライエンは公爵位を受け取り、現在は宰相さいしょうを務めている。カイルが成人前は、その後見をも務めた人物だった。


 ランス帝国は他国と比べても貴族の地位が高く、身分を重要視する国柄だったが、とりわけオブライエン公爵家はその傾向が顕著けんちょだった。


 不思議なことに、そんなオブライエン公爵が有名な歌姫だった平民の女性を妻に迎え、子供は娘であるアレキサンドラが1人。

 若くして妻が他界たかいし、後継には恵まれなかった。


 ところが、オブライエンはそのことを気にしているようには見えなかった。

 アレキサンドラに婿むこを取り、公爵家を継がせるという方法があるにも関わらず、オブライエン、そしてアレキサンドラ自身が望んでいるのは、彼女がランス帝国皇帝に嫁ぎ、皇后となることだったのである。


 しかし、その後は?

 オブライエンには、ただ1人の娘にも打ち明けていない計画があるのだった。

 最高位を目指すこと。常に上へ、上へ、と登ることがオブライエン家の人間の常だった。


 * * *


「黒、青、緑、紫よ。その青はだめ、薄すぎるわ。その紫も明るすぎる。もっと深い色でなくては、わたくしが引き立たないわ。言ったでしょう? これは皇帝主催の夜会用なのよ。わたくしにはカイル様にふさわしい、そんなドレスが必要なの」


 室内は美しい布地であふれかえっていた。


 中央に置かれた猫脚の長椅子に腰を下ろしているのは、鮮やかな赤い巻毛の、目鼻立ちのくっきりとした若い娘だった。


 猫のようにり上がった大きな目は緑色で、化粧によってさらにくっきりとするように強調されている。


 未婚の令嬢にしては、少し開き過ぎているくらいの胸元からは、豊かな白いふくらみがのぞいていた。


 彼女が着ているのは、袖周そでまわりやスカート部分がふんわりとボリュームのある、あざやかなエメラルドグリーンのドレスだった。


 手入れのされた指先でもてあそんでいるのは、黒地に金の房飾りが付いた扇である。

 今はその扇を、イライラとした仕草で、開いたり閉じたりを繰り返していた。


「デザインは選んだわ。今回は色を替えて4着を作るの。その中から1番良いドレスを選ぶわ。次回は仮縫いを持ってきて。それに合わせて、装飾品を手配しなければ。それともちろん、刺繍についてもわかっているわね? 職人を集めて、必ず期日までに最高の仕事をさせてちょうだい」


 ぴんと伸びた背中に、ほっそりとした首。

 オブライエン公爵令嬢アレキサンドラは、自信たっぷりに顔を上げていて、ほとんど人を見下みくだしているかのようにすら見えた。


「アレキサンドラ」


 ドアを叩く音がして、オブライエンが顔をのぞかせた。

「ここにいたのか。ずいぶん賑やかなようだが、それは?」


 アレキサンドラはにっこりと笑顔を作った。

「皇帝陛下主催の夜会用のドレスを作っていますの」

 オブライエンはうなづいた。


「ああ……あれか。来月だったな」

「ええ」


「それが済んだら、食堂に来なさい。一緒に夕食を取ろう。久しぶりに少し話すこともある」

「わかりましたわ」


 わかりました、と言いながら、アレキサンドラはすぐ部屋を出て、食堂に向かったりはしない。


 仕立て屋や商人達が急いで片付けている部屋を侍女に任せ、自分は寝室に戻って大きな鏡台の前に座った。


 アレキサンドラは真剣な表情で、鏡に映る自分の姿を見つめると、てきぱきと指示を出した。


「髪はまとめて結い上げるわ。でもボリュームをつぶさないようにね。それから、金とエメラルドの首飾りを付けるわ」

「かしこまりました」


 1人の侍女がすぐにくしを手にすると、もう1人の侍女がさっと衣装部屋の宝石箱へと向かう。


そろいの耳飾りも出してちょうだい」

「はい」


 身支度を整えながら、アレキサンドラは鏡の中の自分を見つめる。

 元々の顔立ちも華やかに整っているし、美しい衣装や宝飾品にもけして負けていない。


 仕草しぐさには品があり、どこでどう振る舞うか、何を言うべきか完璧に心得ている。

 どこから見ても、堂々とした貴婦人だ。


(そのとおりよ。幼い頃から教育を受け、皇家の一員であり、宰相である父の存在に負けない女性になることを目標としてきたわ。わたくしこそが、他の女性達の上に立つの。帝国一の貴婦人になるのよ)


 アレキサンドラのバーガンディ色の唇がきゅっと弓を描いた。


「この国でわたくし以上の女性はいないわ。わたくしこそが、ランス帝国皇后の座にふさわしいのよ」


 支度を整えたアレキサンドラは、黒の扇を持つと、食堂へと向かった。


 アレキサンドラが食堂に入ると、上座に座った父、オブライエン公爵がうなづいた。


「よいドレスは選べたかね?」

「ええ、お父様。あとは出来上がりを待って、カイル様の隣に立つふさわしい1着を選ぶつもりよ」

「そうか」


 穏やかな笑みを浮かべたオブライエンは、無論、「陛下にはリオベルデ王国から王女がすでに嫁いでいるが」なんてことは言わない。

 満足した表情で、アレキサンドラを見つめていた。


「お前以上に皇后にふさわしい貴婦人はいない。必要なものがあれば、私に言いなさい」

「ありがとうございます、お父様」


 アレキサンドラは顔をほころばせ、完璧な笑顔を見せた。

 その姿は「ランスの赤いバラ」と称賛される、ランス帝国一の美貌びぼうを誇る姫君の姿そのものだった。

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