第11話 アレシアの輿入れ

 ある朝、ガタガタと揺れる馬車の窓から、茶色の髪に茶色の目をした小柄な女性が注意深い視線で外を眺めていた。


「アレシア様、まもなくでしょうね。この先で道路の状態が良くなります。とうとう帝都アンジュランスに入ったようです。あの建物がたくさん見えるあたりが宮殿なのでは」


 馬車の中には、もう1人、銀髪の女性が座っていた。


 色白の肌に、深い青の瞳。きらきらと光る銀色の髪は移動の際に邪魔にならないように軽く結い上げられているが、身に付けているのはいつもと同じ、漂白された、純白の麻の長衣に、袖のない白い絹のチュニックだ。

 足元はいつものモカシンではなく、歩きやすそうな革のサンダルを履いていた。


「今夜は宮殿でお体を休めることができますよ。長い旅行で、お疲れでしょう」

 自分を労る侍女ネティの言葉に、アレシアは微笑んだ。

「ネティ、大丈夫よ。本当にそんなに疲れていないから」


 一行はその後、最後の休憩きゅうけいを取ると、目的地であるランス帝国帝都にある皇帝の宮殿へと向かった。


 正直なところ……と、アレシアは思う。

 自分がランス帝国皇帝に嫁ぐとか、結婚するとか、それはまるで他人事のようで、今でもあまりぴんと来ていない。


 そもそも、王女であり、姫巫女である立場から、同じ年頃の男性と接する機会なんて、ほとんどなかったのだ。

 結婚どころか、恋愛だってまだである。


 それよりも、小国であるリオベルデ王国とはまったく違うであろう、ランス帝国を自分の目で見ることができること。


 大好きだった伯母が巫女としての務めを果たしていた、帝国の女神神殿めがみしんでん分院ぶんいんを実際に訪れることができること。


 学問の師である、オリバー先生と再会できるかもしれないこと。

 そんなことにアレシアはわくわくしていた。


 アレシアの乗った馬車は、流れるように宮殿の敷地内へと吸い込まれていく。

 知らせが届いていたのか、馬車が正門をくぐり、宮殿の正面入り口に止まると、そこには多くの人々が並んで、アレシアの到着を待っていたのだった。


 アレシアは最後の休憩所で、着替えを済ませ、髪もかして背中に流していた。

 馬車の入り口からアレシアに手を差し出したのは、柔らかな茶色い髪をした青年だった。


「姫巫女様、ようこそいらっしゃいました。私はエドアルド、皇帝であるカイル様の補佐官であり、護衛も務めております。主人に代わって、心より、姫巫女様のお越しを歓迎いたします」


 アレシアはうなづいた。

「ありがとう。私はアレシアです。歓迎、嬉しく思います」


 エドアルドの隣には、侍従を名乗る年配の男性が。

 さらに、アレシア付きの侍女と名乗る女性も待っていた。


 アレシアは落ち着いて挨拶を受けると、まずは皇帝に会う前に身だしなみを整えつつ、休憩を、ということで、すぐにアレシアのために用意された部屋へと案内されることになった。


 リオベルデから付いてきてくれている侍女のネティは、アレシアのそばから片時も離れずに、そばにいてくれていた。


 アレシアも1人で嫁いできたとはいえ、ネティもまた、たった1人で異国まで付いてきてくれたのだ。


 彼女もまた、まったく新しい場所で、さぞ心細いだろう。

 アレシアはそんなことを考えながら、芯の強い、小柄なネティの姿を見やった。


 するとその時、エドアルドがネティにも丁寧に挨拶をしている様子に気が付いた。

 ネティは恐縮した様子で、エドアルドを見上げていたが、彼は柔らかな表情のまま、ネティに自己紹介をしている様子だった。


「それでは、姫巫女様、お部屋にご案内いたしましょう」

 エドアルドの柔らかな声に、一同は宮殿の中を移動し始めた。


「私はカイル陛下の補佐官ですが、姫巫女様の帝国での生活についても、できる限りお世話をするようにと陛下から承っています。休憩された後、カイル陛下、オブライエン宰相との顔合わせがあります。宮殿内についてもご案内するようにとのことですので、明日にでもお部屋にお伺いいたしますね」


 エドアルドは慣れた様子でアレシアとネティを誘導し、宮殿内を移動していく。


「正式に陛下と結婚された後はお部屋は皇后の部屋へと移ります。今はそれまでの間のお部屋とお考えください。こちらです」


 エドアルドは扉を開いた。

 明るい光が窓から差し込んでいる。


「こちらが前室。この先が客間、居間はこちらで、寝室は一番奥になります。続きの浴室が用意されています。お付きの方のお部屋がこちらです」

 アレシアとネティは次々に扉を開けるエドアルドに付いて、各部屋を見て回った。


「あれは神殿ですか?」

 アレシアが居間から見える石造りの建物に目を輝かせた。


「はい。宮殿の敷地の隣にありますから、思ったより近いでしょう? 宮殿から敷地内を伝って宮殿に行く通路もあるんですよ。宮殿をご案内する際に、お見せしましょう」


 また後ほどお迎えに上がりますので、ごゆっくりなさってください、と言って、エドアルドが去った後、アレシアとネティは顔を見合わせた。


 早速2人で1部屋ずつ見て回る。

 前室はこじんまりとしているが、品の良いテーブルと椅子のセットが置かれていた。


 客間にも、大きすぎないソファとテーブルが置かれている。

 大きな花瓶には白とピンクの花が活けられ、壁にはいくつかの絵画が飾られている。


 居間にはダイニングテーブルの置かれたエリアの他に、書棚と机のあるエリア、ソファとコーヒーテーブルが置かれたエリアに分かれていて、とても使いやすそうだ。


 色合いはどの部屋も共通して、ベージュが基調の上に、ペールグリーンとピンクがアクセントに使われていた。


 そして、客間はピンクの分量が多く、華やかに、寝室はグリーンの分量が多く、落ち着いた雰囲気に仕上がっているのだった。


「派手すぎず、落ち着いて暮らせそうですね」

 そうネティが言い、アレシアも勢いよくうなづいた。


「リオベルデから送った荷物は、すでに届いていますね」

 ネティが笑顔になった。

「その他、必要なものもすべて用意されているようです」


 居間の脇には小さなキッチンもあり、食器一式がきちんと収納されていた。

 お茶の類も揃えられている。

 浴室には石鹸からタオル各種、化粧品の類も、アレシアに見覚えがないものまでずらりと並べられていた。


 一方、寝室の続きに作られた衣装部屋はがらんとしていて、アレシアがリオベルデから持ち込んだ、いつもの衣装が、きちんと壁にかけられているだけだった。


 寝室に置かれた寝台は大きく、まるで小山のようにふんわりとした寝具で覆われていた。

 寝具はペールグリーン。ベージュのリボンが飾りに付いている。


「アレシア様」

 ネティの声に、アレシアが振り返ると、ネティはまだ衣装部屋にいた。

「こちらに寝間着ねまきがありますよ」


 アレシアも戸棚を覗き込むと、そこには帝国風の寝間着がデザインを変えて数着、さらに薄手のものや厚手のものなど、夜着の上に羽織る何種類かのガウンが用意されていた。


「普段着るお衣装は、アレシア様に聞いてから、と思われたのでしょうか。この寝間着とガウン、帝国はリオベルデより寒いですから、用意していただいてありがたいですね。サイズもよろしいようですよ」


 アレシアは上質な素材で作られた寝間着とガウンを見つめた。床には、フェルト素材のスリッパも用意されていた。

 衣装部屋からは、寝室が見える。


 ペールグリーンをアクセントにした、落ち着いた色調だ。

 リオベルデ、とは古語で「緑の川」という意味と伝えられている。

 カイルは知っているのだろうか。

 知っていて、アレシアのために、すべてを整えて、くれたのだろうか……。


 その時、トントン、とドアを叩く音が聞こえた。

 ネティが衣装部屋を出ていくと、前室に1人の侍女が立っていた。

 そういえば、アレシア様の出迎えに来ていた女性だ、と思い出した。


「初めまして。アレシア様付きの侍女となりました、サラと申します。ネティさんと協力して、姫巫女様にお仕えするように、と言いつかっております。お部屋の中もご案内しますね。でもその前に、お茶をお入れいたしましょう。長旅で、姫巫女様もネティさんもお疲れでしょう」


 サラがお茶を用意している間、ネティはアレシアに声をかけ、居間へと連れてきた。

 サラはアレシアと同じくらいの年齢に見えた。

 柔らかな金髪を襟足えりあしでまとめ、紺と白の侍女服に身を包んでいる。


 外国から来る客人にも慣れているようだ。アレシアが見慣れぬ巫女服を着ていても、驚いた素振そぶりすら見せず、丁寧に挨拶と自己紹介をやってのけた。


「ネティさん、アレシア様にはお茶やお食事のお好みもおありでしょう。色々教えてくださいね」

 気立ての良いサラにアレシアは安心し、笑顔になったのだった。


 カイルの補佐官であるエドアルドが、再びアレシアの元にやってきたのは、それから1時間ほどした頃だった。


「カイル様の準備ができましたので、迎えに上がりました。あまりゆっくりできなかったでしょう。申し訳ありません。今日は夕食を早めにして、その後お部屋で過ごせるように考えておりますので……そうだ、何か必要なものがあれば、すぐにサラに言いつけてください。お衣装については、まず姫巫女様のご希望を伺ってからと思い、手配をしておりません。仕立て屋を宮殿に呼んでお衣装を仕立てますので、それについてもまたお話ししましょう」


 アレシアは首を振った。

「すべて、とてもよく整えて下さって。不足なものなどないと思いますわ」


 アレシアはネティと顔を合わせると、立ち上がった。

 真っ白な麻の長衣ちょういに白い絹のチュニック。そしてもちろん、金色の刺繍が施された絹の飾り帯を腰に巻いている。


 壮大なランス帝国宮殿の中で、華やかなドレスもまとっていないアレシアだったが、清楚せいそで、とても清廉せいれんな様子に見えた。


 アレシアはエドアルドを見上げた。

「参りましょう」


 その声に、サラがアレシアに礼を取った。

「行ってらっしゃいませ」


 カイルが待っていたのは、謁見えっけんの間だった。

 彫刻の施された大きな扉の前には、騎士が2人、両側に立っている。

 エドアルドが騎士にうなづくと、扉がさっと開かれた。


「皇帝陛下、リオベルデ王国王女にして姫巫女アレシア・リオベルデ様を……」

 エドアルドの言葉は、まるで被せるように叫ばれた一言によって、かき消された。

 

「そんな女、国に送り返してしまえ!」


 ランス帝国の若き皇帝は、1段高いところにある、豪奢ごうしゃな皇帝の椅子に座ってはいなかった。


 こちらからは背中しか見えないが、1人の男性にまるでつかみかかる勢いで近づき、まさに口論の真っ最中、といった様子だった。


「陛下!」


 たまらずエドアルドが声を上げると、皇帝はようやくエドアルドに気づき、顔を上げる。

 謁見えっけんの間に立つ、立派な装いをした男は、次の瞬間にまさに部屋に入ろうとしていたアレシアの姿に気づき、ぎくりとしたように声を止めた。


 アレシアはゆっくりと男の様子を眺める。


 艶のある黒髪。グレーの瞳は青みがかった色で、とても美しい。

 背が高く、身に付けている黒に近い濃紺のチュニックがよく似合っていた。襟元と裾には、青い糸で丁寧な刺繍が施されている。

 確かに若いけれど、堂々とした男性だと思った。


 整った顔立ちだ。でも、けして軟弱な感じはせず、男性的な美しさがある。

 そう思っていたアレシアは、一瞬だけ、カイルと目が合った。

 冷たく、表情もない……。


 歓迎している様子は少しもなさそうだ、そう考えたアレシアは、しかし、カイルの目に一瞬現れた後ろめたい表情に気づいた。


 そのままアレシアがじっと見ていると、カイルは不機嫌そうにそっぽを向き、そのまま部屋を出て行ってしまったのだった。


「陛下……陛下……」


 真っ青になったエドアルドがカイルの後を追うが、カイルは大きな歩幅で、一気に歩き去ってしまった後だった。


「も、申し訳ございません。姫巫女様におかれましては、改めて皇帝陛下とのお顔合わせの機会をご用意いたしますので、今はこのまま、姫巫女様のお部屋へお戻りいただきます。まずは、ゆっくり、旅の疲れをいやしてくださいませ」


「お心遣い、感謝いたします」


 そう述べたアレシアを、カイルと口論をしていた男が遮った。

 年配の男性で、カイルの父親ほどの年齢に見える。


 一見してわかるほどの、豪奢ごうしゃで金のかかった身なりをした男だった。

 再び、口を開こうとしたエドアルドを無造作に制すると、アレシアに尊大な様子で声をかけた。


「また改めてご挨拶をいただくと思うが……私は宰相のヘンリ・オブライエン。カイルの叔父に当たる」


 皇帝の妻になるために来た、しかも1国の王女に対して、ご挨拶をいただく、と言い切ったオブライエンに、しかしアレシアは表情も変えず、丁寧に礼を取った。


「オブライエン公爵。リオベルデ王国第1王女、女神神殿で姫巫女を務めるアレシア・リオベルデでございます」


 オブライエンは鮮やかな緑の目を細めて、アレシアを眺めた。

 アレシアの深い青の瞳は、揺らぐこともなく、一切感情を載せていない。


「小国の姫にしては、しっかりとした方のようだ。気分屋のカイルには案外ぴったりかもしれんな」


 アレシアはそれに対しては何も返さず、静かにオブライエンの前に立っていた。


「姫巫女様。お部屋にご案内いたします。陛下との顔合わせはまた改めて」

 アレシアはエドアルドの言葉を最後まで聞いた後、鷹揚おうようにうなづいた。


「お心遣い、感謝いたします。公爵閣下、それでは」


 そのままエドアルドはオブライエンに礼を取ると、アレシアを促して退室した。


 アレシアを部屋に案内したエドアルドは、そのまま真っ直ぐに皇帝の執務室へ向かった。


 すでに午後5時を回り、普段ならカイルは執務室を後にしている。

 夜には大抵、外国からの客人を迎えた晩餐ばんさん会や、帝国の貴族達が主催する、さまざまな会への出席などがあるからだ。


 一旦自室に戻り、少し休憩を取った後、夜の予定のために着替える。そんな毎日を送っていた。

 執務室のドアを開けると、そこにはぼんやりと窓から外を眺める、カイルの姿があった。


「陛下。先程のあれは一体? 説明していただけますか」

 ひんやりとしたエドアルドの声に、カイルはため息をついた。


「……あれから、アレシアはどうだった?」

「オブライエン公爵が大喜びで、アレシア様に挨拶を『してやって』ましたよ。もちろんそうは言っていませんでしたが、目に見えてそんな態度でした」


「アレシアは」

「姫巫女様は一切表情を変えることはありませんでしたね。りんとした態度で、ご自身で名乗られた後は、公爵には一言もお話にはなりませんでした」

「そうか」


「陛下。……カイル様?」

「アレシアが国に帰りたい、と言っても止めるな」

「はい?」


「今日の夕食も1人で取らせろ。私はしばらく、彼女には会わない。オブライエンも放っておけ。好きなようにさせろ」

「カイル様!」


「……アレシアが何か不自由をしていないか、気をつけてやってくれ。必要なものは何でも揃えろ。それから、彼女はどこに行こうが自由にさせていい。だがその行動は逐一ちくいち報告するように。護衛も兼ねて、サラを付けているんだからな」


 エドアルドがついに苦笑した。

「……カイル様。どっちなんですか」


 カイルはふいっと顔を背けた。

 ほっそりとした、アレシアの姿を思い起こしていた。

 成長し、成人したアレシアは、まるで1輪の純白の百合の花のようだった。

 華奢きゃしゃで細いのに、揺らぐことがない。凛として、品があり。


 美しかった。予想以上に。

 そして、強い目をしていた。

 変わることのない、深い青の瞳は、まるで宝石のよう。


 背中に流れる銀色の髪は、どこか人間離れしていて、精霊族の姫君のようでもあった。

 創世の女神の祝福を受けた、銀髪の姫巫女。


「皆、死んだ」

 カイルが呟く。

「私の母も、父の全ての側室達も、私の異母兄弟達も。エレオラ様も。そして父も」

 カイルの声が微かに震えた。


「自分の周りにいると、大切な人は死ぬ」


 エドアルドとカイルは静かに向き合っていた。

「父上は『皇家の呪い』と言っていた」


 幼い頃、預けられていた農園で、カイルは幸せな時間を過ごしていた。

 しかし、そんな幸せな時間は長く続かなかった。


 カイルの母はカイルが幼い頃に死亡していた。父の側室達も。4人の異母兄弟姉妹が次々に死んだ。そして皇后エレオラが。

 ついに皇帝が崩御ほうぎょした時、カイルが預けられていた農園に、皇宮からの迎えが来たのだった。


「エレオラ様は『姫巫女であるあの子が必要になる』とおっしゃっていた。でも、私はアレシアが死ぬのを見たくない」

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